図書館探偵フシギさん

一:大庭佳久、伏木奈々に遭遇する

 図書室の幽霊。
 緋色のセーラー服。
 二年B組41番。
 コノユビトマレ。
 黄昏バスケ。
 幽霊ボーカル。
 生首地球儀。
 名前だけでどことなく内容が予測できる物もあれば、何が言いたいのかさっぱり分からない物もある。それが、大庭佳久が最初に姉の悠子から『高揚学園高等部の七不思議』を聞いた時の感想だった。佳久がこの学校に進学を決めた理由も、七不思議がまだ息づいていると姉から聞かされた事が大きい。それほどまでに、彼はオカルトを愛する少年だった。
「しかし、タイトルだけ聞かされてもなあ……」
 入学式から数日たった昼下がり。一年A組の教室内では中等部出身の持ち上がりだったり、携帯のストラップに使われたキャラクターだったり、最新のゲームソフトだったり……様々な物事を契機にぽつぽつと友達グループが形成され始めている。佳久とて友達がいらないわけではないのだが、わずかに出遅れた結果として一人で弁当を食べるという現実に甘んじていた。友達作りをしない人間は空気が読めていない、教室はそんな雰囲気を漂わせ始めつつある。そんな空気とちらちら感じる視線が居心地の悪さを演出する。妙な部分で空気が読める佳久は、図書室へ向かうことにした。
 教室を出て一年生の教室がある四階から二階まで降り、南棟から北棟へ向かう二本の渡り廊下のうち、西の渡り廊下を進む。入学式後のガイダンスで案内された図書室は北棟の二階に位置しているのだが、山の中腹という立地の関係で南棟の二階とつながっているのは北棟の一階。各階層に渡り廊下をつけてくれれば良いのに等と詮無い事を呟きながら階段を上り、やっとの事で目的の図書室に辿り着いた。一年C組の教室から歩いて実に5分。昼休みは13時半までなので、次の授業の準備なども考えれば20分ごろには図書室を出なければならないだろう。30分程度しか時間は無いが、それでも少しは七不思議に関する情報は手に入るはずだ。

 図書室はそれなりに大きく、奥には個別に扉まで完備された自習室までもが並んでいる。古典落語やクラシックのCDも貸し出している事もあって、AVスペースとしても使えるようにとの配慮だそうだ。けれど、佳久が知りたいのは「王子の狐」のオチでも「ニュルンベルグのマイスタージンガー」の旋律でもない。本を整理する司書の女性に会釈しながら、図書室の片隅に並んでいた文芸部誌を数冊抱えて佳久は一番奥の自習室の扉を開けた。あまり使われていないのか、小さなガラス窓のはまった扉は重く軋んだ音を立てる。椅子の上に埃がたまっていないのが不思議なくらいの雰囲気だが、その辺は司書の人が掃除するなど気を使っているのだろう。明かり取りらしい正面の窓も曇ってはいるが、ひび割れは見えなかった。机の上にどさどさと本を投げ出した佳久は椅子に座って一冊目、ちょうど去年の文化祭で製作されたらしい物の表紙をめくり、目次を眺めた。
「『響きあう夏』と『きえないひび』は小説……後はポエムにちょっとしたイラストか」
 右の本を左に置く。製作者は何を思ってこの文芸部誌を作ったのか知らないが、先ほどは気にも留めなかった表紙は可愛らしく刀を構えた忍者少女のイラストが飾っていた。その横には『忍者と恋心は"忍ぶほど"よい』という文章。さっぱり意味がわからない。学校の七不思議というものは文芸部誌に何か書かれているものと相場が決まっている……そう思い込んでいたが、のっけから雲行きが怪しくなってきた。
「とりあえず、次の本を見てみるかな」
 何冊もの文芸部誌が右から左へ移動していく。小説もあれば詩もある。お勧めの本や映画、アニメの選評。学内であった出来事について書いた物もあったが、七不思議には関係ない。もしかして、文芸部誌には書いていないのではないか。そんな疑問が鎌首をもたげ始めた時だった。
「『高揚学園高等部七不思議について』……」
 やっと見つけた。そんな満足感と期待に胸を躍らせながら、佳久は目当てのページを探す。埃臭さから年季を感じる上、紙質がそれほど良くないのだろう。少し早くめくっただけで破れそうになるページに辟易しながら、それでも目的のページに辿り着いた。
「えーと、なになに……今回は我らが高揚学園高等部に伝わる七不思議について徹底調査しちゃうゾ! なお、本誌をお読みの読者諸氏も御存じの通りに七不思議は全て知ると死んじゃうらしいので、その辺は自己責任でお願いしますね。まずは七不思議の一覧から発表だ!……」
 むやみやたらにテンションが高かった。目頭に痛みを覚えながら、それでもようやく掴んだ七不思議の欠片。佳久は指で文字をなぞって読み進めた。
 首吊り階段。
 図書室の幽霊。
 緋色のセーラー服。
 二年B組41番。
 コノユビトマレ。
 黄昏バスケ。
 幽霊ボーカル。
「あれ?」
 何度も確認するが、書いてある七不思議は変わらない。変わったら変わったで怖いのだが、悠子から聞いた七不思議にあった筈の『生首地球儀』が、この本には書かれていないのだ。その代わりにあるのは『首吊り階段』だが、言い回しが違うだけで同じ話だとは考えられないタイトルだ。どこかの時代で七不思議が入れ替わったのだろうか。入れ替わったとすればいつ頃なのか。俄然興味の湧いた佳久は熱心にページを繰り始める。まずはこの時代の七不思議を熟読する事から始めよう。

