(2−4:黒木つばめ)
藍の槍が描き出すのは、緩急自在な点と線。元々表情に乏しい奴だったけれど、仮面を外し、私と約束を交わしてからはその特徴がより顕著に表れている。藍がその冷ややかな眼で見つめるのは、黒木つばめという攻撃対象だけ。それ以外の物には一切目もくれず、彼女は冷酷な機械の様にデュラハンΣを振るう。
貫き穿ち、舞い踊る穂先は銀の爪。旋回し、重く喰い付く石突は銀の顎。クラーケン�爾凌論茲鮖羂貊鼎慮�切りで躱しながら、藍の攻撃は私の肉を毟っていった。
激痛の中、私と藍は刃を振るう。
「つばめ!」
史郎君が叫び、こちらに駆け寄って来る。その後方、左腕を押さえて早紀が蹲っていた。どうやら、史郎君は早紀に勝利したらしい。史郎君には早紀と藍を説得して一緒に生き返りたいという私の要望は伝えてあるし、早紀がまだ現世に留まり、霊界へ強制移送されてないところを見ると、史郎君はちゃんと精一杯話し合って早紀を説得してくれた様だ。
「つばめ、早紀はちゃんと力一杯話し合って説得したぞ」
精一杯話し合って、ではなかった辺りに、一抹の不安を覚えた。
『ま、いいか…ねえ藍、早紀はこっちに付いたけど、藍はどうするの?まだ私と殺り合うつもり?』
これでも長年付き合った仲だ。こんな場合の彼女の答えなど、容易に予想できる。けれど、一応問い掛けてみた。一種の儀式だ。
彼女は仮面じみた無表情を剥いで儚げな微笑みを漏らす。だが、それは刹那の事。藍はくるりとデュラハンΣを一回転させて身構えた。
『つばめ様。自分がどう答えるのか位、予想は出来ていらっしゃるのでしょう?自分に選べる物など無い、ただ決めるだけ。生きるか、死ぬか。ただ、それだけ』
答えた後にまた無表情に戻る所まで含めて、藍の行動は予想通りの反応だった。
私は史郎君に向けて小さく頷くと、クラーケン�爾鮃修┐突�との距離を計った。互いに得物は届かない。しかしまた、互いに特殊技能を発動させる隙も無い。ここは純粋に、力と技術で殺り合うしか無いようだ。私はそう目算し、藍の攻撃に備えて柄で腹を守る。
史郎君は左手で腹を押さえたまま、右手だけでヤハウェを握る。夕方に私が抉った左肩は、どうやら満足には動かないらしいのに、彼は私と一緒に藍と戦おうとしてくれているらしい。私を気遣ってか、自分が死にたくないからかは分からない。だが、私は彼に声をかけた。
『史郎君、悪いけど…』
「お前は引っ込んでろとか言うなら、俺はお前を刺してでも、あいつと戦うからな」
史郎君は私の言葉を遮り、そして私より一歩前へ出た。藍は槍、それに対峙する史郎君の得物は片手で持てる小さな短剣。得物の性能に圧倒的な差があり、尚且つ史郎君は戦闘に関しては素人だ。それに対し、藍は冷酷なプロ。殺すと決めたなら、例え首だけになってでも相手に喰らい付くタイプだ。どう考えたって、史郎君が戦って勝てる道理は無い。
けれど、史郎君には少しも怯えの色は無い。いや、本当はどんなに怯えている事だろうか。どんなに恐れている事だろうか。彼は今まで、幽霊が見えるという事以外は平凡な人生を歩んできた。そんな彼が、殺し合いの世界で平然としていられる筈が無い。
けれど、彼は戦うと決めた。
その決意を貫く為には、史郎君は自らの命を危険に晒す事も厭わない。退く事を、絶対に良しとしない。その意思は、傍目からも明らかだった。
彼は、沢村史郎は、間違い無く、弱い人間だ。
でも、彼の意思は、間違い無く、強い意志だ。
沢村史郎の人生は、平凡に彩られていた。だからこそ、彼は今までこれ以上無い程に平凡な人生を歩んできた。それしか歩む道が無かった。だが、だからこそ。沢村史郎は、これ以上無い程に非凡な存在へと成長していた。
『では史郎様…参ります』
藍はバックステップで大きく距離を離す。天井に頭をぶつけそうな位置まで斜め上に跳躍し、空中で穂先を史郎君に向けた。一旦離れてから、特殊技能で加速しての急襲。そんな私の予測は、見事なまでに外された。
『駆け抜けろ、デュラハン』
