二:七不思議が生まれる日

 翌朝。ウォークマンでお気に入りの曲を聞きながら、佳久は高揚園駅に降り立った。高揚学園に向かう生徒のほとんどが利用する駅ながら、ホームはたった二つ。私鉄沿線の終着駅だという事を差し引いてもさびれた駅だ。駅前にコンビニがある以外は高校生が喜びそうな施設は一つもない。だからこそ勉学に集中できて云々などと先生方は言うのだろう。佳久とて帰りに買い食いできるフードコートが欲しいとまでの贅沢は言わないが、せめて本屋の一軒くらいは欲しかった。
 先輩たち、そして既に友達を作った一年生は駅のホーム、そして降りてからの道すがら声を掛け合っている。同じクラスで見知った顔でもいれば声をかけ、あわよくばそこから友達付き合いを……と企んでみても、残念ながら同じクラスの人間は見当たらない。同じ中学から進学した奴が一人でもいれば少しは違っただろうか。そんな風に考えた時、ふと奈々の顔が佳久の脳裏をよぎった。もし先輩を見かけたら声をかけよう、そう思いながら山道を登りきった頃には息が上がっていた。考えてみれば下校にもお迎えが来るくらい病弱である以上、こんな山道を一人で上っている訳が無いのである。一つ溜息を漏らし、佳久は教室へ向かった。

 四時間目の授業も終わり、佳久は机で背伸びをする。窓際一番後ろの席だからこそ、後ろの人間に気を使う事無く動けるのは意外と便利だった。隣では数人集まった女子が机を固め、一つの大きなテーブルにして食事を始めようとしている。おかずの交換などで盛り上がるのだろうが、佳久にはそんな相手はいなかった。教室を見渡せば一人で弁当を食べている人間がちらほら見えるのだが、弁当を食べた後で図書室へ行こうと考えている身としては声をかけづらい。弁当の中身を楽しみにしながら、佳久は蓋に手をかけた。

 食事を終え、佳久は足取り重く教室を出た。冷めたエビチャーハンだけならまだ良かった。おかずはパイナップルと人参とピーマンだけの酢豚と湿気た春巻き、そして苦手なピータン豆腐という現実にも耐えきれた。挙句の果てには漏れ出した酢豚の餡が弁当全てを蹂躙していたとしても、だ。しかし、それら全てが同時に襲いかかって来たら手に負えない。曖昧模糊として名状しがたい味だった。いくら昨日の夕飯の残りで再構成した弁当とは言っても、ラブクラフト的な表現を使わざるを得ない時点で人の食べ物というカテゴリから脱却しつつあった。しかも水筒に入っていたのがお茶ではなくカツオ出汁だったと知った時には死ぬかと思った。
「『死ぬかと思った』と思えている時点で、まだ生きてるんだよな…」
 自分でも良く分からない事を呟きつつ、北棟のさらに向こう、学食前の自販機でペットボトルのジュースを買う。見た事のない柘檸蘆というジュースだったが、柘榴の甘味と檸檬の酸味、そしてアロエの青臭さが混じった味だった。意外に美味い。いったいどこの会社が作っているのか。しげしげとペットボトルを眺めて自販機の前で立っていると、横合いから誰かが歩いてきた。
「悪い、ちょっとそこ通してくれるか?」
 かけられた声に振り向くと、そこには背の高いショートボブの女生徒が立っていた。佳久は平均的な身長だが、それより頭一つ大きい所を見ると180センチ近いのではないだろうか。しかも何か機嫌を損ねるような事でもあったのか、目付きが鋭い。佳久は彼女を刺激しないよう、小さく頭を下げるとその場を離れる。彼女からは何故か、少し埃っぽい臭いがした。

「……という事があったんですけど、まさかスケバンとかじゃないですよね?」
 昨日と同じ、一番奥の自習室。奈々に質問すると、彼女は吹き出した。俯きながら肩を震わせ、必死になって笑いを堪える。しばらくしてやっと笑いの波が去ったのか、奈々は目尻の涙をぬぐいながら顔を上げた。
「あー、おかしい。佳久君、七不思議を信じるのはとにかくとして、スケバンは無いわよ、スケバンは。今時そんなの流行らないわよ?」
「そんなに笑わないでくださいよ、先輩。僕だって本気で言ったわけじゃないんですから……ああそうだ、スケバンとは関係ないですけど、良かったら携帯の番号とか教えてもらえませんか?」
 ポケットから携帯を取り出す。高校入学を機に買って貰った物なので、傷一つ付いていない最新型だ。昨日説明書を読んで覚えた赤外線通信を準備しようとすると、奈々は照れ臭そうに笑った。
「ごめんね、私、携帯持ってないのよ」
「あ、そうか。そうですよね、心臓に悪いですしね」
 電源を切り、ポケットに携帯をしまう。携帯の電波が心臓のペースメーカーを狂わせるというのは嘘と聞いた事はあるが、それでも体に良いわけではない。そもそも奈々がペースメーカーを装着しているかどうかさえ知らないわけだが、念には念を入れた方がいい。
 その後は他愛も無い話で時間をつぶし、佳久は教室へ戻る。放課後はクラブ説明会に行くから図書館には行かない旨を告げると、奈々は柔らかな微笑みを見せながら佳久の額をつついた。
「私の事を気にしてくれるのは嬉しいけど、ちゃんと同学年の友達も作らなきゃ駄目よ? 高校生活なんて短いようで長いんだから。私しか知り合いがいないのはお姉さん、感心しないな。文芸部じゃなくても、面白そうな部活があったら行ってみた方が良いんじゃない? それじゃ、おつかれさま」
