(1−4:鎌田戒治)

史郎が握り締めた魂狩は、白銀の剣に姿を変えた。長さは約30センチ、剣と言うよりは短剣の部類だろう。
「やはうぇ?」
短剣の柄を握り締めたまま、黒木が言った言葉を復唱する史郎。やはうぇ、という単語はどこかで聞いたような気もするが、どういう意味だったか思い出せない。だってほら、俺、頭悪いし。
『キリスト教やユダヤ教の、唯一神の名前。ヤーウェとか、エホバとか言われる事もある。倫理とかの授業で習うでしょ?』
先程までの驚愕は何処へやら、半分呆れた様に言う黒木。オレは鞄から倫理の教科書を取り出した。索引のページを開き、『ヤハウェ』を探す。
「ヤハウェ、ヤハウェ…これか」
オレは史郎にもそれを見せながら、教科書を読んだ。
『ヤハウェ。ヤーウェ、エホバとも。旧約聖書におけるイスラエル民族の神。天地万物の創造者、宇宙の支配者、人類の救済者。唯一絶対の神』
はあ、なるほど。要するに、偉い神様って事か。しかし、何ゆえそんな大仰な物の名前が史郎の使った魂狩に浮かび上がったんだ?
『変形させた魂狩にはそれぞれ、固有の名称がある。例えば私が使った場合…』
黒木はそう言って、自分の魂狩を大鎌に変形させた。血色の宝石に浮かび上がる文字はKraken�次�
『これの名称はクラーケン�次K眠い粒い棒限�すると言われる、烏賊とか蛸とかに似た形状を持つ魔の名。このように、魂狩には魔や神性の名が冠され、起動の際にその名が表示されるの。そして、その名称は伊達で付けられている訳じゃない。魂狩各々の名称は、その名称を持つ魔や神性からの加護を受ける為のものなのよ』
つまり、黒木はそのクラーケンとやらの加護を受けていると言うわけか。すると―――
「つまり、俺の魂狩に加護を与えるのはキリスト教の神様だって事か」
史郎は呟き、己の握る短剣を見据えた。切れ味鋭そうなそれは、宵の迫った緋色の空間を切り裂くかの様な輝きを放っていた。
首肯する黒木。
『けれど…神性の加護を受けるにしても、天使ならいざ知らず、キリスト教の神様そのものの加護なんて聞いた事も無い…何故、神様が史郎君に加護を与えるのかしら?史郎君、君、キリスト教徒だったりする?』
「いや。俺は神様って奴は信じない事にしてるんだ。けれど、今はそれよりも大事な事がある。俺の魂狩が何の加護を受けていようが、俺はつばめの仲間たちと戦わなきゃならないんだ」
何時に無く強い口調で言い切る史郎。
オレは、久しぶりに史郎の本気を見た気がした。
史郎は昔から、何をやっても人並みだった。ルールさえ知らないスポーツをやっても、他の連中と同じくらい活躍した。ひたすら遊んでいても、テストでは平均点を取れた。だから、何時の頃からか…史郎は、努力をしなくなった。それは、平均点はキープ出来るという慢心からサボり始めたというのではなく、自分の努力が否定され続ける事に耐え切れ無くなったからだと思う。努力しなかったから、人より上になれなかった。そう自分に言い聞かせる為に、史郎は努力を捨てたんだろう。
だから、史郎はいつも全力を出さない。本気にならない。
オレは思う。史郎はむしろ、人に負けたいんじゃないかと。努力せずに平均点を取る事を喜ぶより、努力しても平均に届かない奴を憐れむ。史郎はそういう、優しい男だ。だから、オレはこいつの友人で居られる。自分の幸福が誰かの不幸の上に成り立っている、それを理解しているこいつだから。

オレは知らず微笑みを浮かべていた事に気付き、その顔を見られない様に窓から外を見た。アパートの裏手を確認するが、二人の姿はまだそこに在った。オレは史郎と黒木に注意を促す。
「おい、早紀と藍だったか?まだ動いてない、少し時間があるぞ」
『ありがとう、戒治君。でもその前に、少し。戒治君、君も魂狩を使ってみてくれる?魂狩は使い手によって形状が変わるのよ。例え双子やクローンでも、ほぼ確実に別の形状に変形するわ。その結果、戒治君が変形させた魂狩が短剣より強力そうなら、史郎君には悪いけれど、戒治君が戦った方が効率が良い』
そりゃそうだ。という訳で史郎から短剣を受け取り、黒木に手伝って貰って腕の霊体を抜く。ちなみに、短剣はオレの手に渡った瞬間に銀細工状態に戻った。魂狩は使い手独自の形状を成すと言うが、他人に自分の魂狩を使わせる事も出来ないようだ。
冷やりとした魂狩の感触を掌に、俺は目を瞑り、戦う意志を固める。ドクン、と。手の中で何かが脈動する様な、そんな感触が伝わってきた。ゆっくりと目を開け、己が手に握り締められた魂狩を見ると…

