２－２：火田早紀

（２－２：火田早紀）

最初は教師が音を聞きつけて出てくるんちゃうかと心配しとったけど、幸いにも今日は全員早く帰ったみたいや。その事に気付いてから、うちらの戦いは激しさを増した。
史郎は器用にうちのジャマダハルを受け流す。それは確かに賞賛に値する。けど、如何せん手数が違う。こっちは両手に一つずつ得物を握るのに対し、史郎はたった一振りの短剣しか持ってへん。この強みはどうあっても崩せるものやない。ただ、史郎の短剣、その名称は知らへんけど…その特殊技能次第では、確かにその差はひっくり返されるかも知れへん。けれど史郎は魂狩の特殊技能を使おうとせんかった。正確には、使いたくても使われへんのやろう。考えてみれば当たり前の事、史郎が魂狩を握るのは今日始めてや。己の魂狩の特殊技能を理解できてへんに違いない。
うちは着実に、史郎を追い詰めていった。
そもそも、短剣は逆手に使う装備やあらへん。それはナイフの使い方であって、短剣程の長さになれば順手で持つ方が効率良い。どんなに切れ味が良い刀でも、新兵が使うならそれは熟練の使うなまくらに劣る。そんな初歩も理解出来てへん史郎に、うちが負ける道理は無かった。

