朝比奈西幼稚園騒動顛末記

第一話:到来―あどべんと―

ある晴れた日の事だった。
彼、巽京司は朝早くに、今日から彼の仕事場となる幼稚園への道を辿っていた。
「幼稚園に着いたら、まずは園長先生に挨拶。その後は先輩の先生方に挨拶をして、それから園児に自己紹介だな」
今日の予定を呟きながら、彼は朝の街並みを闊歩する。その横を、ママチャリがキコキコと音を立てながら通り過ぎていく。サドルに跨っているのは黒髪にサングラスの一見ヤンママ風の若い女だった。そして、その後ろには金髪の幼女が座っている。方向から見るに、朝比奈西幼稚園の園児なのかも知れない。京司は母親であろう黒髪の女性に対して嬉しそうに話し掛けている幼女を、微笑みながら見つめた。さあ、俺はこれからあんな子供達を導いていかなければならない。京司が自分の仕事に対する不安を気合へ等価交換しようとした、その刹那。
「…なあ、ちょいとそこの君。幼女見てにやけるて、公序良俗に反するんやけど。職務質問、ええかな?」
肩にかけられた手が、万力の様に京司を責め立てる。その手を急いで振り払い、京司は声の主を確認した。
「…水流?」
そこに立っていたのは、高校時代の同級生であった。だがしかし、その身を包むのは青い帽子に青いジャケット、青いスカート。首からはホイッスルも下げている。どこからどう見ても、婦警さんの格好であった。どうやら水流の後ろに見える交番から出てきたらしい。
「なんや、巽君かいな。ま、安心し」
京司は胸を撫で下ろした。先程の言葉から察するに、どうやら自分は性犯罪者として検挙されそうになっているらしい。だが、相手が高校の同級生ならばしめた物。理由も聞かずに留置所行きという事は無いだろう。
「うちが責任持って、巽君を更正させたるさかい。とりあえず、留置所行こか?」
どん、と胸を叩く水流。だが彼女が手錠をかけようとしたその時には、京司は既に遁走した後であった。

「畜生、何で幼稚園の職員が性犯罪者として捕まらなくちゃいけないんだ。そりゃ世の中にはそういう奴もいるだろうが、俺はノーマルだぞ?」
幼稚園の裏手、職員専用通路から中に入りながら京司はぼやいた。
そう、確かに巽京司の性癖はノーマルである。人並みに女性が好きで、人並みにそういう事に興味があった。かつ、その好みがやや年上を中心にしている事を明記しておこう。彼の名誉の為に記す事だが、巽京司の部屋はベッドの下と本棚の裏にそういった類の書籍が隠されている。具体的に名を挙げると、『超姉貴』『お姉さんと一緒』『姉は弟に恋をする』等である。だがしかし、これで彼の小児性愛嫌疑は晴れるかもしれないが、プライバシーその他が明るみに出過ぎるのでこの辺で止めておく。

「あら、君が今日から来てくれる巽京司君?」
理知的な声に振り向くと、そこには黒いシャツに黒いロングスカート、白いエプロンを装備した女性が立っていた。一見メイドさん風に見える服飾に、巽京司の体温が上昇した。体内のグリコーゲンが分解され、エネルギーとなったのである。
「私の名前は、雲井なくあ。ここの職員をしてるの。なくあ、って呼んで頂戴。よろしくね、京司先生」
差し出される腕。細くしなやかなその手を、京司は強く握り返した。
「こちらこそよろしくお願いします、なくあ先生。色々とわからない事もあるかと思いますが、その時はどうかよろしくご教授下さい」
「ええ、もちろん。とりあえず、園長先生の所まで案内するわね」
そうして二人は園舎の中を通り、園長室へ向かう。途中で前庭が見え、京司は萎縮した。『汝を癒してくれようぞ』という気概に溢れた風景を見てしまった為である。
「あ、あの子…」
京司の視線の先には、今朝見た金髪の幼女がいた。友達なのだろう、黒髪ロングヘアの幼女と一緒にままごとをしている。その可愛らしい風景に、京司の口元は自然に綻んだ。
それを見て、なくあ先生は一歩後退してから問い掛ける。
「…ねえ、京司先生。もしかして貴方、ペドフィリア?」
「これ以上無いほど違います」
巽京司選手の只今の記録、0.7秒。競技種目、突っ込み。
「と、とりあえずここが園長室ね」
質素ながらもどこか凛とした空気を醸し出す扉。京司は唾を飲み込むと、ノッカーを使ってドアをノックした。ノッカーのクマさんが可愛らしかった。
『どうぞ、入ってくれ』
「失礼します」
京司は扉を開けて中に入る。応接用なのだろう、ふかふかのソファーが向かい合っている。その奥にある事務机に、園長が座っていた。就職面接の時に京司を審査したのも、この人である。園児の前で煙草を吸う訳にはいかないからか、人参スティックを咥えていた。何か咥えていないと口寂しいのだろう。
「ああ、巽京司君か。失礼するなら帰ってくれて構わないぞ?」
ジョークなのだろうとは思うが、目も合わさずに言われると泣きたくなる。でも、京司はこれでも男の子なのだった。涙を堪えると、園長である雨宮硝子に頭を下げる。
「本日よりお世話になります、巽京司です。これからよろしくお願いします、園長先生」
園長は顔を上げ、京司と目線を合わせた。鋭い目をしているが、同時に柔和な面差しでもある。園児にも好かれている事だろう。
「そう気負うな、京司先生。相手は園児だと思って舐めてかかられる訳にはいかないが、けれど相手は園児だ。あんまり気張っていると、園児にもその緊張が伝わる。教育上良くないな、リラックスしておけ。それと、私は園長と呼ばれるのが嫌いだ。硝子、で構わない。先生とかも付けなくて良いぞ」
京司は、そんな園長の…否、硝子の強い言葉に励まされた。これからこの職場で働けるという事に、途轍もない誇りと喜びを感じる。
「ああ、それと早速で悪いが、注意事項の連絡だ。この界隈に変態性欲者が出たと警察から通告があった。何でも幼児を見てニヤニヤ笑っていたそうだ。京司先生も気を付ける様に。園児を守るのも、職員の大事な仕事だ」
これからの人生に、途轍もない暗雲が垂れ込めた。