黄金の、竹箒だった。大した武器にはならないかも知れないとは思ったが、真逆武器ですらないとは。ここまで来ると、呆れるのを通り越して逆に清々しい。それにしても、見事な箒だ。実に綺麗に掃除が出来そうだが、戦闘の役に立たない事は必至だぞ。

『…史郎君、戦う覚悟は完了したよね?』
「…ああ」
オレの魂狩を綺麗に無視し、二人は会話を始める。俺だって何時までも黄金の箒を抱えて居たくは無い。箒を史郎に手渡すと、それは史郎の手の中で魂狩に戻った。
『なら、あの二人の魂狩を教えておく。まず早紀、彼女の魂狩は『コカトリスβ』。ジャマダハルの形状を持つ魂狩よ』
ジャマダハルって知ってる?そう問い掛ける黒木に、オレ達二人は頭を振った。武器の名前なのだろうという事は想像に難くないが、それが一体如何なる形状なのかまでは分からない。生憎、オレ達はただの高校生だ。武器に詳しくなる様な要因など、今までの人生では無かったんでな。
黒木は史郎の机に乗っていたメモ帳とボールペンを持つと、大文字のAに似た絵を描いた。
『ジャマダハルは、こういう形状の刀剣。この横棒の部分が持つ所で、斜めの部分が剣になってるの。カタールって言われる事もあるんだけど、そう言った方が分かるかな?斬るだけでなく、突きでも攻撃出来る便利な武器だから気を付けて』
史郎は頷き、話の続きを促す。
『次に、藍の魂狩。彼女の魂狩は『デュラハンΣ』。スピア…槍の中でも特に歩兵が使う様な物をそう言うんだけど、その形状を持つ魂狩』
「攻撃方法は刺突、だな」
したり顔でそう言った史郎に、黒木は激しい右ストレートで応じた。鋭い打撃が鼻を襲い、史郎はもんどりうってのたうち回った。
『甘いよ、史郎君。とろける様に甘い。そんなに甘いのが好みなら、サッカリン等を大量摂取するがいいさ。それで癌になって死んじゃえ』
黒木は腰に手を当てると、呆れた様に話し始めた。
『史郎君、確かに槍は刺突攻撃もある。けれど、刺突では攻撃可能な範囲は点でしか無い。槍の基本は薙ぎ払いよ。それなら点で無く、線で攻撃出来るからね』
そんな事、普通の高校生が知ってる訳無いだろ。そうは思ったが、オレも先ほどの鋭い右を喰らいたくは無いので黙っておく。
『次に、魂狩の特殊技能について。魂狩が魔や神性の加護を受けているって話はしたよね?その加護を如実に顕したものが、各魂狩の特殊技能なの』
黒木は自分のクラーケン�爾魄�る。
『引き擦り込め、クラーケン』
黒木が呟いた時、血色の宝石…大鎌の刃の付け根に埋め込まれた、銀細工状態の時にもあった血色の宝石…が、鈍い光を発した。その光はだんだんと強くなり、やがて外から差し込む緋色の夕焼けと遜色ない輝きへ成長した。その光が強くなる過程は、まるで…悠久の眠りに微睡んでいた何かが、黒木の声によって目覚めたかの様にも見えた。
『魂狩にはそれぞれ一つずつ、加護を与える魔や神性に因んだ特殊技能があるのよ。私のクラーケン�爾瞭端豕伺修蓮肇謄鵐織�ルス”。刃を最長200センチまで伸縮させ自在に操る、という技能』
黒木は自分の言を証明するかの様に、大鎌の刃を伸縮させる。グニャグニャと蠢くそれは、確かにテンタクルス…触手を髣髴とさせる、はっきり言って気色悪い動き方だった。
『ただね、少し問題が』
黒木は真面目な顔でオレ達の顔を眺める。
『早紀と藍の魂狩、名前と形状は知ってるんだけど…その特殊技能までは知らないのよ。魂狩の特殊技能って言うのはそれこそ何でもアリで、言うなれば奇跡の部類だからね。戦うとなった場合、確実に使ってくると思うんだけど…真逆、死神同士で戦う事になるなんて思わなかったから、そんな事気にもしなかったし…』
確かに。死神の仕事が生き物を殺して霊界に連れ帰る事だとするなら、仲間の武器の形や名前は知っていてもその特殊技能まで知る必要は無いからな。
ただ、それでも出来る事はある。
「でもよ、黒木。さっきあんた、『特殊技能は加護を与える魔や神性に因んだ物』って言ったよな?」
『…ええ』
「じゃあ、早紀と藍だったか?の魂狩はコカトリスとデュラハンに因んだ物になるんじゃないのか?」
オレの言葉に、史郎は急いで部屋を出た。廊下を走る音、そして扉の開く音。多分史郎の姉ちゃんの部屋だ。史郎とその姉貴、歴菜(レキナ)さんは別居しているが、彼女の家に置ききれなくなった本を史郎の家に持ち込んでくるという話を、以前史郎から聞いた事がある。歴菜さんはビブリオマニアだから、その蔵書の中には魔や神性に関する本もあるんだろう。
史郎が何かをひっくり返す音を尻目に、すっかり気の抜けたコーラを啜る。黒木の方をちらと見遣ると、彼女はベッドの橋に腰掛けたまま、ローブの膝を指が白くなる程強く握り締めていた。
やがて、史郎が部屋に帰ってきた。重そうに抱えた数冊の分厚い本を机の上に投げ出し椅子に座ると、一心不乱にページを繰り始めた。それらの資料には、何処かのホームページを印刷した物の束もあれば、ゲームの攻略本も、挙句の果てには水木先生の妖怪図鑑まであった。オレも適当に一冊手に取り、コカトリスとデュラハンの項目を探す。
黒木も検索作業に加わり、見つけ出した項目から導かれた。
「コカトリス。砂漠に棲むとされる巨大な雄鶏の魔で、睨んだ物を石化させる力がある。鶏が産んだ卵をヒキガエルの腹で孵す事によって、もしくは嵐の夜に雄鶏より産まれた卵から誕生すると伝えられる」
史郎が見つけた項目を朗読すると、黒木は眉根を寄せた。
『恐らく、石化って所がポイントね。魂狩の特殊技能にも限界はあるし、流石に睨まれただけで石になるって事は無いだろうけれど…』
顎に拳を軽く当て、眉根を寄せた黒木は唸る。白髪に黒い瞳と言う風貌も相まって、聊かシャープな印象を与えるその姿が、更に鋭利に研ぎ澄まされていく。
しかし、史郎はそんな黒木も目に入らない様子で、デュラハンの情報を読み上げた。
「スコットランドの伝承に伝えられる、己の首を抱えた首無しの女妖精。コシュタ=バウアーと呼ばれる首の無い馬に乗り、死が訪れる者やその家族にそれを知らせるとされる。その姿を除き見ようとした者は鞭で目を打つと伝えられる」
読み上げた史郎は本から視線を外し、黒木を見る。黒木は小さく頷くが、考えが纏まらない様だ。ブレイクスルーとまではいかずとも少しでも手助けになればと、オレは言った。
「馬に乗っている、か、目を鞭で打つ、辺りが有力そうだな」
『推測だけど、デュラハンΣの特殊技能はコシュタ=バウアーを再現した物になると思うわ。多分、速度上昇の補助効果の類だと思う。スピアの形状なんだから、いくら何でも相手の目を打ち据えるなんて特殊技能は無いと思うし…』