藍が蹴ったのは、着地点の床ではない。学校の廊下、その天井に設置されているスピーカー。そんな小さな場所を足場に、彼女は加速した。
空から迫る藍の穂先は、獲物を穿つ猛禽類の嘴。宙を舞う白銀の輝きが、史郎君の振ったヤハウェと交差した。
堅く冷たいリノリウムの廊下を史郎君の革靴が滑り、激しく耳障りな音を立てる。聴覚は情報を伝えるが、視覚がそれに追いつかない。それでも精一杯急いで振り向いた私の目に飛び込んだのは、在り得る筈の無い光景だった。
藍のデュラハンΣ、そしてその穂先の中程まで喰い込んだ、史郎君のヤハウェの刃。
確かに、短剣で槍を止める事も理論上は可能だ。デュラハンΣの穂先の一点にヤハウェの刃をきっちりと合わせれば、藍の突撃も防御できる。だが、それは刃の腹で受けてさえ難しい行為。刃筋を立てて槍を受け止めるなんて、史郎君みたいな素人が出来ていい芸当じゃない。
そして、それ以上に不可解なのはデュラハンΣの穂先に史郎君のヤハウェが埋まっているという事だ。
使用者によって変化する形状の優劣は在れども、魂狩は本来すべて同一の規格。故に、そこから変化した状態でも、同一規格である以上はどの魂狩だって強度は同じだ。ただ、全ての魂狩において血色の結晶、魂狩の核は耐久力が低く、魂狩の弱点となり得る。そこに過度の衝撃が与えられたり一定以上のダメージが蓄積したりした場合、魂狩は形状を変化させる事が出来なくなり、一時的に休眠状態に移行する。死神統一総会の発行する教習所の教本にだって書いてある、魂狩を扱う上での基本的な注意事項だ。だから、そうなったのであれば、それは驚くべき事では無い。
だが、魂狩を壊す事が出来るなんて、今まで一度たりと聞いた事が無い。けれど、この目に映る事実として、史郎君のヤハウェは藍のデュラハンΣを切り裂いた。
唯一絶対の神の名を冠するその魂狩は、あらゆる魔の加護を打ち倒す。
魂狩を切り裂く事が出来る刃。
それが、史郎君の魂狩だった。
『…!』
藍も私と同じ事に気付いたか、目を見開いて、己が得物に喰い込んだヤハウェの刃を呆然と見つめていた。だが、すぐにその槍を引く。それは私の攻撃に備えてかも知れないし、魂狩を破壊するという能力を有する恐ろしい相手から離れるためなのかも知れない。恐らくは、その両方だろう。
だが、動き始めた藍に対して史郎君は右手でヤハウェの柄を握り締めて左手は峰に添えた姿勢のまま、動く様子が無い。藍はその槍を引いているのに、史郎君と彼女との距離は少しも離れず…
藍は、確かに槍を引いている。ならば、何故藍と史郎君の距離が離れない?
史郎君は、動いていた。藍と同じだけ、いや、ほんの僅かに、史郎君の方が大きく。
『くっ…!』
悲壮な声を漏らす藍。だが、彼女と史郎君の距離は僅かずつだが、確実に狭められていく。じわじわとデュラハンΣを侵すヤハウェ。その刃先が、槍の穂を完全に切り裂き、根元に在る核に到達した時…魂狩は、どうなるのか。恐らくそれは、魂狩の完全な破壊だ。
魂狩の機能を殺してそれを休眠させるのではなく、それが魂狩であるという事実を殺す。
だが、そこで私は恐怖を覚えた。
魂狩が使用者によって形状を変化させるのは、何故なのか。それは、変形後の形状は使用者の魂によって定められるからだ。使用者の生き様によって加工された魂を、戦う意志を媒介に魂狩が更に加工。そうして、使用者独自の形状が組み立てられる。ならば、変形した後の魂狩は使用者の魂にもリンクしているのでは…?
『史郎君、駄目!』
思わず叫んだ私の声に、史郎君が振り返る。藍はその虚を狙い、史郎君のヤハウェを裂けた穂に挟んだまま、デュラハンΣを横に大きく薙いだ。史郎君はたまらず吹き飛ばされ、その先に在るのは窓。彼はなす術無く、割れた窓から校庭へ落下した。
藍は一瞬だけ私を見遣り、更に一瞬逡巡した。私は藍のデュラハンΣ、その穂先を見る。それはやはり穂の中程までは切り裂かれているが、ヤハウェは吹き飛んだ史郎君が握っていたままなのか、そこに挟まってはいなかった。
藍は私の視線を避ける様に、割れた窓から外へと飛ぶ。その顔に浮かんでいたのは、少しだけ寂しげな…微笑?