「さて、何故君がいきなりそんな暗い顔になったかは知らないが…知っての通り、この幼稚園は個人経営だ。職員は園長の私と調理師の音無空、そして雲井なくあ先生、米口祐二先生、君の五人しか居ない。園児の数もそう多いとは言えないが、しっかり頑張ってくれ。期待している」
そう言って、硝子は写真付きの名簿を取り出した。
「これが在籍している園児の写真だ。しっかり覚える事。園児の名前を間違えるようでは、職員失格だからな」
京司は受け取った名簿を見る。
まず、黒髪と金髪だがそっくりなショートカットの幼女が居た。名前は黒髪が月野ないん、金髪が月野あるかな。双子と書いてある。
次に金髪ロングヘアの幼女、酒木じょせふぃーん。今朝見た、京司の小児性愛嫌疑の発端となった幼女だ。両親共に日本人だが、彼女を養子として迎えたらしい。
その次は大人しそうな、と言うより臆病そうな黒髪ロングヘアの幼女。後楽さなという名前らしい。先程じょせふぃーんとままごとをしていたのも、この子だろう。
五枚目の写真は白髪ロングヘアで賢そうな顔をした眼鏡の幼女。太宰りんという名前。アルビノだそうで、肌も白く瞳も赤かった。アルビノならば、強い日光には注意してやる必要がある。
最後の写真を見て、京司は己が目を疑った。その写真に写っていたのもやはりまた幼女であったのだが、その髪色がペパーミントだったのである。名前は神山げしゅたると。容姿が変なら、名前はそれに輪をかけて変だった。
「あの、硝子さん」
名簿から顔を上げると、硝子はそっぽを向いていた。
「何も言うな。ここの園児達は皆ちょっとばかり『個性的』なだけで、断じて問題は無い。月野姉妹の髪はご両親の髪がそれぞれ黒と金で、それが遺伝しただけだ。二卵性双生児なら稀にある事だ。多分」
「その最後の多分が異常に気になりますけど、まあ良いでしょう。けれどじゃあ、このペパーミントはどういう理由ですか。髪や肌の色で人をとやかく言いはしませんけど、ペパーミントは異常すぎます」
写真では快活に笑っている神山げしゅたるとちゃん、五才。ちなみに瞳はエメラルドグリーンであった。正直、鮮やかすぎて眼に痛い。
「ああ、それも地毛」
「嘘だっ!」
巽京司選手の只今の記録、0.4秒。競技種目、突っ込み。自己新記録。
「そんな些細な事より、ほら。時間も無いし、他の先生方に挨拶をして来い」
こうして京司は遣る瀬無い思いを抱えながら園長室を後にした。

「初めまして、本日よりここで働かさせていただく巽京司です。皆さん、よろしくお願いします」
我ながら特徴の無い、けれど悪くない挨拶が出来た。他の職員…と言っても、先程会った雲井なくあ先生を除けば、そこには二人しか居なかった。
「よろしくお願いするっす、京司先生。私は音無空っす。調理師として、園児と職員のお昼ご飯とおやつを用意してるっす」
肩口まで伸ばした髪の毛を水色に染めた小柄な女性が微笑みながら、握手を求めて右手を差し出す。京司はその手を握り返した。
「俺は米口祐二、って京司はもう知ってるよな。改めて、よろしく」
高校の同級生でもあった祐二が肩を叩く。一体如何なる手段を用いたら京司と同学年の祐二が先にここで働く事が出来るのか、そう考える読者諸氏も居る事だろうが、そんな事は些細な事である。それはもう些細な事である。断じてプロットのミスでは無い。本当だ。
「じゃあ、京司先生。そろそろ園児の皆に自己紹介しに行きましょうか」
なくあ先生が微笑みかける。京司は自分の鞄から黒地に白いラインの入ったエプロンを取り出すと、それを着た。何故か、脳裏に『Conception』という言葉が浮かんだ。

