(1−3:沢村史郎)

俺の前で仮面を外した黒木つばめ。その顔はあの時の、白髪の少女のそれだった。
そして俺はつばめに、一目で心を奪われた。その原因は、平凡な恋愛感情なのかも知れない。正直、彼女の顔は俺の好みと全く同じだと言える物だった。声の調子も、背の高さも、何もかもが俺の好みだった。
そう、死と生を併せ持つ、そのアンバランスさも含めて。

『私が人間に戻れるかも知れないって…史郎君、それは一体どう言う事なの?』
つばめはポケットから、何か掌程度の大きさの物体を取り出した。俺が見る限り、それは白銀を地金に血の色をした宝石を埋め込んだ、美しい装飾品の類に見えた。
つばめはそれを握ったまま、俺を指すように右腕を突き出した。若干顔を伏せたその表情を読み取る事は出来ないが、その動揺は見て取れる。
良いか?ピンチの時はまず落ち着いて、その後によくモノを考える事。今までだってそうやって来たし、これからだってそうやって行く。
俺は非力だ。戦う力なんて無い。
そう、だからこそ。人間は、知恵の実を喰ったんだ。
俺は内心の恐怖をひた隠し、つばめを見据えて言葉を紡いだ。
「あんたの体が、まだ残っているかも知れないって事だよ。あんたは確かに、あの事故で頭を打った。けれど、その出血量はどの程度だ?確かに量は多かったが、頭の怪我は手足の怪我と比べて、小さな傷でも血が大量に出るもんだ。まして、俺と目が合った事を覚えているのなら、少なくともあの瞬間の意識ははっきりしていた筈だ」
つばめが、掌の銀細工を強く握る。
『…で?それが、どうだって言うのよ。私は今、こうして現に死んでいるのよ?それなのに、体が残っている訳が無いじゃない!』
物凄い剣幕で怒鳴られた。だが俺は、顔を上げ俺を睨みつけるその目尻に光った一滴を見逃しはしない。俺はつばめの問い掛けには答えず、自分の言葉を続けた。それは、ただの仮定のお話で。信頼出来る根拠なんて、この世界の何処にも在りはしない。
けれど、その虚言だけが。俺の命を繋ぐ、たった一つの冴えたやり方だった。
「あの状況で意識がはっきりしていて、その後あんたが意識を失ったとしよう。俺の記憶が正しければ、あんたの身体には他に目立った外傷は無かった。その程度の怪我人が、救急車が到着していたあの状況で死ぬなんて考えられるか?」
医学的な知識が在る訳ではない。適当に『それらしい事』を言っているだけに過ぎない。いや、本当に正しいか否か等関係ない。つばめがそうかも知れないと、ただそう思うだけで十分だ。俺はまだ、言葉を続けた。
「あんたが事故に逢ったのは、朝比奈本町の交差点。そこから救急車で運ばれたのなら、朝比奈中央病院と考えるのが妥当だろう。あの交差点からなら、車で5分かからない。その上、救急車だぞ?移動中にも手当ては出来る。あんたが死んだ可能性は、また一つ少なくなった」
『じゃあ、私が今こうして霊体になっているのはどういう事よ!私は一回、霊界に行ったのよ!?』
つばめが叫び、砕かんばかりに銀細工を握る。血の色をした宝石が、その表面に滑らせる様に文字を表示する。
表示された文字は“Kraken�次鼻�クラーケン、北欧に棲むという海魔の名だ。
文字の表示は一瞬で終わり、その瞬間、銀細工は一振りの大鎌に姿を変えた。柄の長さは180センチ程度だろうか。刃は、優に60センチはある。人間の首や手足程度なら難なく切り落とせそうな、ひたすら物騒な得物だ。
つばめは手首を捻って器用にその鎌を操ると、刃先を俺の首筋に当てた。
その冷やりとした白銀の刃が触れる感触に、背筋がゾクリとする。だが、俺は出来るだけ冷静に、彼女の問いに答えた。
「ただ幽体離脱して、自分で死んだと勘違いしただけだろう。だから、言っている。もしかしたら、あんたの身体は植物状態になって何処かの病院で眠っているかも知れない、と」
彼女がこの戯言を信じればそれで良し、信じなければ死ぬだけだ。余りにも分が悪い賭けの様な気がしないでも無いが、何もしなければ、死ぬ以外の選択肢は無い。それなら最後まで、どんなに無様でも足掻き続ける…それが、沢村史郎のスタンスだ。
『君のその言葉を、私が信じる根拠は…?』
つばめが睨み付けながら尋ねる。俺は、用意していた答えを出した。
「そんな物、無い。ただ、可能性があるだけだ。それに…信じなくても、構わない」
俺はにやりと笑った。自分でも、その笑みが歪んだ笑みだと分かる程に。