 佳久は素直に頷き、図書室を辞する。奈々の言葉ももっともだ。奈々は三年生なのだから、あと一年しか学校にいない。彼女が卒業してしまった後の二年間を孤独に過ごすのは確かに面白くないだろう。教室でももう少し人と話した方が良いだろう。そう思いながら、佳久は教室へ戻った。

 午後の授業を終え、教室から講堂へと向かう。西の渡り廊下は北棟と南棟を結ぶ一直線だが、東の渡り廊下はT字型で、講堂へ向かう渡り廊下も伸びている。混雑する入り口で案内用のパンフレットを受け取り、佳久は割り当てられた椅子に座った。出席番号順なので、A組の佳久はかなり前の席だった。既に部活を決めているらしい人、そもそも部活をするつもりが無い人などは講堂には来ずにそのまま帰ったのだが、歯抜けになっている席の少なさから見れば大部分の一年生はこの説明会に出席しているようだ。
 舞台の方を明るくしているためか、薄暗い講堂。一年生のさざめく声が落ち着いてきた頃、壇上に一人の生徒が上った。司会進行らしいその先輩によって、数々の部活動が紹介されていくのだが、まずは運動系のクラブからだったので佳久はぼんやりと聞き流していた。走るのも遅ければ腕力も無い、スタミナも皆無。根っからの文化系人間である佳久に、運動系のクラブに所属するなどという選択肢は最初から存在しなかった。だが隣に座っている女子はそうでもないらしく、目を輝かせて説明に聞き入っている。入学式の時も隣に座っていたこの女子、確か黒木ちどりと言ったはずだ。長めの髪を無造作にヘアゴムで留めている髪型からも、彼女の活発さが見て取れた。
「それでは、運動系のクラブ紹介は終わりです。次は文科系クラブの紹介へ移りたいと思います。それでは最初は文芸部です、どうぞ」
 司会が声をかけると、舞台袖から二人の男子生徒が姿を現した。それと同時に、一年生から笑い声とざわめきが漏れ始める。理由は単純、一方が黄金の大仏マスクを被っていたからだ。文芸部と大仏に一体何の関係があるのだろう。文科系クラブと聞いて途端に退屈そうになったちどりも、食い入るように見つめている。
 二人は舞台中央に立つと、マイクスタンドの位置を微調整し始める。明るい舞台の照明がマスクに反射し、きらきらと眩しい。しかも首から下は学ラン。笑うなという方が無理な話だった。やがてマイクの調整が完了したのか、大仏ではない方が眼鏡を押し上げた。大仏を傍らに従えた眼鏡は大きく息を吸うと、せっかく調整したマイクスタンドからマイクをもぎ取って話し始めた。
「諸君、我々は文芸部だ。諸君らは文芸部をどのようなクラブだと思っている? よしんば本を読むだけのクラブだと思っている者がいるならば、声を大にして言わねばならぬ。否。断じて否、だ。諸君、我々文芸部は新世紀に輝ける道を切り開く、技術者集団だ。良いか諸君。何処から来たのか覚えていて、何処へ行くのか分かっている。そんな旅は本当の旅ではない。意味も意義も忘れ、何も得ず何も失わない。故に、我らが生涯に意味は無い。だからせめて、終焉まで積み重ねる永劫を、胸に刻んで歩いて行く。我々の存在した、確かな証として。切ない過去も歪んだ今も、未来へ続く一歩なのだと信じて。もう一度言おう。諸君、我々は技術者集団だ。本を読むだけ? ナンセンスだ。我々はクリエイターだ。創造者なのだ! 我こそはと思う者は部室の扉を叩きたまえ。部室棟の二階階段付近、バレー部の向かいで生徒会室の隣が我らの部室だ。それでは、気骨溢れる者はまた会おう。さらばだ!」
 眼鏡はマイクをスタンドに戻すと、颯爽と舞台袖へ退いていく。大仏は深々と一礼すると、最後まで一言も発さずに眼鏡の後から退場して行った。彼は何のために出てきたのか佳久には全く理解できなかったが、一つだけ分かった事がある。あの文芸部は駄目だ。七不思議について知っていそうな雰囲気が微塵もない。それに技術者だとかクリエイターだとか言っていた以上、小説や詩を書くクラブなのだろう。そう考えた時、佳久は『忍者と恋心は"忍ぶほど"良い』と書かれた部誌を思い出した。あれが去年の文化祭の物ならば、作ったのはあの大仏と眼鏡、そしてその仲間という事になる。やはり頼りになりそうになかった。
「……えー、気を取り直しまして。次はミステリー研究会です、どうぞ」
 司会も呆れた口調で次のクラブを呼ぶ。そして舞台袖から出てきたのは、昼休みに見た背の高い女生徒だった。彼女はマイクの前に立つと一瞬目を閉じ、そしてゆっくり開く。昼休みは不機嫌なのかと思ったが、どうやら彼女の視線の鋭さは生まれ持っての物らしい。だが、腕を組んで壇上に立った彼女は、怖さよりも凛々しさが際立っていた。
「ミステリー研究会会長、浦葉月だ。誤解されると嫌だから最初に言っておくが、我々は推理小説を研究するクラブじゃない。魔術やUFO、オーパーツに未確認生物。妖怪、幽霊、都市伝説。そういった諸々のミステリーを研究するクラブだ。不思議な事、オカルトな事。そういった物に興味があるなら、ミステリー研究会に来てほしい。部室は部室棟の一階、一番奥だ。部室棟、分かるか? 北棟の東の方、学食の横にある建物だ。見学だけでも構わないから、ミステリーが好きなら一度顔を出してくれ。以上だ」
 軽く一礼し、葉月は舞台袖へ消えて行った。司会は次のペンシルパズル同好会を呼んでいるが、佳久の気持ちは既に舞台から離れていた。ミステリー研究会なら、七不思議について知っているかもしれない。いや、むしろ知らない方がおかしい。入部するかどうかはとにかく、部室に顔を出して部員から話を聞くのは面白いかも知れない。