 1:首吊り階段
 南棟の屋上への階段を上っている時は、決して後ろを振り向いてはならない。振り向いたなら、階段の窓の外で屋上から首を吊ってぶら下がっている誰かの姿が見えるかも知れないからだ。その首を吊っている誰かと目が合ってしまった者は死霊に魅入られ、屋上から首を吊ってしまう。そして自分と同じく振り向いてしまう次の犠牲者が現れるまで、永遠にそこで過ごす事になる。

 2:図書室の幽霊
 ある女生徒がいた。彼女は虐められており、その日は図書室の一番端の自習室に閉じ込められてしまった。図書室の奥という事もあり、叫んでも助けは来ない。意を決し、窓から出ようとしたが足を滑らせて落下……頭から地面に落ちた彼女は、即死だった。
 それ以来、彼女が閉じ込められた自習室に入ると血塗れの幽霊が現れるようになった。

 3:緋色のセーラー服
 ある時、二人の女生徒がいた。彼女達は愛し合っていたが、卒業と同時に一人は遠くへ引っ越す事が決まっていた。別れを悲しんだ二人は卒業式の日に屋上で心中を図り、互いの喉をナイフで切り裂いた。しかし一人は傷が浅く一命を取り留めてしまい、死んだのは一人だけだった。
 死んでしまった一人は今も一緒に死ぬはずだった恋人を探しており、彼女に似た生徒を見つけると自分の血で緋色に染まったセーラー服を着て現れるという。

 4:二年B組41番
 ある年の高等部二年B組に転校生が来た翌日、二年B組に以前からいた生徒が自殺した。自殺した生徒はクラスの中心的存在で自殺する要因も考えられなかったが、他殺や事故とは考えられない状況だった。
 それ以降も二年B組に転校生が現れてクラスの人数が41人になると誰か一人が自殺するという奇怪な事件が続いたため、二年B組には転校生が配属されなくなった。

 5:コノユビトマレ
 体育の時間などに携帯電話を教室に置いていると、見知らぬアドレスからメールが届いている事がある。そのメールは件名も送信者も空白で、本文にはただ「コノユビトマレ」とだけ書かれている。このメールに返信してしまうと、返信した者は幽霊や怪物が見えるようになる。だが、多くの場合はそのあまりに名状しがたいおぞましさに発狂してしまうと言う。
これは霊感があったばかりに気味悪がられて友達が居なかった女生徒の怨念が学校に留まり、幽霊が見える友達を欲しがっているからだと言われている。

 6:黄昏バスケ
 中庭の片隅に設置されているバスケットゴールでは、夕方になるとボールをシュートしている音が聞こえる事がある。だが見に行っても誰も居ない上、ボールすら見当たらない。その場を離れるとまた音が聞こえ始めるが、何度見に行っても人影はない。
 これはかつてバスケットボール部で万年補欠だったが部員が引退前に最後の試合だけ出場する事になり、一人隠れて猛練習していたが、交通事故で試合直前に死亡。試合に出る事が出来なかった無念から、今も隠れて練習を続けているのだと言われている。

 7:幽霊ボーカル
 高揚学園高等部の軽音楽部では毎年文化祭にライブを行っている。ある時の軽音楽部はギター、ベース、ドラム、ボーカルの4人だったが、文化祭直前にボーカルがいなくなってしまった。(理由は明確に伝わっておらず、事故死とも失踪とも伝えられている。)
 メンバーは全員仲が良く、ドラムとボーカルは恋人同士だった事もあり、文化祭では新しいメンバーを加えずに演奏した。だが、その録音にはいない筈のボーカルの歌声が記録されており、それ以来文化祭でその曲を演奏すると歌声が一人分増えると言われている。

