『DEATH』 Track・4/Deadhead

(4−1:火田早紀)

『これはアレやな、一言で表すと退屈』
『じゃあ、二言以上で表すと?』
『退屈で手持無沙汰』
教室の後ろ、ロッカーの上によじ登って腰掛けながらうちはつばめとぼやいとった。興味が無い授業でも、学生なんやったら受けなしゃあない。けど、うちは今学生やない訳で、こないに小難しい授業を受けても面白い事あらへん。大体うち、死んだ…いや、今はそう言うんは止めとこか、昏睡した…時はまだピッチピチの高校一年生やったんやで?死神なって六年、学校の勉強なんてやってへん。一つ上の学年の授業が分かる訳無いやないか。
『つばめはどうなん、六年前は二年生やったんやろ?うちはさっぱりやけど、つばめはまだ分かる分だけ興味あるんちゃう?』
『あははははははは、面白い冗談ね、早紀。六年前は二年生でも、六年も勉強してなきゃほとんど分からなくなるに決まってるじゃない』
一段高いロッカーの上で、つばめはビール飲みつつ野球見てるオッサンみたいな恰好で横になりながら大笑い。気持ちえぇほど色気とかあらへんのは好感持てる。うち、スタイルに色気とかあらへんからなあ…お椀ほどとまでは贅沢言わへんけど、せめてお猪口くらいは欲しい。洗濯板はさすがに、女としてかなりコンプレックス。食うても食うても胸に脂肪が行かへんいうのは、実は何らかのヤバめな身体的欠陥があるとかちゃうやろか、うち。
と、ここまで考えた所でロッカーに座ろうという提案を頑として拒否した藍に視線が向く―――あれ、本物なんかいな。本当はパッドとかアホほど仕込んどるんとちゃうん?
手を伸ばしたら届きそうな距離…もにゅ。
『ひぁっ!』
『え、うわ、何やねんこれ!ありえへんやろ藍、この胸ほんまに100パー自前なん!?いやこれ、冗談抜きでかなり気持ちえぇんやけど!?』
うっはー、ものっすごいフカフカやん。悔しいけど、そら世の中の男が胸大きい女に惹かれるわけやわ。服の上から揉んでも分かる適度な重量感と病みつきになりそうな柔らかさ、他人の胸揉んだ事なんてあらへんかったけど、あかんわ…変な趣味に目覚めかねへん気持ちよさ、ここに発見。
『ちょ、早紀、それマジ?ホントに藍の胸、自前なの!?』
餌の時間になった飼い猫みたいに飛び起き、そのまま転げ落ちるように着地するつばめ。藍の肩がびくりと跳ね、怯えた目つきでつばめを見た。何なんやろ、うち、サディストのケは全く無い筈なのに、藍の涙が浮かぶ目を見たらもっと困らせたりたいって気持ちがムクムクと湧きあがってくるんやけど?
つばめは目を閉じると深く息を吸う。瓦割りに挑戦する前の格闘家みたいに精神を集中させた次の瞬間、その右手は藍の胸を豪快に鷲掴みにした。激しく、しかしそれほど強くもなく、藍の黒服の上を這うつばめの指。その下で、藍の大きな胸は圧倒的な存在感を主張しながらも自在に形を変えていく。
『ウソでしょ、私これ、絶対パッドだって信じてたのに…明日から何信じて生きていけばいいわけ!?』
『ぁふ…早紀様、つばめ様ぁ…ゃ、止めて下さい…』
艶っぽい声で哀願する藍やけど、残念ながらその願いを聞き入れる気にはなれへん。でかい上に感度もえぇとか、チートやろチート。見てたらなんかムカついてきた。かくなる上は、うちも藍の胸がもげる位に…

「教室の後ろで何やってるんだ、お前ら」
『ん、ああ史郎。いやな、藍の乳がけしからんさかい、ちょいと可愛がったろかと。史郎もいっとく?』
ひ、と声にならない短い悲鳴が漏れる。つばめの指を何とか胸から引き剥がすと、藍は両腕を交差させて肩を抱く。カタカタと小刻みに震える姿、実にそそりますなあぐへへへへ。
「俺はやめとく。と言うか、お前らもやめろ。授業中に教室の後ろでピンクい空気撒き散らしやがって…少しは人様の迷惑も考えてみろってんだ」
ピンクい空気て何やねん、と思わなくもないけれど、まあなんとなく言いたい事は伝わるので良しとしておこか。
「大体お前な、今日はつばめの病院に行くって大事な用事があるから一緒に学校まで来てるんだろうが。授業そっちのけで雑談するのも、居眠りするのも見逃してやるよ。お前ら、学生じゃないんだから。ただな、授業の邪魔だけはすんな」
『授業の邪魔って…史郎君、開始数分で居眠り初めてたじゃん。最後数分は私達の声が聞こえたのか起きてたけど』
つばめのツッコミもごもっとも。史郎は苦虫を噛み潰したような顔で小さく唸ると、ぷいと背を向けて自分の席へ戻って行った。ちょっと真面目な学生を演じてみたかったんやろけど、世界ってのはそない上手には廻らへんもんなんやなあ。