 佳久は期待に胸をふくらませ、隣のちどりは退屈そうにパンフレットを眺めながらあくびを噛み殺す。やがて鉄道研究会で文科系クラブの紹介が終わる頃には、ちどりは佳久の肩に頭を預けて眠りこけていた。
「……それでは、これでクラブ説明会を終わります。一年生の皆さん、お疲れ様でした。クラスごとに順番に、押し合わないように退出して下さい」
 司会が頭を下げる。A組の生徒が立ち上がって歩き始める中、佳久はちどりの肩をつついた。最初のうちは無反応だったが、多少強くつついた所でちどりは目をこすり始めた。
「あー、寝ちゃってたか……えーっと、大庭君だったっけ? 起こしてくれてありがと。それとごめんね、肩借りて」
 照れ笑いをしながら立ち上がり、ちどりは佳久と一緒に歩き始める。どうやら友達は一緒ではないらしい。もしかすると、彼女も自分と同じで友達が出来ていないのかも知れない。そう考えると、少しだけ佳久は楽になった。
「にしても文芸部のアレ、凄かったね。何が言いたいのかはさっぱり分かんなかったけどさ」
「うん、あれは凄かった。文芸部に入ろうかと思ってたんだけど、目が覚めたよ。あの部にだけは絶対に入らない」
「あはは、酷い事言うね。まあ私はもともと文科系の部活に行くつもりは無かったけどさ。バスケに卓球、陸上も面白そうだし……」
 話をするのは今が初めてなのだが、ちどりは持ち前の人懐っこさで巧みに佳久との会話をリードしていく。ちょうど渡り廊下のT字路に差し掛かり、佳久は立ち止った。
「僕はミステリー研究会を見学に行くつもりだけど、黒木さんはどうするの?」
「あ、私も見学。とりあえず今日はバスケ部の見学に行こうかなって」
 ちどりはパンフレットを開き、女子バスケ部の部室を確認する。部室棟一階の奥の方……ミステリー研究会の斜め向かいだった。
「お、偶然。じゃあ大庭君、部室前まで一緒に行こうぜ!」
 ちどりは元気に笑い、佳久の手を引いて走りだす。慌てて付いて行きながら、佳久は安堵していた。これを契機に、彼女と友達になれそうな気がする。そして佳久のその予感は、結果としてそれ以上の結末をもたらすのだった。

「お、ここだね。それじゃ私はこっちのバスケ部に行くけど……その前に、携帯ある? メアドとか交換しようよ」
 ちどりは鞄から携帯を取り出す。この年頃の女子には珍しく、ストラップは一つだけ、ビーズなどでデコレーションもしていない。彼女の性格を映したようにシンプルな携帯だった。佳久も携帯を取り出し、赤外線通信を準備する。
「えーと……よし、通信完了! じゃあまた明日教室でね、大庭君」
 にっこり笑って女子バスケ部の部室をノックするちどりを見送り、佳久はその右隣にある天文部の向かい、ミステリー研究会の扉を叩く。ややあって、内側から扉を開けたのは眼鏡をかけた男子生徒だった。彼は佳久の首筋、徽章を見る。一年生かどうかを確認しているのだろう。
「一年生か。君、入部希望かな? まあ立ち話も何だしね、とりあえず入って」
「それじゃ、失礼します」
 部室は意外と広く、右の壁際には本や珍妙な道具が並べられた本棚。左には黒板がかかっていて、その横にはポスターが飾られている。ルネ・マグリットの半魚人の絵だ。奥には大きな机が陣取っていて、その前に長机が二つを挟んでパイプ椅子が置かれている。ただ、古い本が多いからか、建物自体が古いからか、どことなく埃臭かった。
 パイプ椅子には向かい合って男女一人ずつが座っている。前髪が長く表情が見えない女性と、髪を茶色に染めた男性だ。奥の机には説明会で喋っていた葉月が座っていた。彼女は立ち上がると黒板へ向かい、チョークを取った。
「いらっしゃい、一年生君。さっきも講堂で言ったけど、あたしの名前は浦葉月。ミス研の会長だ。そっちの眼鏡は家津暁で、こっちの茶髪が鈴原継隆、メカクレは井上円だ。全員二年生。それで君、名前は?」
 葉月は小気味いい音を響かせながら黒板に全員の名前を書き、チョークを放り投げた。放物線を描き、チョークは佳久の手に収まる。佳久は黒板に自分の名前を書いた。
「なるほど、大庭君ね。で、君はどういったタイプの『ミステリー』が好きなんだ? 魔術か? UFOか? それとも都市伝説?」
「おい葉月、はしゃぎ過ぎだ。質問する前に細かい説明とかあるだろ」
 継隆が呆れ声で注意し、葉月は舌打ちしつつもしぶしぶ自分の椅子に戻る。そんな彼女に苦笑いしながら、継隆は佳久に椅子をすすめた。暁もいつの間にか扉の横から円の隣に座っているのを見て佳久はお言葉に甘え、継隆の隣に腰を下ろす。
「俺は鈴原継隆、二年D組だ。好きなのは魔術や錬金術で、これは葉月も一緒。うちは一応ミス研って事で部室は貰ってるけど、基本的には全員一緒に研究するってクラブじゃないんだ。個人個人で好きな事を調べたり、ここで駄弁ったりするのが主な活動だな。暁、他に付け加える事あるかな?」
「そうだね、蔵書の扱いに関して説明しておくよ。そっちに本棚があるだろう? あれはほとんど俺の私物だ。読みたければ好きに読んでいいけれど、読み終えたら元の場所に戻しておいてくれ。他の道具に関しても、壊さなければどう使っても良い。本以外は井上の物が多いけどね。ただ、部長の席の隣にあるロッカー。あれには色々貴重な品が入っているから、許可なく触らないように。鍵は会長が管理しているから、開けたくても開けられないとは思うけどね」