『っ！』
数回の切り結び合いで分かった事やけど、史郎は専守防衛や。こっちの攻撃に対する反撃はあっても、下がったうちを追撃する事はあらへん。だから、一歩下がるだけで容易に体勢を立て直せる。至極、捌き易い。一旦後ろに飛び、崩れかけた体勢を立て直す。これで、半秒。
左の刃を右下に下ろし、右の刃は腰に添える。身体は史郎に対して斜めに構え、膝の関節に力を込める。ここまでで、一秒。
床を蹴り、半歩の位置で左を斬り払う。それは辛うじて突き出された短剣に阻まれるやろうけど、それはフェイク。一歩の位置で打ち出す右の突きが本命や。仮にこれを回避されても構わへん。更に一歩を踏み込んだ位置で、両手を使って攻撃できる。横に避けられたなら薙ぎを、後ろに避けられたなら突きを繰り出す。
致命傷にはならへんやろうけど、回避出来ないという事実は史郎の心を惑わせる。戦いなんてモノは、要は先の読み合いや。敵より先の一歩を常に見据えていさえすれば、自ずと勝機は見えてくる。そして、第一撃。
けれど、左の刃を振るおうとした時に違和感がうちを襲う。史郎の姿が消えた。否、それは錯覚。沈み込んだ姿勢での疾走は、完全にうちの死角やった。
『はぁっ！』
史郎の短剣が、空に白銀の輝きを放つ。それはうちの顔を抉る軌跡を描きながら、仮面を剥ぐだけに留まった。逆手に握っているという事を差し引いたっても、甘い。踏み込みも、その覚悟も。なら、それを往なすのは簡単や。うちは史郎の動きを予測し、それに対する最善の手を打った。
史郎は己の攻撃が浅かったと見るや、うちの脇をすり抜けて背後に回る。けれど、うちの射程から離脱するにはその動きでは遅すぎる。腕を伸ばして振り向きながら、バックステップも組み合わせた斬撃。掠っただけやったけど、手応えはあった。背骨とまではいかへんでも、史郎をよろめかせる事は出来た。なら、そこに追撃を…
『…え？』
地面がすごい勢いで近付く。いや、これはうちが倒れているだけ。真逆、史郎…うちに体勢を崩された事を利用して、足払いを？けれど、倒れている事では互いに条件は同じ。先に起き上がれば、それだけで圧倒的優位になれる。そして、うちは足払いという動きが無い分、確実に史郎より速い。
起き上がって史郎に突撃しようとするうちに、白銀の刃が突き出された。それは史郎の短剣やあらへん。つばめの、クラーケンⅧ。
『なっ…？』
『史郎君、大丈夫？』
史郎が起き上がるまでの間、つばめが彼を援護する。藍はつばめを狙おうとすれば狙えるけれど、藍の得物は槍。連続した攻撃には向かへん魂狩やから、起き上がった史郎の格好の的になる。つまり、史郎が起き上がる邪魔は出来ないという結論。うちは後ろに下がり、起き上がった史郎の攻撃に備える。つばめは史郎が起き上がるとすぐに藍との戦闘を再開し、うちらの戦いは仕切り直しという事になる。
『それと、史郎君。短剣は逆手で持つ得物じゃないわよ』
つばめが史郎の握り方を見て注意を促す。史郎は素直にその言に従い、手首を返して得物を順手に握り直した。
これは、正しくは仕切り直しや無い。史郎は己の短剣の使い方を理解し、若干ではあるが、確実に隙が少なくなる。彼はうちと距離を取るように、少しずつ後退する。距離を離し、うちが向っていった所でカウンターを狙うつもりの様や。
けれど、それも無駄な事。まだうちが有利や。戦いは先の読み合い。なら、その勘はどこから来るんか。無論、それは経験からや。
左右に腕を僅かに広げ、斜めに下ろす。うちはその姿勢のまま、己が身体を弾丸に変える。自慢や無いけど、うちは足が速い。そんじょそこらの男にかって負けへん自信がある。それに今までの動きから見ても、史郎はうちより足が遅い。なら、この細い廊下で史郎が取りえる策は一つ。突っ込んで来てうちの攻撃より先にうちを仕留めるか、ダメージ覚悟でカウンターか。けれど、どっちの策も成功はせえへん。うちは、それより更に速い。
でも、その読みは見事に外れた。
「ちっ…」
史郎はいきなり後ろを向くと、全力疾走を始めた。さすがに彼も男、うちには及ばないまでも、そこそこの足は持っとる。けど、甘いで史郎。廊下は有限、史郎の体力も有限。いつかは壁際に追いやられ、そこに待つのは確実な死。そしてそれは、もう目前に迫っとるやんか。
『これで…終いやっ！』
両手を前に揃え、更に加速。良ければ串刺し、最低でも深い傷には出来る筈や。そうなれば、後はこっちのもん。一撃で首をやれば、それで終わる。
『…！？』
史郎の姿が、またも消える。今度も下かと見遣るも、そこには影も形も無い。なら、今度は何処へ…
「はぁっ！」
声の方向は左。そちらに在ったのは…階段！？
史郎は右手に握った短剣を振り下ろす。防御が間に合わない！
『かぁっ…』
ざくり、と。左肩から肘にかけて、上腕部が深く切り裂かれる感触。縦に斬られたから切断こそされてへんものの、刃先は骨に達したか。神経を駆け抜ける電気信号。傷口からは盛大に血が噴き出し、床に滴ってぼたぼたと耳障りで気持ち悪い音を立てる。ローブの袖もじっとりと湿り、試しに動かしてみた指はそれだけで飛び上がりそうな激痛を生む。
あかんわ。もうこの腕は使い物にならへん。
『はは…頭ええやんか、史郎。そやな、ここは学校。廊下の端っこには階段が在るわな』
痛い。左腕が痛い。泣きそうな位、痛い。痛みいうんは、身体からの危険信号。このままではこの部分は死に至り、二度と使えなくなる、という意味の。傷口は深く、目の端で確認したらやっぱり骨が見えかけてた。縫合、最低でも止血せえへんと大変な事になる。けれど、そんな猶予は与えて貰えへんようや。いや、うちが退けば史郎は追ってこないやろうから、傷口を縛る位の応急処置は出来る。でも、うちは退く事を良しとしなかった。
「…早紀、だったよな。その状態でも、まだやる気か？お前だって生き返りたくない訳じゃ無いだろ、何でつばめの提案に乗ってやらない？」
史郎は短剣を振って刀身にこびり付いた血糊を払う。その目はもう戦いたくないと、雄弁に物語っとった。けどな、うちも仕事や。腕の一本持ってかれたからって、はいそうですか、言うて引き下がるわけにはいかへんのよ。
『やる気か、て？もちろんや、史郎。仕事言うんはな、やり遂げてこそ意味があるんよ？』