『――――なっ!?』

突如として羽交い絞めにされるつばめ。彼女は我が身に降りかかった事態が理解できず、ただ我武者羅に大鎌を振り回した。俺は腕を伸ばし、大鎌の動きを止めようとする。
『放してよっ!』
叫ぶつばめの振るう大鎌は、焦っているにしては正確に俺を狙った。左の肩口が切り裂かれ、予想以上に盛大な血飛沫が吹き上がる。叫びそうな激痛を必死で噛み殺し、俺はつばめから大鎌を奪い取った。大鎌はつばめの手を離れた瞬間、空間が折り畳まれる様に一瞬で元の銀細工に戻った。どういう仕掛けかは知らないが、少なくとも大鎌状態より脅威は感じられない。
「おい史郎、肩、大丈夫か?」
「阿呆、大丈夫だったら血が出るわけ無いだろ。泣きそうな位痛いっての」
つばめを羽交い絞めにしたままの戒治。さっき、ラーメン屋で頼んでおいた事だ。
『俺の少し後に店を出て、俺と幽霊の会話を見ておいてくれ。俺が危なそうになったら助けてくれ』と。
「サンキューな、戒治。今度は俺がラーメン奢る」
学ランを脱いで、肩の傷を見る。中のシャツが真っ赤に染まって、むせ返る様な酸化鉄の臭いが気持ち悪かった。とりあえず、ハンカチで腕の止血をする。傷を受けたのが利き手の右でなくて良かった。
『なるほどね、史郎君。君があれほど落ち着いていた理由が、やっと分かったわ』
真逆、出鱈目を並べて時間を稼ぎ、用意していた伏兵を待っていたなんて。
つばめはそう言って、自嘲気味に笑った。彼女はそのシニカルな表情を変えないまま、俺に問い掛けた。
『でもね、史郎君。これから、君はどうするの?私を取り押さえたからって、君が殺されるという事実は変わらないんだよ?これから君に襲い掛かる死神を、君はずっとこうやって追い払い続けられるの?』
確かにそうだ。例え今つばめを追い払ったとしても、俺が殺されるという決定が覆されない限りはまた他の死神が襲ってくるだろう。それに、このつばめだって…言い方は汚いが、これで俺の命を諦めるとは断言できない。信用できない。
だから俺は、実力行使する事にした。
「なあ、つばめ…少し聞くけど、あんたのこの武器は、霊体にも効果があるのか?」
『…ええ。それで霊を殺せば、無条件で霊界送りになるわ。人間とかの場合は死亡、死神の場合は強制送還になるだけだけれどね』
そうか、それを聞いて安心した。霊をこれで攻撃しても、消滅したりする訳では無いのか。俺は銀細工を握り締め、彼女がそうした様に変形させようとした。
『ただね、史郎君。とても重要な事だけれど…人間は魂狩(タマガリ)を使えないわよ?』
確かに、つばめの言うとおりだった。どれだけ力を込めても、魂狩とやらはつばめがやった時の様に変形しない。
「人間は使えない、という事は霊の状態なら使える訳か…」
畜生、それなら俺には使えないという事じゃないか。だが、使えないからと言う理由でそれをつばめに返してやるほど俺はお人好しでは無い。俺はズボンのポケットに魂狩を入れ、傷みが鈍い物に変わりかけている肩を掴んだ。
「とりあえず、戒治。俺は今左手が使えないし、ちょっと家まで来てくれないか?この先の事も、少し話したいし…」
だが、その俺の言葉に返事をしたのは戒治ではなかった。
『史郎君…すこし、話があるんだけれど』