 最後の七不思議を読み終えた時、視界がふっと暗くなった。視線を上げてみると、視界の端に長い黒髪。後ろに誰かが立っている。そう気付くまでに、時間はかからなかった。
「ねえ君、新入生でしょ」
 振り返った佳久に微笑むのは、すらりと背の高い少女だった。鴉の濡羽色をした艶やかな長髪、切れ長の目がその視線ですっぱりと切り落としてしまったように、その前髪は真っ直ぐ切り揃えられていた。肌は血管が透けて見えるほどに白く、どこか病的な雰囲気さえ纏っている。唇の薄い赤色さえ無ければ、モノクロ映画から抜け出してきたと言われても信じてしまいそうな姿だった。
「この自習室だけど、あんまり入らない方がいいわよ」
「それは、幽霊が出るからですか?」
「なぁんだ。君、知ってるんじゃない。せっかく怖がらせようとしたのに」
 佳久の答えに、少女は途端につまらなそうに唇を尖らせた。一見近寄りがたい雰囲気の美人なのだが、どこか愛嬌を感じさせる仕草だった。
「いや、ちょうど今読んだ所だったもので、えっと……」
 胸元を見る。セーラー服の襟から見えるスカーフの色は赤、三年生だ。高揚学園では学年によってスカーフや校章の色が違う為、先輩後輩の区別はできる。だが、佳久が通っていた中学とは違って名札は付いていなかった。
「あ、私の名前? 私は伏木奈々。伏木の伏は伏木の伏、伏木の木は伏木の木よ。名前の方は奈良県の奈とノマで奈々。君は?」
 空中に文字を書いて説明しながらつかつかと歩み、奈々は机の上の僅かなスペースに腰を下ろす。見知らぬ美人の先輩と密着しそうな距離にいる事に耐えられず、佳久は名字部分の説明にツッコミを入れる事も忘れて椅子を遠ざけた。
「僕は大庭佳久、大きい庭に佳作の佳、永久の久です」
「なるほど、佳久君ね。それで君、なぁに、七不思議なんか信じてるの? 悪いけど、ここに書いてあるのは嘘だと思うわよ」
 奈々は広げていた部誌を取り上げると、その一部分を指さした。「2:図書室の幽霊」の項目だ。
「例えばこれ。私、ずぅっとこの図書室のこの自習室にいるけど、こんな血塗れの幽霊になんて一度も会った事無いもの」
「ずっとって、授業中はどうなんですか? その時にも幽霊が出ていない、とは限らないと思うんですが」
 反論しようとした唇に、人差し指が添えられる。片目をつぶった奈々は妖しげに微笑みながら、指先を佳久の左手首へと滑らせた。指先を追った視線が捉えるのは、もうそろそろ長針が4に届こうかとしている腕時計。
「ごめんね、佳久君。できるならゆっくり話をしてあげたいけど、もうそろそろ教室に帰らないと遅刻しちゃうんじゃない? 私は放課後もここにいるから、七不思議について詳しく知りたければまた来てちょうだい」
「あ、じゃあお願いします。放課後、ここで、ですね?」
 彼女が次に受ける授業は特別教室で行なわれるのだろうか。ばいばい、とにこやかに手を振って送り出す奈々を残して、佳久は自習室の扉を開ける。入った時と同じく、扉はギギギと軋んだ音を立てた。

 気もそぞろに午後の授業を聞き流す。黒板の文字を機械的にノートへ移しながら、佳久が考えるのは奈々の事だった。あの口ぶりから察するに、彼女はこの学校の七不思議についていくらか詳しいのだろう。それなのに、七不思議なんか信じているのかとオカルトを否定するような物言いをする。奈々の真意は、佳久にはさっぱり予想もできなかった。
 奈々に対する不信感と親近感。そのアンビバレンツな感情が、佳久の胸中に渦巻いていく。放課後に話を聞けばはっきりする事だと分かっていながら、佳久はその感情を持て余していた。