使い物にならない左手は、今後楯として使う事にする。過剰な期待は出来へんけど、遠心力で振り回せば武器として使えん事も無いやろう。それに、残った右手一本でも上手く立ち回れば史郎を殺せる筈。口で言うんは簡単やけど、行うんは相当難しい事。せやけど、出来るか出来ないかなんて、そんな問いに意味は有らへん。やるかやらないか、や。
うちは右手のコカトリスβを構え、史郎の方を向く。史郎は少しだけ悲しそうな顔をしたけど、それでも短剣をしっかり構えた。相手がその気なら、手負いの相手でも手は抜かへんか。ええなぁ史郎、男らしいやんか。そういう男、うちは好きやで。
『ほな、仕切り直しと行こか』
「…ああ」
一歩踏み出す。足元で自分の血溜まりがびちゃりと揺れる。左腕の傷もあるし、全力で走り回るんは危険。かと言って、うちの戦いは相手の先を取るスタイルや。相手が何かする前に殺すんがセオリーやし、相手の攻撃を待ってカウンターやなんて、性に合わへん。しゃあない、もう少し気張ってな、左腕。
走り、史郎を右で突く。史郎はそれを後ろに退いて躱し、腰の回転で振り回した左のジャマダハルは短剣で受け止めた。振動が骨を伝い、脳を痺れさせる。ええ動きするやんか、史郎。うちは何時しか、史郎との戦いを楽しんどった。いや、戦う事が楽しいんやない。史郎とこうして一緒に居られる事が楽しいんや。
うちは愛だの恋だの、そういうのには疎い方やけど…それを恋愛感情と言うかと問われれば、そうなんかも知れへん。自分の全てを出し切らせてくれる相手と、やっと巡り会えたとも言えるんやから。
史郎の斬撃を左腕で受け、刃が肉を裂く間に右で反撃。ぞぶり、と刃先が柔らかい何かに突き刺さる音が聞こえた。けれど史郎が身体を刃の方向に合わせて逸らした所為で傷は浅い。恐らく、内臓には達してへんな。ジャマダハルの柄を握り、回転させる様に引き抜く。
「ぐっ…」
くぐもった悲鳴を上げ、歯を食い縛る史郎。けれど史郎は一歩も退かず、短剣をうちの顔目掛けて突き出した。首を捻って躱すけど、頬を薄く裂かれた。後ろに飛んで崩れかけた姿勢を正し、右を構えて史郎の攻撃に備える。
「畜生…分かっちゃいたけど、本気で殺しに来やがって…」
左手で腹の傷を押さえ、史郎は右手だけで短剣を構える。腹の表面を軽く抉った程度の浅い傷やけど、長さはそこそこある。それだけに、その出血量は半端や無い。咳き込んだ拍子に口の端から血が漏れ、制服の胸を紅く汚した。
『なんや、史郎。真逆、この期に及んで冗談やとでも思っとったんか？』
「ああ、そういう事にして貰えると結構嬉しい。でもまあ、冗談だって言っても制服ぼろぼろにした事は謝って貰うけどな」
は、と乾いた笑いを吐き捨てる史郎。血に染まった唇をにやりと吊り上げると、史郎は短剣を握り直した。視線は鋭く前を見据え、満身創痍ながらも毅然とした態度を崩さない。
あかんわ。うち、本気で惚れてしまいそうや。けど、今はそないな事を言うてる時やあらへん。うちは彼を殺すという信念を貫き、史郎は己の命を諦めない。そこには妥協点なんてあらへんし、うちは妥協するつもりも無い。
なら、幕が引きはうちが史郎を殺すか、うちが史郎に殺されてるかのどっちかしかあらへん。けどな、史郎。うちは、あんたに幕を引かせてやる気はあらへんよ。幕を引くんは、うちのコカトリスβや。
「…もう一回言うぞ、早紀。つばめの提案に乗ってくれ」
史郎は軽く顔を伏せ、頼み事をする様に言った。うちは微笑を浮かべ、史郎に答える。既に夕日も落ち、校舎には僅かな光しか差し込まない。そんな仮初めの闇の中、うちの心は史郎に傾きつつあった。やから、うちの決意はその時…確かに、揺らいだ。
『ええで、史郎。うちが史郎に負けたらそん時は潔う、あんたらに協力したげるわ』
知らず、そんな言葉が口をついて出た。心の底で、自分が蘇生する事を望んでいなかったと言えば嘘になる。でも、うちは霊界で死神としての道を選んだ。やから、多分。うちが欲しかったのは、きっかけやった。生き返るという事を、無理やりにでも正当化できる…そないな、小さなきっかけが。
「その言葉、忘れるなよ」
史郎は言い、再び刃を構える。うちは自分の失言を諦め、右手の刃を史郎に向けた。
史郎の短剣が左から迫る。それを右の刃で受け、力任せに押し返した。だが、そこで体重の軽さが仇になった。史郎も男、本気で踏ん張ればうちが体重をかけても受け止められる。
「あああっ！」
叫び、史郎は逆にうちを押しにかかる。ここで無駄に力比べをしても、うちが疲れて不利になるだけや。そう悟ったうちは後ろに下がり、改めて右の刃を構えた。
史郎は両手で短剣を握り、袈裟懸けに切り下ろす。そんな構えをしたら腹の傷が開くさかい、愚かな選択といえる。けれど、確かに威力という一面では最適の戦略とも言える。恐らく史郎には、もう何度も剣戟を交わすだけの力は無い。小細工を弄して戦うより、一撃で決める手に出た様や。けど、大ぶりな技はその威力に反比例して回避しやすい。うちはそれを後ろに下がって躱し、右の刃を振り被って後ろに引いた。しかし、それが失策やった。うちは失念しとった。ここは廊下の端、さっきまでうちは史郎を壁際に追い詰めたつもりであった事を。
がぁん、と鈍い音。コカトリスβの切っ先が壁に埋まり、外れない。
地を蹴る音に振り返れば、史郎は短剣を振り下ろしながら突進して来とった。刃先は腰に構えられ、その切っ先は僅かな光を反射して鋭く光る。
腹か、胸か、それとも喉か。どこにしろ、重傷は免れへん。うちは覚悟を決め、目を瞑った。まあ、あれか。惚れかけた男に殺されるいうんも、それはそれで一興やないか。
「…おい早紀。真逆お前、俺に殺されるの待ってるんじゃないだろうな？」
呆れ果てた史郎の声。恐る恐る目を空けると、短剣を心臓に突き付けた史郎が立っとった。
『…はよ殺し。うちは負けたんや、反抗はせえへんで？』
「言ったよな、お前。負けたら俺らを手伝うって。なら、その相手を殺す訳無いだろ」
呆れ果てた様な、けれど優しい苦笑。史郎はあっさり短剣を引いた。
…甘い。ほんまに、史郎は甘い。うちを殺さへんなんて。そして、凄くずるい。そないな表情されたらうち、逆らえへんやんか。
うちは小さく微笑むと、やはり小さく頷いた。

２－１　　　２－３

戻る