『DEATH』 Track・2/Near-Death Experience
(2−1:火田早紀)
手の中には、冷たい魂狩の感触。梅雨の終わりが近いこの時期やし、空模様は悪くて今にも雨が降り出しそうやけど…そんなモノ、うちらには関係無い。うちらはとうに死んだ存在。この世の理には縛られない存在。だからうちは、生前大好きやった雨に打たれる事さえ出来へん。それを哀しいと思う反面、仕方が無いと突き放すうちも、確かに存在した。
『藍。いくら何でも、遅い思わへん?』
傍らに立つ藍に問い掛ける。藍は仮面越しにその冷え切った瞳を向け、そうですね、と短く答えた。
『そうですね、て…』
他に何か無いんかいな、と問おうとする。けれど、藍はそれより先に問い掛けた。
『どう致しますか、早紀様。現在時刻はヒトハチマルハチ。予定時刻より八分間の遅れです。自分達二人ででも、史郎様を殺害する事は可能かと思われますが…?』
穏やかな口調で、えらく物騒な事を言う。確かに、人間一人殺すのに二人も死神がいればお釣りが来る。向こうも武器を持った達人ならいざ知らず、史郎は徒手空拳の一般的学生。負ける道理など、欠片も見当たらへん。
『…そやな。うちら二人ででも、史郎を殺すか。そんで、遅れたつばめに説教したる』
首肯し、ポケットから魂狩を取り出す藍。奇術師が鳩を出す仕草の様に、彼女が手首を軽く振った瞬間――その魂狩は、柄の長さが2メートル近い槍に姿を変える。
『あの〜お嬢さん方、今暇ですか?』
かけられた声に振り返ると、そこには顔の右半分が崩れた男が立っていた。うちらが見える事から察するに、現世に留まったままの浮遊霊、もしくは地縛霊の類やろう。そもそも、顔が半分無い時点で生きている人間はそう居ない。
本来のうちらの業務からは多少外れるが、迷える霊を導くのも死神の仕事。藍に目配せし、話だけは聞いてみる事にした。
『何、おじさん。うちらに何か用なんか?』
『ああ、その、用と言うかね…う〜ん、少し言い難いんだけど…』
自分から話し掛けたくせに、えらく歯切れの悪いおじさん霊。あかんわ、うち、こういうテンポの悪い会話は苦手やねん。バトンタッチ希望。という訳で、藍に振り返る。彼女は小さく頷くと、デュラハンΣをもう一度振るい、待機状態に戻した。
『自分達は死神なのですが、自分達に、何か出来る事がありますか?また、大変恐縮ですが、貴方のお名前を教えて頂けると幸いなのですが…』
藍が一歩前に出て話し始める。
あ、おじさんの鼻の下が伸びた。
むかつく事ではあるが、藍は非常に乳がでかい。あのふくれ饅頭、生前何食ったらあないなったんや。あいつ、自分の爪先が立ったままでは見えへんに違いない。因みにうちは…目線を下げてみるが、足首まで見えそうな勢いやった。嗚呼、この洗濯板が恨めしい。
『僕の名前?ああ、悪いね…死んでいるから名刺は無いけれど、渡辺。渡辺和夫という』
『渡辺様、ですか。浮遊霊か地縛霊とお見受け致しますが、どちらでしょうか?前者の場合は上の許可がおり次第、霊界に移送して差し上げられます。ですが後者の場合、許可を得た上でまず呪縛から解かねばならない為、多少お時間を頂かねばならなくなります。無論、どちらの場合にも上の許可が無ければならないのですが…』
慇懃に説明する藍。落ち着いた口調でありながら巧みに相手との会話を自分のペースに引き込む様は、最早匠の域だった。
『あ、いや、その。僕は成仏したい訳では無くてね?』
藍の丁寧な口調に終始押され気味ではありながら、やっとの事で自分のペースを取り戻す渡辺氏。両手を軽く広げ、藍を宥める様な動作をする。藍はきょとんとした表情で固まるが、仮面越しの視線で続きを促した。
『あー、成仏したくないかと言うとそうでも無いんだけれど、今は少し他の用事で…』
渡辺氏は眉根を寄せ、考えながら喋っている様で相変わらず歯切れが悪い。藍も彼をどう扱えば良いか勝手が分からないのか、何も言わずに立ったままだ。うちはイライラし、思わず投げやりに言葉をかけた。
『鬱陶しい喋り方せんといてな、おじさん。真逆、うちらを軟派したんでも無いやろ?用件、ちゃっちゃと言うてえな』
掌をひらひらさせ、『私は貴方との会話に苛立っていますよー』という事をアピール。だがしかし、うちの言葉を聞いた瞬間に渡辺氏の表情が豹変した。それこそ、水を得た魚の如く明るく輝く。