さて、そんなこんなで放課後や。
あの後も退屈極まりない授業を延々受け続けた忍耐力、誰か褒めてくれても罰は当たらへんと思うんやけど。
『朝比奈中央病院の…何号室だったっけ?』
「502だったと思うけど…ちょっと待って、昨日メモ取っといたから…うん、502」
早苗がケータイのメモ帳を見る。幽霊が見えるとか、戒冶と同じく魂狩が出せるとか、そないな事情に巻き込まれとる仲間に生身の女がいてくれるんは、なんとなく心強い。史郎と戒冶もえぇ奴なんやけど、いかんせん男やからなあ。女には女にしかわからへん悩みとかいうんも、多少はあるし。
あと、早苗はうちと同じく胸が小さめなあたりが実に親近感湧く。藍が標準以上にでかい、つばめが平均的、うちは洗濯板同然。となれば、平均以下といったところの早苗にシンパシーを抱くんも、自然の理という奴やろう?
「じゃ、行くか。途中で商店街の花屋に寄って…ところで見舞いの花って、何買えば良いんだ?誰か、何かそういうマナー知らないか?」
まだ学ランが届いてへんのやろう、史郎はワイシャツの襟を緩める。戒冶は肩をすくめて見せた。そらなあ、こないに箒みたいな頭しとる奴がマナーについて詳しいいうんも、キャラぶれし過ぎな気ぃするし。かと言ってうちはそないなマナーなんて詳しないし、つばめにそれを期待するんも酷ってなもんやろう。早苗は俯いてるところ見ると、答え聞くまでもあらへんみたいやし。
と、そこで藍が口を開いた。
『史郎様、一般的に鉢植えの花は“根付く”が“寝付く”に通じるとされ、お見舞いには適しません。また、シクラメン、シネラリアはそれぞれ“死苦”と“死ね”に通じるとも言われます…そのため、シネラリアはサイネリアという名で販売される事も多いと聞きます。また、赤は血の色を連想させ、かつ痛みや痒みを増す色とも言われますので、避けた方が無難だと思われます』
えらい詳しいなあ…藍、昔は花屋でバイトでもしてたんやろか。しかし何にせよ、これで情報はそろったわけで、目指すは商店街の花屋さん。うちらは六人そろってぞろぞろと…けど、一般人には三人にしか見えへん行列で、商店街へ向かった。

朝比奈中央商店街は、高揚園と朝比奈本町を結ぶ大きな商店街。本町の駅向こうに総合商業施設『イグニス朝比奈』が出来たんはうちが死神になる直前やったけど、そことは微妙な住み分けが成立しとるらしい。活気溢れるとは言わんけど、人通りが疎らってな事もなく、そこそこ繁盛しとるみたいやった。なんとなく、こういう空気は心弾む。言葉にはしにくいねんけど、やっぱ人の活気いうんは他人を元気にさせるもんなんかなあ、と、そう思う。
さて、花屋の軒先で史郎は店員の姉ちゃんを捕まえて言った。
「すいません、お見舞いの花なんですけど。何か適当に見繕ってもらえませんか?」
さっきの藍の説明は何やってん、とツッコミを入れたりたい。ただまあ、素人が勝手に選ぶよりも花屋の姉ちゃんが選んだ方が無難やと考えたんかもしれん。それにまあ、金払うんは史郎達やしな。もらう側が口出すんも変な気ぃするし。
「そうですね、こちらのフラワーアレンジなどいかがでしょう?ガーベラ、スイートピーなどを中心にしたもので、若いお嬢様がたには喜ばれておりますが」
「あ、じゃあそれで。おいくらですか?」
税込三千円、そう言われた史郎達は財布からそれぞれ千円ずつ出し合ってフラワーアレンジを買った。ピンクと白が可愛らしいんやけど、史郎が持つにはちょいと似合わへん。ほんの少し眉根を寄せた後で、史郎は早苗に花を渡した。
『いやあ、自分がお見舞いに貰う花を買う所見るってのも、なかなかレアな経験じゃない?』
「そりゃそうだろ、誰だって見舞う相手と一緒に花買うなんて考えもしねえって」
ポケットに手を突っこんだまま、戒冶は笑う。と、急に真面目な顔でうちらを見た。つい先日、真面目な顔で渡辺のおっさんに口説かれたからなあ…ちょいと身構えてまう。
「でもよ、花は一つで良いのか?火田と小海も一緒の病室にいるかも知れねぇんだろ、あと二つ買っといた方が良くないか?」
なんやこの金髪箒、意外に優しい所もあるやん?ちょっと見直したかも。同時に、ちょいとうちも色ボケしとったかなあ、と反省しきり。
『あー、かまへんかまへん。本当にうちらかどうかの確証は無いんやし。藍も別にかまへんやろ?』
『はい、早紀様。戒冶様のお心遣いは大変嬉しく思いますが、よしんば同室の患者が自分達ではなかった場合には、せっかくのお花も無駄となってしまいますので』
「ん、分かった。お前達がそう言うんだったら」
余計な事言って悪かったな、と戒冶は頭を掻く。本当は一本気で優しい奴なんやろけど、こいつは外見で損しとるタイプやなあ。まあ、そないな事口に出しては言わんけど。人褒めるのなんて、うちの柄やないもんな。