「……えー、明日の放課後は講堂でね、部活動の案内ガイダンスがあるんですね。部活動をやりたい場合はね、そこで色々聞いておいた方がいいですよ、ええ。それでは、うん、他に連絡事項はありませんしね、今日はこれで解散にしましょう」
 担任の老教師のゆったりした口調がもどかしい。それでも何とか終礼を耐え抜き、解散の合図と共に鞄を掴んだ。新しく出来た友人同士が帰る方向を話し合ったり寄り道の相談を交わしたりする中、一人あわただしく教室を飛び出す。目指すはもちろん、図書室だ。
 部活に向かうのだろう、柔道着を背負った先輩やテニスのラケットを抱えた先輩と一緒に渡り廊下を進む。道場やテニスコートへ向かう彼らとは階段で別れ、佳久は階段を上る。図書室の扉を開け、受付のパソコンで何かを入力している司書の女性の横を通って一直線に一番奥の自習室へ。そこには約束通り、奈々の姿があった。机の上には昼休みに読んでいた部誌がそのまま残っている。片付けるのを忘れていた事を思い出し、佳久は少しだけ後悔した。
「いらっしゃい、佳久君。約束通りに来てくれたのね」
 昼休みと同じく、そこに彼女は座っていた。組んだ足、その露わになった太ももが艶めかしい。全力で跳ねる心臓を必死に押さえながら、佳久は精一杯平静を装った。
「約束、しましたから。それで、七不思議について教えて下さるんですよね?」
「もう、そんなに焦らないの。ほらほら、座った座った」
 苦笑を漏らしながら、奈々は佳久に椅子を勧める。先輩を立たせて後輩が椅子に座るのはどうかとも思ったが、奈々は机の上にちょこんと腰を下ろした。自分ひとりが座るわけではないので幾分か気は楽だが、昼休みと同じく密着する姿勢になる。しかし、ここで変に意識するとせっかく落ち着き始めた心臓がもう一度暴れだしそうだ。佳久は大人しく、言われるがまま腰を下ろした。これで落ち着いた血が別の場所に集まっても、奈々にはばれずにすみそうだ。
「佳久君、君、図書室登校って知ってる?」
 奈々はどこか遠くを見つめながら問いかけた。佳久とてその言葉くらいは知っている。何らかの事情があって教室に行けない生徒が図書室で勉強する事だ。しかし、それが七不思議と何の関係があるのだろうか。頷いた佳久に、奈々は続きを語り始めた。
「私、その図書室登校なのよ。いじめられてるから教室に行きたくない、なんてのじゃないんだけど……私は心臓に持病があってね、教室で普通に授業を受けるのは難しいの。だから、朝から晩まですぅっとこの図書室にいるのよ」
 奈々は自分の左胸に右手を当てる。華奢な手足とは対照的にその存在を声高に主張する胸。ともすればそちらへ吸い寄せられる視線を机の上の部誌に引き戻し、佳久は慎重に言葉を選んだ。
「だから、授業中にも『図書室の幽霊』が出てきてないって断言できたんですね」
「ご名答。この図書室に来て会えるのは血塗れの幽霊なんかじゃない。司書のおばさんか、そうでなければ私くらいよ」
 足をパタパタと揺らしながら、奈々は微笑む。思うに、図書室登校の彼女に話しかける人間は少なかったのだろう。友達がいない、そんな寂しさが分からないと言えば嘘になる。彼女はそれを見抜き、同病相哀れんで自分に声をかけたのでは……佳久はそんな邪推を吹き払う。どういう経緯であれ、七不思議に詳しい先輩と知り合えた。それで十分だ。
 けれど、一つだけ訂正しておくべきだろう。
「伏木先輩、『司書のおばさん』ってのはちょっと失礼じゃないですか? あの人、どう見積もっても三十路前ですよ」
 苦笑しながら振り返り、扉の窓から受付を眺める。司書さんの眼鏡にはモニターの光が反射して表情は読み取れないが、何らかの卑怯な手段を使って異常な若作りをしていない限りは三十路前、事によると二十代前半で通じる風貌だ。若さにあぐらをかいた女子高生がそう呼ぶならいざ知らず、彼女が誰からもおばさんと呼ばれるようになるには、もう少し時間が必要だろう。
「……そう、そうだったわね。確かに『おばさん』はちょっと言い過ぎたかな。けど佳久君、そんなに必死になるって事は君、もしかしてああいう『お姉さん』が好みなの?」
 ほんの一瞬見せたしおらしい顔もどこへやら、奈々は喜色満面で佳久の顔を覗き込む。努めて冷静に机へ向き直ろうとするが、動きがぎくしゃくするのは止められなかった。
「そ、それより伏木先輩! 他の七不思議について知ってる事とか……あ、そうだ、『生首地球儀』の七不思議って、どんなお話なんですか?」
 悠子からは名前しか聞けていない『生首地球儀』。文芸部誌にも書いていない以上は誰かに聞くしかない。そして、悠子から見て一年後輩の奈々なら知っているだろう。佳久はそう考えたのだが、その目論見ははかなく崩れ去った。頼りの少女はきょとんとした顔で、オウムのように繰り返したのだ。
「なまくびちきゅうぎ?」
 奈々は眉根を寄せ、人差し指で下唇に軽く触れる。知らないふりの演技だとか、佳久をからかってやろうだとか、そんな雰囲気は微塵も感じられない。正真正銘、奈々は『生首地球儀』を知らないのだ。
「申し訳ないけど、その七不思議は初耳よ。私が知ってる七不思議は、その部誌に書いてある七つだけだもの」
「あれ、じゃあ今まさに入れ替わってる最中なのかな……僕には三つ上の姉がいるんですけど、その姉から聞いた話では『首吊り階段』じゃなくて『生首地球儀』が七不思議だったんですよ」
「ごめんなさい。私はその不思議、見た事も聞いた事もないわ。他の不思議なら知ってるかも、だけど……そうだ佳久君、クラブ案内ってもう終わってたっけ?」
 悩んでいたかと思えば、再び笑顔。コロコロと表情のよく変わる、愛嬌のある人だった。
「明日の放課後だって、今日の終礼で聞きましたけど」
「そう、ならよかった。そこで文芸部も案内をすると思うから、部室の場所を聞いて行ってみればいいんじゃない? 私が文芸部と仲良くしてるわけじゃないから、直接紹介できないのは残念だけど……」
 申し訳なさそうに目を伏せる奈々。図書室登校するほどの心臓病とあれば、文化系でも部活動をするのは難しいのだろう。彼女にどう声をかけるべきか。臆病な佳久は結局、何も言う事が出来なかった。重く垂れこめる沈黙に耐えかねたか、奈々は笑顔を見せた。
「ところで佳久君、君は今日、いつ頃帰る予定なのかな?」
「あ、すいません。先輩にもご予定とかありますよね」
 鞄を掴もうとすると、そっとその手を遮られる。冷やりとした、細い指……触れただけで不健康だと判断できる、そんな指だった。
「ごめんなさい、佳久君。邪険にしたように聞こえたなら謝るわ。私はいつも下校時刻まで学校にいるから、君が早めに帰るなら七不思議について手短に話さなきゃ、と思っただけだから」
 慌てて弁明し、佳久の機嫌をそっと窺う。そんな先輩にペットショップの仔犬の姿が重なって見えた。自分が助けてあげなければ、と錯覚させられるあの感覚。小さく息を吐くと、居住まいを正して奈々に向き合った。
「伏木先輩。僕は気にしてませんから、先輩も気にしないでください。お邪魔でないようなら、下校時間まで『図書館の幽霊』や『生首地球儀』以外の七不思議についても教えていただけたら嬉しいです」
「そ、そう? ごめんね……それじゃ、ま、七不思議について話しますか」
 奈々は机の部誌を手に取ると、佳久にも見えるように広げながら話し始めた。