『いや、実はそうなんだよお嬢さん方!』
『―――そう、て?真逆、軟派の事かいな。冗談きついで、おじさん』
規約違反にはなるけど、表情を見せた方がこっちの心情を理解してもらえるのは確か。うちは仮面を外し、ポケットにしまった。髪の毛で顔の右半分を隠しているものの、仮面越しよりは表情も分かるやろう。
『あのな、さっきも言うたけど、うちら死神やで?そこら辺、分かってくれはってます?』
思いっきり馬鹿にした口調をぶつけてみる。軟派を断る時は、丁寧にしてはいけない。そんな事をしても、しつこく付きまとわれる可能性はあるんやから。軟派を断る時の基本は一つ。相手に、その行動を起こさせる気を無くせば良い。
やから、本心では馬鹿にしてごめんなさいと土下座しながら、口では嘘八百並べて相手を馬鹿にする。馬鹿にされれば普通の人は腹立つ訳で、自分を馬鹿にする奴を軟派する気を起こす奴なんて、普通はおらへん。
『分かっている、分かっているとも。けれど、美しい花はそれが如何なる種類でも美しい。そうは思わないかい、美しいお嬢さん方。それが例え毒の花であったとしても、だよ』
多分、言ってる本人も相当恥ずかしいのやろう。脳に虫が湧いてるとしか思われへん台詞を並べる彼は、顔が真っ赤になっていた。
『どうします、早紀様…?』
何時の間にかうちの横に来ていた藍が、耳元で囁く。どうするもこうするも、こないに厄介な人は相手にしてられへん。うちらは史郎を殺さなあかんのやから。
『藍、もうこのおじさんは無視や。とっとと史郎殺しに行こ。構っとったら日が暮れるで、ほんま』
『了解致しました、早紀様』
藍と頷き合い、うちらは渡辺氏を無視してアパートの階段を昇り始める。幽体なんやから壁抜けとかが出来たら便利なんやけど、残念ながら死神にそんな便利技能は備わっていない。移動するには、誰にも見えない事を幸いと電車にただ乗りするとか以外では、この二本の足を使うほか無いのでした。
藍が魂狩を取り出したのを横目に確認しながら、うちもポケットから魂狩を取り出す。藍やつばめは得物が一つやから魂狩も一個でええけど、うちは両手に装備するタイプ。支給された二つの魂狩を両の腕に一つずつ握り、戦う心をぶつけて待機状態を解除した。
両の拳から突き出されたジャマダハルの刃。柄を強く握り締めたうちの手には、その重みが心地良く感じられた。
『ちょっと待ってくれ、お嬢さん方!』
渡辺氏はなおも追いすがろうとしてくるが、これより先は戦場になる。無関係な人が近くに居て、傷つけずにおける自信は無い。
『しつこいで、おじさん!うちも温厚な方やけどな、堪忍袋の尾が切れる、ゆう事もあるんよ。あんまりしつこい様やったら、強制成仏させたるで!?』
渡辺氏の鼻先に、右の刃を突きつける。これでびびって退いてくれれば良いねんけど。
『お、落ち着いて下さい、早紀様。渡辺様も悪気がある訳では無いと思いますし…それに、我々は沢村史郎様を殺しに来た訳で、無許可での霊界連行は死神業務規約第3条4項で禁止されています』
藍が若干焦った口調でうちを宥めにかかる。うちは渋々ながら、刃を引いた。確かに今すぐこの渡辺氏を霊界に移送する事は可能。だがしかし、先ほど藍が言った様に規約で禁止されている。そないな事をしたら給料が引かれてしまう。ただでさえ薄給やのに。
『分かったわ、しゃあない―――!?』
視界の端、引き千切らんばかりの勢いで開く沢村家のドア。そこから飛び出してきた二つの黒い影は、アパート二階の廊下に設けられた柵を飛び越えて宙に舞った。
ダン、と地面に何かがぶつかった音。急ぎ、音の方向を見遣る。そこには大鎌の魂狩を抱えた少女と、短剣の魂狩を握った少年が立っていた。
柵の向こうはアパートの前庭、アスファルトで舗装はされていないし、そもそも高校生男子がそれなりの覚悟さえ決めれば、飛び降りても大事に到る高さでは無い。
二人は着地の衝撃を膝の屈伸で殺し、そのまま駆け出した。
『早紀様!』
『言われんでも分かっとる!』
うちら二人も、階段の手すりを飛び越えて跳躍。恐らく彼はあの渡辺氏にうちらの足止めを頼んでいたのやろう。完全に、史郎にしてやられた。
空は夕闇が差し迫り、直角の曲がり角が多いこの空間の視界は悪い。けれど、うちらは史郎ともう一つの影を追いかけた。そのもう一つの影によく知った少女の面影を見出しながら、そして同時にその予感が当たらない事を祈りながら。