 継隆に続き、暁が眼鏡を押し上げながら説明する。言われて本棚を見れば、オカルト系の雑誌がズラリと数年分並んでいる。怪物事典、悪魔事典、ジョージ・ヘイのネクロノミコン……様々な資料も充実していた。高校生の個人所有としては、相当な物ではないだろうか。
「それと、部室の鍵は職員室な。その辺の先生に言えば場所は教えてくれるわ。基本的にはいつ部室来ても構わへんけど、扉に『立ち入り禁止』ってプレートあったら、そん時はうちが狐狗狸さんとかチャネリングとか実践しとる時なんよ。人が入ってきて集中力途切れたらあかんから、プレート出とったら入らんといてな」
 円がホテルにある『掃除して下さい』プレートのような物を見せる。髪型からは大人しそうな、ともすればネクラそうな印象さえ受けたが意外に饒舌だった。その上関西弁。佳久は他人を第一印象で判断する愚を噛みしめた。
「なあ、説明はもうそのくらいで良いだろ? 大庭が入部するんなら追々覚えていけばいいんだし、入部しないなら説明するだけ無駄になるじゃんよ」
 葉月は机に頬杖をつき、そのハスキーな声を不機嫌そうに響かせた。円は肩をすくめると立ち上がり、プレートを本棚に置いた。そして収められていたファイルから紙を一枚取り出すと、シャーペンと一緒に佳久に差し出す。受け取ってみると、それは名前とクラスを書く名簿のようだ。ただし、名前自体は一つも書かれていない。
「葉月ちゃん、せっついたらあかんよ。慌てる乞食は貰いが少ないって言うやん。それにほらこれ、大庭君に書いてもらわなあかんのやし」
「先輩、これは?」
「仮入部者のリスト。仮入部する気があるなら、とりあえず名前書いといてくれ」
 葉月が机に上半身を投げ出しながら投げやりに答える。佳久はさっそく自分の名前を書き始めた。七不思議について知りたいし、このクラブもなかなか面白そうだ。魔術や狐狗狸さんと、自分とは専門分野こそ違いながらも色々詳しそうな先輩。話しやすそうな人たちでもあるし、入部するデメリットは感じられなかった。即入部でも構わないのだが、仮入部にするのも何らかの事情があるのだろう。新入生の分際で細かく聞くのも失礼だと思い、佳久は素直に従った。
「名前、書けましたよ」
「でかした、これでお前さんはミス研の仮部員だ。で、さっそくだけどさ。好きな不思議、何?」
 途端に起き上がり、目を輝かせて質問する葉月。その勢いに気圧されつつ、佳久は学校の七不思議、都市伝説の類だと答えた。
「奇遇だね。俺の専門分野も都市伝説なんだ。ほらそこ、ブルンヴァンの著作はほとんど揃えてる。まあ、七不思議の方はこの学校の物しか知らないけどね」
 嬉しそうに暁が本棚を指さす。その先にあったのは、佳久にとっては宝の山だった。欲しかったけれど小遣いが足りずに買えなかった本、絶版で手に入らない本。様々な高嶺の花を前に感動に震える佳久だったが、暁の言葉を聞き逃しはしなかった。
「家津先輩、この学校の物しかって事は、この学校の七不思議は知ってるんですね!?」
「うん、まあ、ミス研だからね。ここにいる全員が知ってるよ。図書室の幽霊、緋色のセーラー服、二年B組41番、コノユビトマレ、黄昏バスケ、幽霊ボーカル、生首地球儀。この七つだね」
「生首地球儀?」
 奈々も知らなかった、姉の言っていた「七不思議」の名前だ。佳久の反応に気を良くしたのか、葉月はにやりと唇の端を吊りあげた。
「ちょっと図書館で調べたんですけど、昔の文芸部誌には『首吊り階段』が七不思議に入ってたんですよね。でも、姉……ああ、三つ年上の、今年ここを卒業した姉がいるんですけど……その姉から聞いた話では『生首地球儀』だったんですよ。いったいどういう話なのか、教えてもらえませんか?」
 暁は眼鏡のブリッジに人差し指と中指を添える。くい、と細い真鍮フレームを押し上げた暁は落ち着いた口調で話し始めた。
「大庭君、君は社会科資料室に入った事は? そうか、無いか。そうだね、新入生だしね。なら今度機会があれば入ってみると良いよ、一人でね。地理の授業で使う地図なんかが置いてあるだけの部屋で、あまり面白みは無いけどね……ここからが本題なんだけど、その部屋にはいくつか地球儀があるんだ」
 ごくり、と唾を飲み込む。暁の横にいる円の表情は見えないが、口元は微笑んでいるように見える。葉月はチェシャ猫に似た笑みを漏らしているし、継隆は隣で何も言わずに足を組んでいるが目は確かに笑っていた。本当にオカルトが好きな人間の集まりなのだと思うと、佳久は嬉しかった。
「その中の一つ、一番古い地球儀。その地球儀はとある条件が重なった時、人の生首になって話すそうなんだ。どういう条件を満たせばいいのかは伝わっていないけれど、少なくとも一つは『一人で社会科資料室に行く事』みたいだ。時間は放課後だったり昼休みだったり、まちまちに伝わっているし、その他の条件は分からないけどね。そうそう、その生首が話すと言ったけど、その内容は声を聞いた人間の死因だという話だよ。水死、焼死、その他色々……その生首はかつてこの学校に勤めていた日本史の教師が化けて出ている、なんて話もあるけど、どこまで事実かは分からない」
 まあ七不思議なんて大概はうすぼんやりとした物だよねと付け加え、暁は話を終えた。分かりやすい話し方だったが、幾度か話した事があるのだろう。さすがミス研の先輩だ、と佳久は舌を巻いた。怪談やオカルトは好きなのだが、どうにも佳久はそういった話を語るのは苦手なのだ。