6時より少し前。俺は気付かれない様に、アパートの裏手を覗いた。
「なるほど、あれがつばめの御仲間か…」
家の裏手に屯していたのは、鬼太郎みたいに右目を髪で隠したショートカットの女と、腰まで届きそうなロングの根暗そうな女だった。二人ともつばめと同じ様な黒いローブを着込んでいて、住宅街の真ん中にしては浮きまくった格好だ。だが、誰も彼女達を気にはしていない。それは、彼女達が死神である事を意味していた。
『藍、つばめ遅いんとちゃう?もう6時やと思うねんけど』
『いえ、早紀様。6時まではまだ後数分あります。正確には…7分12秒ですね』
早紀というのがショートカットの鬼太郎、藍というのがロングの暗そうな方だ。俺は二人に気付かれない様にその場を離れると、アパートの正面に回った。
「渡辺さん、渡辺さん!」
呼びかけると、暇を持て余して野良猫を眺めていた渡辺さんは俺の方に歩いてきた。
『どうしたんだい、史郎君。えらく慌てているじゃないか』
「単刀直入に用件を言います。もう少ししたら、女二人組の幽霊がこのアパートに来ると思うんです。そいつらに何か適当な事を話し掛けるなり、少しだけ時間を稼いでくれませんか?」
渡辺さんは少し思案した。だが、すぐに爽やかな笑みで俺の肩を叩いた。
『わかった、出来る限りやってみよう。他ならぬ、史郎君の頼みだからね』
俺は渡辺さんに礼を言うと、自分の部屋に向かった。
「ただいま、戒治。とりあえず裏を見てきたが、つばめが言った二人組はもう待機してた。で、足止めを渡辺さんに頼んできたが…どうしてそんな事をする必要があるんだ?」
後半は戒治に向けた言葉ではない。俺のベッドの上に腰掛けたまま顔を伏せた、つばめに向けたものだった。ちなみに、つばめを縛ったりする等の拘束はしていない。魂狩は俺が取り上げているし、そもそも幽霊を縛れるロープの持ち合わせなど俺には無かった。
『史郎君。君は見ていなかったみたいだけれど…早紀と藍はね、私と一緒の事故で“死んだ”事になっている死神なの。もし私の体が生きている可能性があるのなら、彼女達の体も生きている可能性はある。私は、一人だけ蘇るなんてしたくない。もし蘇られるのなら…彼女達と一緒に、三人で蘇りたい』
沈痛な面持ち。落ち着いて見えるが、つばめも内心では激しく混乱しているようだ。そりゃそうだ。自分は死んだと思って6年間死神をやって来たのに、いきなり蘇られるかも知れないなんて美味しすぎる餌をちらつかせられたのだから。
確かに俺の言葉はほとんど出任せだったが、嘘は何一つとして言っていない。俺個人の推測や考察は混じった、聊か客観性には欠ける意見だが…つばめの心を揺さぶるには、十分すぎる代物だったようだ。
「つまり、だ。黒木、あんたは死神を裏切ろうって言うのか?」
床に座り、俺が出した買い置きのコーラ缶を呷りながらつばめに問い掛ける戒治。さすが親友、俺の聞きたい事を的確に分かってくれている。俺はつばめに顔を向け、返答を促した。
『…ええ。そう、なるわね』
つばめはそう言って、顔を上げた。そして彼女はローブのポケットに手を入れ、もう一つ魂狩を取り出した。
「―――!」
一足飛びに後方へ。つばめの攻撃に備え、俺は役に立たないと分かりながらポケットの魂狩を握り締めていた。
『ごめん、史郎君。騙すつもりは無かったんだけれど…死神は、一人につき二つ魂狩を持っている。あ、安心して?私が今これを出したのは、魂狩の使い方を教えるためだから』
裏切る、って今言った所でしょう?つばめはそう言って、若干寂しげな微笑を見せた。
糞、それは反則だ。俺にとっての女性の理想そのままで、そんな哀しい顔をするなんて。

『いい、史郎君。魂狩は、霊体が握って戦闘の意思をぶつけるだけで変形する。人間が握った場合は肉体が意思の流れを阻害して、変形させられないわけだけど…』
つばめは魂狩を握り締めた俺の右手に、そっとその手を添えた。霊体特有の、ヒヤリとした感触。ただ、その冷たさは優しい冷たさだった。背筋が凍るという様なことも無く、むしろ心地良さすら覚えるほどに。
『…っと、えい!』
つばめは俺の腕を掴むような仕草をし…俺の腕が、肘から先で二本に分裂した。
「ええええ!ちょ、おい、つばめ!」
想いっきり狼狽する俺を見て、つばめは軽く溜息をついた。人差し指をピンと伸ばし、それを上に向ける。ずい、と上半身を突き出し、俺を嗜めるような格好になった。いわゆるお姉さん叱りというポーズだ。
『五月蝿いなあ、史郎君。肘から先だけを幽体離脱させただけだから、安心して。それより、霊体の方の腕で魂狩を掴んでみて?』
俺は言われたとおり、半分透き通った方の腕に魂狩を持ち替えた。そして、それを握り締める。先ほどつばめが言った様に、戦闘の意思をぶつけてみる。

「『俺は、戦う』」

傍目から見れば相当恥ずかしいだろう決意宣言。
だが、そうでもしないと俺は“戦う”という方向に思考を向けられなかった。そして、その俺の目論見は成功した様である。魂狩の宝石に文字が光った。
表示された文字は“YHWH”。俺の記憶には無い単語。つばめなら知っているかも知れないと彼女の方を見るが、つばめはそれを見て血相を変えていた。
『そんな…真逆、何で…何で、YHWHが!?』

1−2     1−4

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