「今日から皆と一緒にこの幼稚園で暮らす事になった、巽京司です。皆、これからよろしくね」
にこやかに言ってみる。ないんとあるかなはやや緊張した面持ち、じょせふぃーんは屈託の無い笑顔。さなは人見知りする性質なのか、じょせふぃーんの後ろに隠れるように立っている。りんは知的な表情を崩さずに頭をぺこりと可愛く下げ、げしゅたるとは満面の笑みを浮かべながら足元に走り寄って来た。
「きょーじせんせぇ、いっしょにあそぼー!」
げしゅたるとに手を引かれ、京司は園児の輪の中へ引き込まれる。園児が女の子だけだからか、置いてあるおもちゃも積み木や車といった男の子向けの物よりも、ぬいぐるみやままごとセットといった女の子向けの物が多かった。
「みんなもいっしょにあそぼうよー」
げしゅたるとが呼びかけ、皆が集まってくる。さなはやはりじょせふぃーんの後ろに隠れる様にしていたが、それでも勇気を出して近寄ってきた。

さて。そろそろ園児の台詞が平仮名ばかりで読者諸氏の苛立ちも最高潮に達している事だと思う。何を隠そう、作者である自分もそうである。いくら幼稚園児らしさを演出するためとは言っても、さすがにここまで平仮名ばかりだと読みづらいし、何より書きづらい。このまま書き続けては誰も読まないような気がするし、それ以前に自分が逃亡して誰も書かない。
よって、これからは漢字も使用する事とする。園児らしさは失われるだろうが、フラストレーションが蓄積するよりは幾分かましな判断であると信じたい。なお、台詞と同時に名前も漢字を使用する事をどうかお許し戴きたい。

「我任京司先生父役」
やりすぎた。さすがに漢文は問題である。大体、書く方もしんどい。そもそもこの漢文が正しい保障が無い。という訳で今後は漢字かな混じり文である。
「じゃあ、京司先生お父さん役ね」
京司はゲシュタルトに引っ張られ、ままごとセットの前に座った。皆で円座になり、京司の前におもちゃのお皿と黒い団子が置かれた。
「あなた、はいどうぞ」
笑いながら、京司はジョセフィーンの勧めるままにその団子を手に取る。しかし巽京司、その団子を手に取った瞬間に感じた違和感を問い詰める事は目の前の純粋無垢な幼女たちにとって残酷すぎる仕打ちの様に思えた。なお、世間一般ではこの様な人間は『人が良い』とは表現しない。この様に『要領が悪い』の域をも完全に逸脱した存在を、世間的には『馬鹿』と言うのである。
「…(無言)」
ちら、と背後の祐二先生となくあ先生を見遣る。二人は揃って満面の笑みを浮かべ、親指を立てた。要するに、意訳すると『死んで来い』である。
ちょっとお二方。この団子、どう見ても原材料が泥であるような気が致しますが。と言うか臭いとかそういうモノからも泥以外の原材料を想像出来ないのでありますがこれは一体如何な事なのでありましょうか。無理矢理にでも泥以外の材料を挙げろと言われましたならば、躊躇無く砂か土と答える所存であります。冗談にしては性質が悪い気もしますな。ああ神よ、貴殿はこの純粋な幼女の期待の視線を裏切れとこの巽京司に仰せ仕るので御座いましょうか。何たる無慈悲、何たる冷血。あれ?もしかしてこれ、苛め?それが友人である祐二先生となくあ先生による物か、はたまた園児達による物かは別として、これって苛め?
等と微妙にトリップしてみる京司であったが、これだけの思考に消費した時間は僅かに半秒。これだけの高速思考が出来るのならば、道を違えなければ彼が将棋やチェスの達人として名を馳せた可能性も在っただろう。コンピューターにも勝てたかも知れない。事によれば何処かの傭兵部隊で指揮官として多大なる活躍を披露していた可能性さえ捨てきれない。だがしかし、非情なる歴史にIfという物は存在しないのであって、巽京司は保父となりました。故に、現在全ての状況は泥団子を食べるか否かという一点のみに集約するのである。
さて、京司はもう一度二人の先生を見てみる。
相変わらず親指を立てて笑みを浮かべていた。現在の京司は竹槍で原潜を相手に戦って来いと命じられた新兵の気分であった。二階級特進は確実であった。コーラを飲んだらゲップが出るという事や赤く塗装された機体は通常より三倍早い事やコイントスをして表が出なかった場合は裏が出るという事と同じ位確実であった。が、彼は勇気の人であった。嗚呼玉砕の華と散る、巽京司に栄光あれ。

もぐ。

「きょ、京司先生!」
「京司、おい、大丈夫か!?真逆、真逆本当に食うとは!」
二人の同僚の声を聞きながら、彼の意識は急速に闇へ沈んでいった。
朝比奈西幼稚園新任教員巽京司先生の、明日はどっちだ。

続く!?

朝比奈西幼稚園騒動顛末記TOP