「なるほど、そういう話だったんですか……ありがとうございます、先輩。もう少し聞きたいんですけど、その話っていつ頃から広まったんですか? 部誌に書いてあった七不思議がいつ消えてしまったのか知りたいですし、教えて欲しいんですが」
「そうだね、いつ頃かな。浦、俺達が入学した頃には広まってたっけ?」
「さあね、覚えてないよ。この学校の皆が皆、七不思議が好きなわけじゃあるまいし。ただ、去年の夏休み前には時々聞いたかな。クラスの子に、『こういう話を聞いたんだけど、本当?』って言われたりさ」
 ふふ、と葉月は小さく笑った。眼光の鋭い彼女が笑うとどこか魔女的な凄味が伴うのだが、佳久はさすがにそれを直接口にするほど阿呆ではなかった。その後佳久はしばらく先輩たちとオカルト話をしながら待っていたのだが、結局入部希望者は佳久を除いて誰も来なかった。

「そろそろ帰ろうぜ。俺、腹減ってきた」
 継隆の言葉に腕時計を見れば、確かに下校時刻が近い。先輩たちが鞄を持つのを見ながら、佳久も立ち上がった。葉月はポケットから鍵を取り出し、ネームプレートと鍵を繋ぐリングに指をかけて回し始めた。青いネームプレートに書いてある文字は回転していて読めないが、多分『ミステリー研究会部室』と書いてあるのだろう。全員で部室を出ると最後の葉月が部室の電気を消し、扉に鍵をかける。軽く宙に投げられた鍵はキラキラと曇りなく輝いていた。
「んじゃ、職員室に鍵返してくる。大庭君は一緒に来な。鍵の場所、教えてやるよ」
 葉月が左手で鍵をキャッチしたのを見た次の瞬間、ぐいと佳久の体が引っ張られる。それが葉月に手を掴まれているからだと理解し、佳久は少し顔が赤くなった。奈々とは違った快活さで手を引く葉月はずんずんと廊下を進み、一行は職員室前に到着する。
「ああ、言い忘れてたけど顧問は国語の内倉先生だから。とは言え、部室に顔出す事なんて万に一つも無いけどさ」
 失礼しまーす、と少しも失礼だとは思っていない間延びした口調で声を上げ、葉月は職員室の扉を開けた。入ってすぐ右の壁際、鍵がたくさん並んだコルクボードがある。その中の『ミステリー研究会部室』と書かれたラベルの下のフックに鍵をかける。どれも似たような鍵の形なので、ちゃんとラベルの位置を覚えておかないと探すのに手間取りそうだ。
「さて、それじゃ帰るか。大庭君は電車通学? あたしらは全員電車なんだけど」
「僕も電車通学です、浦先輩。高揚園から粛川まで行って、そこで乗り換えて朝比奈北口です」
「ああ、じゃあ粛川まで一緒だな。あたしたちは鳥飼市の方だからさ、山王宮なんだ」
 朝比奈北口と反対方面の駅名をあげながら葉月は職員室から出る。廊下で待っていた三人と合流し、全員で昇降口へ向かった。日は既に落ちつつあり、夕焼けの赤は今日も稜線を染め上げていた。山道をのんびりと下りながら、佳久はこの人達とならうまくやっていけそうな気がしていた。

 翌日。高揚園駅で降りた佳久は前を歩くちどりを見つけた。小走りで近寄り、声をかけようとする……が、彼女はどんよりと暗い雰囲気だった。昨日の元気さとは打って変わって、今にも死んでしまいそうな雰囲気。明るく声をかけるには一大決心が必要だが、声をかけない事も人道にもとる気がする。逡巡した結果、佳久は無難な挨拶をする事にした。
「おはよう、黒木さん」
「あ、大庭君おはよ……」
 漫画やアニメなら間違いなく顔の上半分が青く塗られた上で縦線が並んでいるだろう、どんよりと暗い表情。目の下には色濃くクマが形作られ、覇気という物が一切感じられない。ゾンビが実在するならこんな顔色だろうかと、佳久はかなり失礼な感想を脳裏に浮かべた。
「ねえ大庭君。大庭君ってさ、ミス研に入ったんだよね?」
「あ、うん、まだ仮入部だけどね。どうしたの、黒木さんもミス研に入るの?」
 軽い気持ちで聞いてみたのだが、ちどりは「今ここでシュールストレミングの缶詰を開けてもいい?」と尋ねられた時もかくやと思わせる大袈裟な身振りで首を横に振った。今日もヘアゴムで纏められた髪が左右に跳ねまわる。
「無理無理無理! 私、怖い話駄目なんだもん!」
 駅前で大声を上げたちどり、そしてその横に立つ佳久を周囲の学生は何事かと見つめる。佳久にとって幸運だったのは、ちどりの言葉が痴話喧嘩や痴漢被害には聞こえない物だった事だろうか。駅員が飛んでくる様子も無い事を確かめ、佳久は胸を撫で下ろした。
「あ、ごめんね大庭君、大声出して……私さ、怖い話って大の苦手なのよ。なのに、なのにさあ!」
 ちどりは目尻に涙を浮かべる。感情の振れ幅が激しいのか、百面相でも見ている気分だった。そんな彼女に気圧されながら、佳久は通学路を指さした。
「とりあえず、歩きながら話そうよ」
 ちどりは頷き、佳久の横に並んで歩き始めた。駅からすぐの階段を上れば、あとは学校まで延々と登山が続く。アスファルトで舗装されているのがせめてもの救いだったが、夏場には替えのシャツも持ってきた方が賢いかもしれない。
「あのね、昨日女子バスケ部に行って、そこで仮入部したんだ。そしたら部長がさ、『この部室には幽霊が出る』なんて言い出すわけよ」
「幽霊? 女子バスケ部の部室に?」
 七不思議の『黄昏バスケ』が男女どちらの幽霊なのか佳久は知らなかったが、場所は中庭だったはずだ。部室に出る幽霊の話は聞いた事が無い。