病院でエレベーターに乗り込み、五階のボタンを押す。ほんまや、この病院は四階あらへんねんな。九階と十三階はどうなんやろ…と思ってみたら、八階でボタンが終わっとる。ちょっと残念。
静かな駆動音。高鳴る自分の心臓の音が聞こえた気がするけど、幻聴やろう。うちは今幽霊で、心臓はどっか別の場所にあるんやから。

ナースステーション前にあるノートに記帳し、うちらは病室へ入った。窓のカーテンを揺らして生ぬるい風が吹き込む。夏と言うには気が早いし、春と言うには気が引ける、そんな中途半端な季節の風。そんな風に髪を揺らせ、眠っているのは…確かに、うちら三人やった。
『これ…私の体だよね?』
ぼろぼろと涙をこぼし、つばめは自分の体にしがみつく。右の窓際で寝てるんは藍の体やし、その隣、ドア側にはうちの体がある。何年たったって、見間違えるわけない。これはうちの体や。人工呼吸器や点滴で管だらけになっとるけれど、このやたら細い糸目も、必要以上にさりげない胸も、全部うちが生きとった時のままや。出来れば胸は多少なりと育っといてほしかったけど。
『史郎様、戒冶様、早苗様…本当に、ありがとうございます。自分を…自分を、ここまで連れて来て戴いて』
泣きながら微笑む藍。穏やかな顔で眠っている体とは対照的なその笑顔は、同性のうちから見ても眩しかった。
「いや、うん…礼なら良いよ、俺だって元々は死にたくないばかりに出まかせ言っただけだったんだし」
史郎も勇敢やけど、結局は高校生やなあ。他人にお礼言われるとか感謝されるとか、そういうのが無性に恥ずかしい時期なんやろう。うちもそんな時期あったななんて思うけど、うちが死んだのは一年生で史郎は今二年生。うちが早熟やったんか、史郎が幼いんか…まぁそんな事、今は些細な事やけど。
「それよりほら、体に戻らないでいいの?せっかく見つけたんでしょ?」
『ん、それもそやな。ほな…』
自分の体に、手を伸ばす。その逆ならいざ知らず肉体に霊体を入れる方法は知らへん。けど、感覚で分かる。元々これはうちが使ってた容れ物なんや、うちが戻れへん道理は無い…筈やと、思ったのに。
するりと通り抜けるでもなく、バリアーみたいなモノで弾き返されるでもなく。美術館なんかにある石像に触った時みたいに、うちの手はうちの体に触れただけやった。何度試しても、結果は同じ。冷たくも温かくもない、単純な拒絶。
『あー…せやなあ、うち今、ただの幽霊やなくて死神なんやった…普通の感覚では戻られへん、ちゅう事なんかな』
やっと見えたと思ったゴールが延長されたような絶望。けど、ここで諦めるんはあまりに悔しい。せっかくここまでやったんや、最後まで出来る事はやってみな、気ぃすまん。
『早紀、藍、霊界に行こう。行って、普通の幽霊に戻ろう!』
沈んだ空気を打ち払うように、つばめが強く叫ぶ。さっきとは違う悲しみの涙で頬を濡らしながら、けどやっぱり強い笑顔で、藍も頷く。霊界に行って死神辞めるなんて簡単に出来るん事なんかどうか、そもそも普通の幽霊に戻ったところで生き返れるんかも分からへん。でも、やりもせんうちから諦めるのは性分ちゃうし。
『せやな、つばめ。ほな、ちゃっちゃと帰って作戦会議でもしよか?』
「いやお前、帰るってどこ…分かったよ、俺の家なら好きに使え。乗り掛かった船だしな、俺も最後まで付き合うさ」
肩をすくめる史郎、その肩を軽く叩く。信頼と感謝と、その他諸々。
『うん、ありがとな、史郎』

病院から帰る道すがら見上げた空は少し滲んどったけれど。
それでもどこか、晴れやかな空やった。

3−8

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