いくら藍が半端じゃないマゾヒストだからと言っても、この場に浮かべる笑みが存在する筈が無い。だが、その意味を問う時は今では無い。私は彼女の後を追い、窓枠を蹴った。
最早日は完全に落ち、校庭を照らすのは月の静かな光のみ。誰も居ない校庭で、史郎君と藍は幾度も魂狩を打ち合わせ、火花を散らしていた。突き、斬り、払い、刃と刃が噛み合う度に、甲高い音が響き合う。
藍の素早い突きと薙ぎを組み合わせた攻撃に、史郎君は短剣一本で器用に立ち回る。先程槍を切り裂かれた経験を踏まえてか、藍は特殊技能による加速を避けて戦っている様だ。
「つばめ!」
史郎君は薙ぎ払われるデュラハンΣを半身になって躱すと、そのまま地面を転がって私の所へ来た。夕方に私が切り裂いた左肩の傷もあるのに、目を見張るべき運動量だ。
「訊きたいんだが、さっきは何で駄目って言ったんだ?」
彼は私の足元で、地に左手を付けて荒い息を整える。藍も息が上がっているのだろう、追撃は避けて距離を広げていた。
『詳しい説明はまた後でするけれど、史郎君のヤハウェは私達の魂狩と違って、他の魂狩を壊す事が出来る。魂狩の核…あの血色の結晶さえ壊せば、多分…魂狩を、完全に破壊出来る』
「なら、そこを狙えば藍の武器は一つ無くなるのか…」
史郎君は唇を濡らす。夜闇に紛れて見えにくいが、彼の制服は最早襤褸切れだった。それも当然だ。史郎君は早紀との力一杯行われた説得に続き、藍も力一杯説得しようとしているのだから。
『史郎君。確かに、あの結晶を壊せば魂狩は壊れると思う。けれど、魂狩は使用者の魂を武器などの形状として映す、歪んだ鏡の様な物。もし魂狩をデュラハンΣの状態で壊したら、藍の魂まで破損するかも知れないの』
それが短剣という若干頼りない物であっても、武器は武器。その攻撃を防がねば、致命に到る刃傷を受ける。だが、ヤハウェの斬撃を防ぐには魂狩を使わねばならない。そして、その楯となる魂狩を破壊されれば…やはり、死に到る。
圧倒的なジレンマ。それが、『魂狩を壊す』という事だ。
史郎君は呆然とした顔をする。だが、一瞬で眉を寄せ、気を引き締めた。
「…魂狩の核を壊さない様、善処する。魂が壊れたりなんてしたら、藍が生き返れる可能性はゼロになるんだろ?」
息を整え終えた史郎君は立ち上がり、ヤハウェを構える。その白銀の短剣は、名状し難き熱を孕んだ戦場の夜気さえ凍て付かせた。
私は史郎君の援護をするべく、クラーケン�爾鮃修┐拭�だが、彼はそれを左手で制する。
史郎君は、この戦いに自らの力で幕を引こうとしているのだ。自分が勝てるかどうかなど度外視している。戦闘そのものに対する畏怖、自分と違って戦い慣れている藍に対する恐怖。けれど、それらを纏め上げ振るう、意思の力がここに在った。
ギリシャ演劇、どうにもならなくなった状況を誰にも逆らい得ない圧倒的な力で打破し、その舞台に無理やり幕を引く、機械仕掛けの神。私の目の前に居るのは、正しくそんな存在だ。ソード・オブ・デウス・イクス・マキナ。全てを捻じ伏せ打ち砕く…最強の、剣だ。
だが、それは彼の魂狩であるヤハウェを指すのでは無い。そのヤハウェを握る、在り得ざる高校生…沢村史郎、その人だ。
史郎君が緞帳を上げる。その先に待つのは、藍との血戦。握る刃の動きは無様で、戦いに慣れていない事は一目瞭然。それに応じる藍の動きは舞い踊るかの様に美しく、そこに一切の無駄は無い。だが、二人の打ち合う刃は互いの急所に牙を立てられず、幾度も激突し、互いに小競り合いを繰り返すばかりだった。
『藍、動きに無駄が無さ過ぎるんや』
何時の間にか横に来ていた早紀が呟く。
その言の通り、藍の動きには一切の無駄が無い。だがそれ故に、ひどく予想し易い。いかに鋭い刺突も、来る場所が分かっているのならば防ぐ事も容易い。無論、来ると分かっていても素人である史郎君には完全に防ぐ事は出来ない。だから、史郎君は避けきる事は諦め、急所への直撃を避ける事に専念している。
だが、そんな鋭い藍の攻撃に対し、史郎君の攻撃は駄剣だ。無駄が多く、戦闘の定石を知らぬが故に、その刃は予想だにしなかった場所から繰り出される。当然攻撃してくると読んだ最適の瞬間を見逃し、攻撃しないと見逃した瞬間に刃は繰り出される。技など無く、ただ叩きつけるだけの未熟な剣戟。
故に、それは戦いに慣れすぎた藍には見切れない技となる。
藍の突きを短剣の腹で逸らし、転がりながら続いて迫る薙ぎ払いも回避する。戦いに慣れていない筈の史郎君を仕留められない焦りからか、藍は槍を大きく横に振りすぎた。そこに生まれた度し難い隙を、史郎君は見逃さなかった。
最早、遮る物は何も無い。大地を蹴って、真っ直ぐに。
刃は風を纏い、一筋の雷光の如く地を駆ける。
右の腕でしっかりとヤハウェの柄を握り、満足に動かない左手はそれに軽く添える。急所を避け、通り過ぎざまに肩を抉る。そのまま背中を切りつけようとした史郎君。だが、藍の方が一瞬速かった。振り抜いたデュラハンΣを片手で背に回し、楯と成す。
何かが砕け散る音がした。
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