「そう、部室に。床下からうめき声が聞こえたり、えーと、なんて言うんだっけあの部屋で勝手に音がするの」
「ラップ音?」
「そう、それそれ! ラップ音がしたり、壁のカレンダーが勝手に落ちたり……」
 典型的な騒霊現象。一般的にポルターガイストと呼ばれる物だ。思春期の少女がいる家で起こる事が多いなどと言われているが、それが学校の部室で発生したのだろうか。
「それで、大庭君に頼みたいんだけど……部室の幽霊、どうにかして!」
「えぇっ!?」
 雨に打たれた仔犬のような瞳で佳久を見つめるちどり。しかしそんな目で見つめられたところで佳久は『大庭佳久は普段は平凡な高校生。しかし実は人類に害をなす妖怪や悪霊を退治するために人知れず戦う霊能力者だったのだ!』という展開に持っていけるだけの異能の持ち合わせは無かった。三年ほど前は割と本気でそういう人生を目指していたのだが、残念ながら佳久の先祖は代々農民で勇者や魔神はいなかったし、異世界から姫君が迎えに来る事も左腕に謎の紋章が浮かび上がる事も無かった。祖父の家の物置にもかつて妖怪を屠った伝説の刀や槍は無かったし、スプーンを力技で曲げた時には母親にこっぴどく叱られた。人気のない河原で漫画に出てきた魔法の呪文を詠唱する練習をした事実は墓場まで持っていく秘密である。
「その、僕はただオカルトが好きってだけで幽霊退治とかはちょっと専門外で……」
「そっか、まあそうだよね……」
 がっくりと肩を落とすちどり。そんな彼女の横顔を見ていると、自分がどうにかしなければならない気がしてくる。それがただのお人好しな錯覚だと分かっていても、佳久には自分を止める事が出来なかった。
「とりあえず先輩に相談してみるよ。気休めかもしれないけど、お祓いの真似事くらいならしてくれるかもしれない」
「ホント!? ありがと、大庭君!」
 感極まったのか、仔犬のように跳びついて喜びを表現するちどり。さすがに倒れはしなかったがたたらを踏み、佳久はちどりの肩を両手で押さえた。仔犬は仔犬でも、ラブラドールレトリーバーだ。自分の感情に素直なのは良いのだが、人目がある所ではさすがに恥ずかしかった。
「相談してみるだけで、解決できるとは言わないけどね。それで、その幽霊騒ぎはいつ頃から?」
 両手でちどりを放しながら、佳久は問いかける。先輩に相談するにはちどりも一緒に行く方がいいだろうが、少しでも情報を聞いておきたかったのだ。
「少なくとも今年から。女子バスケ部って、今年から二年生の先輩が中心になって作ったクラブで、部室を貰ったのは今年からなんだって。それで、去年廃部になったエス…何とか語研究会の部室を貰った時にはうめき声とかは聞こえてたらしいよ」
 恐らくエスペラント語だろう。地球の共通言語だ。
「なら、ミス研とバスケ部の他、天文部にも話を聞いた方がいいかもね。何か知ってる可能性があるし」
「あ、天文部って去年から部員ゼロで、誰も居ないんだって。昨日の説明会にも居なかったし。あと、左隣はファッション部とかいうのが使ってたらしいけど、何年か前に廃部になって使ってないって。ほら、部室棟の横ってすぐ山で、日当たり悪いでしょ? 手前はまだ体育会系に人気があるけど一階の奥の方は特に人気なくて、ミス研以外の文化系は二階の部室を使ってたらしいよ」
 とすると、話が聞けそうなのはミス研しかないだろう。先輩たちが何らかの情報を持っていればいいが、持っていなければいないで実地調査も出来るだろう。
「ねえ、黒木さん。僕、昼休みに部室に行って先輩に話を聞こうと思うんだけど、付き合ってくれない?」
 本来はちどりに話をしたというバスケ部の部長を呼べるといいのだが、面識が無い相手をいきなり呼びつけるのは憚られた。部長はまた今度呼んでもらう事にして、まずはちどりから先輩に話をさせるべきだろう。
「今日の? 別に良いよ。どうせ暇だし、早めに解決するならその方が嬉しいしね」
 ちどりは嬉しそうに笑みを浮かべる。その信頼に応えられるかは不安だが、出来るだけの事はしよう。佳久はひそかに決意を固め、校門をくぐった。

 昼休み。昨日必死になって懇願した事もあり、今日の弁当は白米とピーマンの肉詰め、もやしのカレー炒めとプチトマトという至極普通な物だった。汁気の物は入っていないので、白米が変な色に染まる事も無い。箸を取り、いただきますと呟く。
「ねえ大庭君、一緒に食べない?」
 弁当箱が入っているらしいピンクの可愛い巾着を見せ、ちどりが微笑んでいた。佳久に断る理由は無いが、ちどりはちどりで友達付き合いが無いのだろうか。もしかして、昨日の予感通りに彼女もまだ友達が出来ていないのかもしれない。学食に行っているらしい前の席の椅子を勧めながら、佳久はそんな事を考えていた。
「ありがと、大庭君」
 ちどりは椅子を回転させると、佳久と向き合う形で弁当箱を広げる。佳久のそれより一回り小さい弁当箱には卵焼きやソーセージ、ブロッコリーなどが入っていた。いかにも女の子らしい弁当だった。
「じゃ、いただきます!」
 手を合わせ、満面の笑みを浮かべる。佳久も自分の弁当に箸をつけるが、ふと考えてみると女子と二人きりで弁当を食べる事など、奥手な佳久にとって人生で初めての体験だった。緊張のあまりに味のしなくなったもやしを噛みしめつつ、佳久はちどりの求めに応じてピーマンの肉詰めと卵焼きを交換していた。

「御馳走さま」
「ごちそうさまっ!」