「……という訳で、当時はオカルト雑誌にも載ったそうよ。ただもう何年、何十年も前の話だから、古本屋さんで探しても見つけられるかどうか」
「この図書室には無いですかね? この学校の七不思議が書いてあるなら、書庫とかに置いてある可能性も捨てきれないと思うんですが」
「いやあ、さすがにもう捨てちゃってるんじゃない?」
 七不思議の話題に花を咲かせていたその時、下校時間を告げるチャイムが響いた。どこの学校でも同じ物が使われているだろう、古臭いお決まりのメロディ。佳久は机の部誌を一まとめにした。
「そろそろ帰りましょう、先輩。僕は電車通学なんですけど、先輩は?」
質問しながら鞄を脇に挟み、部誌を抱える。肘でドアノブをつついて肩で押し、扉を開けた。そこで初めて奈々を振り返った佳久は、再び地雷を踏んだ事を自覚した。眉を下げながら笑った奈々の顔に、夕映えの赤が影を落としている。
「私はほら、ね? お迎えが来てくれるまで、ここにいなきゃならないから」
「あ……すいません、先輩。無神経な事言って」
「ううん、気にしないで。それじゃあ佳久君、また気が向いたら図書室にいらっしゃい。もし文芸部で話が聞けたら、私にも教えてね? おつかれさま」
 さよならと手を振る奈々を自習室に残し、佳久は図書室を後にした。渡り廊下を通って南棟に向かい、その一階でスニーカーに履き替える。校門から駅へと向かう長い下り坂は夕日で真っ赤に染まり、春先だというのに木々が赤く色付いて見えた。今日までは夕暮れ以前に下校していたから気付かなかった幻想的な光景。これも奈々が見せてくれたものだと思うと、感謝してもし尽くせない気持ちになる。部活帰りらしい先輩たちと一緒に、佳久は黙々と山道を下る。奈々に携帯の番号やメアドくらい聞いておけばよかったと気付いたのは、電車に乗ってからだった。

第二章

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