そうつばめが言った瞬間、アパートの階段の方から何やら話し声が聞こえた。先程史郎が死神二人の足止めを渡辺さんに頼んだと言っていたが、それももう決壊しようとしているという事だ。
『しつこいで、おじさん!うちも温厚な方やけどな、堪忍袋の尾が切れる、ゆう事もあるんよ。あんまりしつこい様やったら、強制成仏させたるで!?』
よく通る高い声。関西弁を使っている事から察するに、早紀の声だろう。
『お、落ち着いて下さい、早紀様。渡辺様も悪気がある訳では無いと思いますし…それに、我々は沢村史郎様を殺しに来た訳で、無許可での霊界連行は死神業務規約第3条4項で禁止されています』
気弱そうな怯えた声。後半はよく分からない事を言っているが、早紀を制する事には成功した様だ。こちらの声が、藍なのだろう。
二人はまだ渡辺さんと話をしているが、何を喋っているのかは聞き取れない。けれど、こちらに向かっていると言う事は事実だ。オレは二人に目配せし、二人は立ち上がり…己が魂狩を、変形させた。

『往くよ、史郎君。覚悟は、完了した?』
黒木が依然閉ざされたままのドアを見ながら言う。史郎は唇を舌先で濡らし、唾を飲み込んでから答えた。シニカルな笑みを浮かべてはいるが、額の冷や汗は隠せていない。だが、史郎は強がった。
「見縊るなよ、つばめ。今更怖気づく様に見えるのか?」
二人は互いの顔を見遣り、小さく頷くと、並んで飛び出していった。魂狩も持たなければ何か攻撃できる力を持つでもないオレは、ただ史郎の無事を祈る事しか出来なかった。

春が終わろうかと言う時期の、黄昏時。
これが、オレ達と死神達の出会いで、オレ達の人生を決定的に変える事件の始まりだった。

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