 ちどりが自分の席に弁当箱を片付けに行っている間に水筒から食後のお茶を一杯。さすがに今日はカツオ出汁ではなく普通のお茶だった。ちどりは自分の机に巾着袋を押しこむと、弾むような足取りで佳久のもとへ向かってくる。
「それじゃ、部室に行こうか。先輩がいるかは知らないけど、その時はその時で考えよう」
「ん、了解」
 元気良く返事するちどりと共に教室を出る。A組からD組まで廊下を歩き、東側の渡り廊下を取って部室棟へ。一番奥へ行こうとすると、廊下の突き当たりで壁にもたれて携帯をいじっている継隆が目に入った。
「あ、鈴原先輩」
「ん、ああ、大庭か。そっちの子は?」
 ちどりは軽く頭を下げる。頭の後ろで髪が跳ねる様は草原を駆けるポニーの尻尾を彷彿とさせた。
「黒木ちどりです。今日はちょっと、女子バスケ部の部室の事で相談があって……」
「……部室がどうかしたかな? ああ、もしかしてミス研でやってる交霊実験の音がうるさいとか?」
 継隆は言葉を選んで喋っているように見える。なるほど確かに、間に廊下を挟んでいるとは言っても御近所さんだ。波風を立てたくないのだろう。佳久は下手に口出しせず、ちどりと継隆に任せる事にした。
「ああいや、そうじゃなくって。バスケ部としてじゃなく、私個人でのお願いというか……部室の幽霊騒ぎを解決してほしくて」
「おい、幽霊騒ぎって何だ? 大庭、説明してくれ。とりあえずうちの部室に入って……」
 ドアノブに手をかけようとし、継隆は動きを止める。見ればそこには深緑色に白抜きで文字が書かれているプレートがあった。円が言っていた、『立ち入り禁止』のプレートだ。
「ああ、そうだった。今は円が実験やってるんだったな……仕方ない、学食の方に行こうぜ」
 先導するように歩きだした継隆の後を追う。食堂前の自販機で立ち止まった継隆はポケットから財布を取り出すと五百円玉を飲み込ませた。
「大庭と……黒木さん、だったよな。おごるけど、何がいい?」
「いやそんな、悪いですよ」
「そうですよ、私は相談に乗ってもらいに来たのに」
 二人で遠慮するが、継隆は気にも留めずにオレンジジュースを買いながらポケットに財布を戻す。
「遠慮するなって。少しは先輩っぽい事させてくれたっていいだろ? 後輩出来て嬉しがってる先輩の気持ちってものをもう少し考えてくれよ」
 そこまで言われてしまっては、遠慮するのも悪い気がしてくる。佳久は昨日も飲んだ柘檸蘆を、ちどりはメロンソーダのボタンを押す。残った五十円玉を継隆に返すと、彼はもう一度財布をポケットから取り出した。だが、取り出した向きが悪かったのだろう。雑多に入れられていた数枚のカードが床に転がった。つるりとした床は思いの外よく滑り、カードは様々な方向へと散らばって行った。
「あちゃあ……悪い、ちょっと拾うの手伝ってくれないか?」
 そのくらいお安い御用だ。佳久とちどりは頷くと、方々へ散ったカードを迎えに行く。レンタルビデオ店のカード、ネットカフェのポイントカード、ファーストフード店の割引チケット、携帯電話のプリペイドカード、アーケードゲームのデータカード……様々なカードを回収し、継隆に手渡した。
「ありがとな。いやあ、少しは整理しなきゃいけないとは思うんだけど、億劫でさあ」
 笑いながらカードを財布に戻し、継隆は二人を連れて食堂に入る。昼休みも半ばを過ぎ、食堂の中は閑散としていた。コロッケやラーメンなど雑多な匂いが漂う食堂の片隅のテーブルへ向かうと、継隆はその一番端に腰を下ろす。その向かいに並んで座ると、継隆はちどりに話しかけた。
「で、部室の幽霊騒ぎだっけ。それはどういう幽霊なんだ?」
「はい、バスケ部の部室に……」
 ちどりは説明するが、それは今朝聞いた物と同じ情報だった。床下のうめき声、ラップ音、勝手に落ちるカレンダー。継隆は時折ジュースを飲みながらその話を聞いていた。しかし幽霊問題を解決しようとするのではなく、面白がっているような表情しか読みとる事は出来ない。確かにミス研としては面白い話題なのだろうが、今朝の本気で怖がっているちどりを見た佳久としてはもう少し真面目に話を聞いてほしい所だった。
「……というわけなんです。鈴原さん、何か良い知恵ありませんか?」
 すがる目付きで訴えるちどり。だが継隆は眉根を寄せるとガシガシとその茶色い頭を掻き毟った。佳久とてすぐさま解決できると思っているわけではないが、何らかのアドバイスは期待したい所だ。
「悪いけど、俺らミス研って要するにオカルト好きな連中ってだけでさ。霊能力者だったり悪魔が祓えたりするわけじゃないんだ。そもそも俺の専門は魔術とかで幽霊じゃないしな。円が幽霊とかに詳しいから相談してみるけど、期待はしないでくれ」
 当たり障りのない答え。だが、とりあえずミス研に幽霊騒ぎの事を伝える事だけは出来た。円がどれだけの事が出来るかは分からないが、少しは役に立つ事を教えてくれるだろう。佳久は胸を撫で下ろす。
「すいません、勝手なお願いして」
「気にすんなって。こっちとしても幽霊とか教えてもらえてラッキーだったしな……じゃ、悪いけどそろそろ行くぜ。俺、次はグラウンドで体育なんだよ。あ、それと大庭。今日の放課後、俺達は部室行かないから。円が籠りっきりで実験やるらしいから、行っても中、入れないぜ」
 二人を残し、継隆は立ち去る。佳久はその後ろ姿を見送ってから、メロンソーダを飲むちどりに話しかけた。
「黒木さん、バスケ部の部長さんにも話聞きたいから、今度会えるように取り合ってくれないかな?」