辿り着いた場所は、夕暮れの学校。校門には、『私立高揚学園高校』。史郎が通っとる学校。史郎にとっては、勝手知ったる領域と言える。逆にいえば、アウェーであるうちにとっては不利な場所。
『自分に有利な土地に移動、か…戦術の基本やな』
逃げる史郎達を追いながら、うちは併走する藍に言った。
『はい…早紀様、生前はこちらに?自分は朝比奈東高校でしたが…』
『うちも違う。うちは朝比奈中央高校やった』
脳の隅に、つばめはこの学校やったという悪意に満ちた考えが湧く。うちは頭を振ってその邪推を払いながら、史郎達が割ったガラス窓から校舎に侵入した。
廊下の真ん中には、仮面を被ったつばめが立っていた。その後ろには史郎が立っている。二人は飽くまで、うちらと戦う構えを見せていた。
『…つばめ、どこ行っとったんや。真逆、とは思うねんけど…史郎の家や、あらへんよな?』
『悪いわね、早紀。その真逆、なんだけど』
皮肉気な苦笑を漏らすつばめ。つまり、それは…先ほど追った人影はやはり、つばめやったという事になる。
『嘘やっ!』
思わず叫ぶ。うちらはこの六年間、ずっと三人チームでやってきた。そのリーダー格やったつばめが裏切ったなんて…そんなん、信じられへん。いや、正確には、信じとうない。
うちはつばめを信じたい。それなのに、うちの視覚はその思いを裏切っている。
『…つばめは…』
言葉に詰まる。もし、この先の言葉を言って…それを、肯定されてしまったら。
『…本当に裏切ったんですか?』
うちの言葉を、藍が引き継ぐ。その眼は氷の刃。背筋が冷たくなる程の殺意を周囲に振り撒くその様は、一匹の獣を思わせた。
『…ええ』
それは短く、それゆえに明確な意思の発露。
『そう、ですか』
藍はそう静かに言って、デュラハンΣの穂先をつばめに向けた。
『死神業務規約第4条2項。死神統一総会に対する裏切り行為があった場合、裏切り行為を行った死神は直ちに処分される。処分の執行は同行の死神に一任される…今ならまだ間に合います、つばめ様。今一度、ご熟考しては頂けませんか?』
『早紀、藍。史郎君がね、私達が生き返れるかも知れないプランを立案したのよ』
藍の言葉を敢えて無視し、つばめは静かな口調で告げる。
『それが上手くいく保障なんて無い。けれど…それを信じてみるのも悪くないと思った。ねえ、早紀、藍。そういうわけだから、私は―――』
つばめはそこまで言って口を噤む。自分がどうこう言うより、うちらに決めさせたいらしい。うちらの進んでゆく、その道を。
『…どう致しますか、早紀様。つばめ様の提案に乗りますか?』
穂先をつばめに向けたまま、藍は問う。うちは、自分の心が動揺するのを感じていた。紅茶に広がるミルクを眺めている様に、心に僅かな希望が侵食し、決意を貪り喰らう様に。
けど、紅茶に交じったミルクは、二度と乖離はせえへん。希望という名の猛毒は、静かに、けれど確実にうちを喰らい尽くす。それでも、うちは心を強く持ちたかった。
『…うちは、乗らへん。生き返るなんて、そんな魔法みたいな事出来るわけあらへんやないか。藍は、どうするんや?』
『自分も乗りません。自分は死神です。そうである以上、規約には従うべきです』
何時に無くきっぱりとした口調の藍。うちは小さく頷き、両手にジャマダハルを…うちが死神である証、コカトリスβを握り締めた。
『…分かったわ、早紀、藍。残念だけど、交渉決裂ね。貴女達がそのつもりなら…私は、力ずくでも生き返る道を進ませてもらうわ』
つばめはクラーケン�爾鯲昭蠅念�り、腰を若干低く落とした。窓ガラスを通して差し込む冷たい月の光が、その刃を半月状に光らせる。
そんなつばめの向こう、史郎は短剣を逆手に構えた。当たり前やけど、彼は戦うのなんて初めての様やった。けれど、その魂狩が如何な特殊技能で戦局を変えるかは分からへん。
『藍、藍はつばめの相手を。うちは史郎の相手するさかいに。ジャマダハルのリーチやったら、つばめとは相性悪いわ』
『了解いたしました、早紀様…御武運を』
藍の短い返事を聞くか聞かないか。うちは硬いリノリウムの廊下を蹴って史郎に踊りかかった。史郎は逆手の刃でうちの斬撃を受ける。交差する刃、澄んだ金属音。
『悪いけど…死んでもらうでっ!』
こうして、戦いの幕は上がる。
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