「うん、いいよ。ただ、今日は練習があるから無理だけど。部長に都合がいい時聞いてからメールするね」
 しゅわしゅわと音を立てるメロンソーダのペットボトルを手に、ちどりは笑みを浮かべる。佳久は頷くと、柘檸蘆のペットボトルを空にした。意外と癖になる味だった。

 午後の授業は佳久の苦手な英語と数学だった。ならば何が得意なのかと問われると何も言えないのだが、とにかく英語と数学は苦手だった。特に数学など担任の老教師が担当しているのだが、その口調は催眠術より強力に眠気を誘う。佳久は重くなる瞼を必死で持ち上げながらチャイムを待った。今日の放課後は『生首地球儀』について分かった事を少しだけでも奈々に報告しようと思っていたからだ。それに、バスケ部の事もある。ミス研の先輩を信頼していないわけではないが、奈々から何か有効な対策が聞けたら解決が早まるかもしれない。ただ放課後だけを心の糧に、佳久は戦い続けた。
「じゃあ大庭君、部長の都合が良い時間、メールするから。また明日ね!」
 体操服を片手に去っていくちどりに手を振り、佳久は図書室へ向かう。さっきまでの授業の眠気が佳久を苛むが、『生首地球儀』について話すと奈々と約束した事が佳久の足を前へと動かしていた。

「こんにちは、伏木先輩」
「あら佳久君、久しぶり。どう、文芸部は面白い?」
 いつもの自習室の椅子で座っていた奈々に話しかけると、彼女は椅子を佳久に譲って自分は机に座りなおした。この位置関係にも慣れてきたな、と佳久は心に呟く。
「それが、文芸部には入らない事にしたんですよ。説明会で大仏マスクなんか被って出てくるし、それに創作系の部活みたいなんで七不思議について知ってそうじゃなくって。ただ、ミステリー研究会では収穫、ありましたよ」
「収穫? もしかして、あの『生首地球儀』の話?」
 奈々の言葉に黙って親指を立てる。彼女の顔が明るくなるのを見て、佳久は確信した。初めて会った時には七不思議を信じているのかと小馬鹿にしたような物言いをしていたが、彼女は七不思議が好きなのだと。
「ねえ、お願い。聞かせて聞かせて!」
 夜眠る前に絵本を読んでくれとせがむ幼子のような眼差し。佳久は暁から聞いた話を話し始めた。もっとも、自分の話術でどこまで物語を正確に伝えられたかには不安が残る出来だったが。
「……なるほど。やっぱり、見た事も聞いた事も無い話ね。私が知らない間に七不思議が変わって行くなんて」
 少し寂しそうな表情。七不思議とは噂、人と人との繋がりの力。図書室登校の奈々には、そのコミュニティが存在しない。その事実に気付き、佳久は胸を突かれたような気持ちになった。すぐさま穿ちすぎだと考えて頭から振り払おうとするが、一度生じた感情はじくじくと佳久の脳髄を蝕んでいく。
 だから、佳久が強引に話題を変えたのは単なる逃避であって、奈々に対してさらに問題を増やそうとする意図など微塵も存在しなかった。奈々がコミュニティを持たないのなら、自分がその代わりになろうという限りなく憐憫に似た何かが存在しなかったと言えば嘘になるが、それでも純粋な善意が佳久を動かしていた。
「そうそう、伏木先輩。これはクラスメイトから聞いた話なんですけど、女子バスケ部の部室にも幽霊が出るらしいんですよ」
「バスケ部の、部室に? 『黄昏バスケ』の幽霊は確か、中庭に出るって話だったと思うのだけど」
 自分とまったく同じ事を言っている。奈々との距離が縮まったような気がして、佳久は少し嬉しかった。
「いえ、それが……」
 ちどりから聞いた話を伝えると、奈々は難しい顔をして黙ってしまった。新しい不思議の話を喜んでくれると思い込んでいた佳久にとって予想外の表情。奈々は右足を持ちあげて机に乗せ、膝に顎を重ねた。前から見ればスカートの中身が覗けるかもしれない格好だったが、さすがの佳久もそこまでする勇気は無かった。だらりと下がった左足の太ももが佳久を誘惑するが、彼は必死に自分の衝動に抗い続けた。
「このバスケ部部室の幽霊騒ぎも、あと何年かしたら七不思議になるのかも知れませんね。その時にはどの不思議と入れ替わるのかな? 伏木先輩も無いって言っていた『図書館の幽霊』ですかね」
 途端、奈々は机から飛び降りると佳久の両肩を掴んだ。出会ってから始めて見る、切実な焦りの表情。その鬼気迫る物に思わず背筋を冷や汗が伝った。
「ねえ、佳久君。私、そのバスケ部の幽霊の話が凄く気になるの。もし何か新しい情報が手に入ったら、すぐに知らせてくれない?」
 拒絶を許さない、強い言葉。そんな言葉をかけられずとも奈々が求めるならいくらでも応えるつもりだったが、佳久は反射的に頷いていた。逆らうと呪われそうな、そんな気さえした。
「ああ、ごめんね佳久君。つい興奮しちゃって……」
 はっと気付いた奈々は佳久の肩から手を離す。気恥ずかしそうに俯いた姿は普段通りで、佳久はこの数秒変な幻でも見たのではないかと錯覚しそうになる。だが、掴まれた肩のお節介な痛みはそれが現実だったと教えてくれていた。
 その後、二人は当たり障りのない話をして放課後を過ごした。けれど奈々はどこか上の空で、佳久はそれが少し心配だった。おそらく彼女の口癖なのだろう、別れ際の「おつかれさま」にも覇気が感じられなかった。

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