(3−2:鎌田戒治)

史郎がアパートに帰って来たのは、日も完全に落ちた夜中の事だった。姉貴には史郎の家に泊まるとメールしておいたし、雑事の処理は完璧だ。
「おう、お帰り、史郎」
傷だらけの史郎はオレを見るとにやりと笑い、親指を立てた。
「力一杯説得してきたぜ、戒治。早紀も藍も、分かってくれた」
見ると、ほぼ無傷なのは黒木だけだった。火田は片腕がだらりと下がっているし、小海に至ってはこのままぽっくり逝ってもおかしくない顔色をしている。いや、既にぽっくり逝ってるんだからこの表現は変なのかも知れないが…

全員が思い思いの場所に腰を落ち着け、一息つく。ふと見上げた天井では、切れかけた蛍光灯がちかちかと瞬いて誘蛾の役割を果たしていた。
「にしても、手酷くやられたな。何もしなかったオレが言える台詞じゃないけどよ、もう少し何とかならないのか、お前ら」
目立った外傷が無いとは言え黒木も戦闘してきた事に代わりは無い訳で、げっそりした表情だ。しかし、彼女は自分だけが肉体的に無傷に近い事に責任を感じたか、力強く答えた。
『魂狩で付いた傷なら大丈夫、治せる。要は魂の損傷が肉体へ影響しているからで、魂の損傷さえ修復すれば、すぐに肉体も治っていく筈』
言うが早いか、黒木は史郎を脱がせにかかる。いきなりの事に史郎も驚くが、抵抗するだけの体力は残っていないらしい。すぐに上半身を裸に剥かれていた。
『さて、と。早紀、藍、あんたらは死にゃしないんだから後回しね。まずは史郎君を回復させないと…』
黒木の手から柔らかな光が溢れる。宗教画なんかで天使の背後に描かれる様な、そういう光だ。史郎は黒木の成すがまま、左肩や腹の傷にその手の光を受け入れた。
幸いにも両方傷は浅かったらしく、数分も手を翳していると両方傷は塞がった様に見えた。
『動かしたら痛みはあると思うけど、少なくともこれ以上悪化はしないから。二、三日もすれば完治する筈だから、安心して』
史郎が頷くのを見て、黒木は安堵の表情を浮かべる。そしてすぐさま、火田の治療に取り掛かった。憶測で物を言って恐縮ではあるが、ナイチンゲールが天使と称えられたのも、こんな献身的な姿からだろう。
「すごいな、黒木。こんな簡単に傷治しちまうなんて、魔法みたいだ」
率直な感想。そこには一匙のお世辞も含まれてはいなかった。だが、黒木はそんなオレの言葉も耳に入らない有様。額に汗し、今度は火田の腕を治療していた。

『あの…申し訳ありませんが、少し、お手を貸して頂けないでしょうか…』
小海が息も絶え絶えに言う。起き上がろうとする彼女の肩を抱き、今にも崩れそうに細い身体を支えた。その清楚な雰囲気を湛えながらも凛とした横顔は、どこか福本先生に似ていた。

ちなみに福本(フクモト)先生とは、オレ達の学校の数学教諭だ。フルネームでは福本アゲハ。白いTシャツと青いジーンズが良く似合い、スタイルが良くて性格も快活で、なおかつ実家は金持ち。何をとっても非の打ち所が無ければ申し分も無い、完璧な人だ。しかも賢い。よく巨乳は馬鹿だとかやっかむ女がいるが、その女も福本先生を馬鹿だと言うのなら自分が馬鹿以下である事を素直に認めねばならない事だろう。そんな良い女だ。どのくらい良い女か具体的に言うと、今までに何人もの女生徒をその毒牙にかけてきた体育教師の月詠野(ツクヨミノ)が赴任してきた福本先生を見た瞬間に押し倒そうと心に決め、その次の瞬間には実行に移していた程である。そしてここからがその良い女具合を遺憾無く発揮する場面だ。職員室という障害物の多い空間でフライングボディアタックを繰り出したと、ただそれだけで驚愕に値する運動性能を誇る月詠野を軽く避けた福本先生は、これをプロレスごっこか何かだと勘違いしたのか、着地した相手に向かってバックドロップをかけようとした。だが哀しきかな力が無くて持ち上げられず、『あれ、おかしいな。持ち上がらない…』と言いながら胸を月詠野の背に押し付けたと聞く。月詠野が回想だけで鼻血吹きながら鼻の下を伸ばして言っていたから、ほぼ間違い無い。
なお、今までに月詠野が何人もの女生徒をその毒牙にかけた事が判明していながらクビにならないかと言うと、襲われた女性とがことごとく月詠野の虜になって惚れ込んでしまっているからである。月詠野の奴が理事長の幼馴染である事は別として。ちなみに月詠野は女であり、その行動からレズだと思われているが、自称はバイセクシャルだ。だがしかし今までにそのさっぱりした気概とすらりと長い脚に惹かれて告白した男子生徒は全員、枕を並べて討ち死にした。そして月詠野は可愛い女子には襲い掛かる事から、やっぱりレズなんじゃないかと言われている。
そういった訳で、生徒は月詠野の事を愛すべき馬鹿だと思っているか、底無しの変態と思っている。さもなければ愛すべき馬鹿な底無しの変態だと思っていた。
これが我が校で一般的な生活を送る上で知っておくと役に立つ情報の極一部である。その他情報は高砂生徒会長閣下率いる生徒会が毎年発行している『私立高揚学園白蓮華』に詳しい。この本の素晴らしい所は様々あるが、第一には色々な注意事項が生徒手帳よりも詳しい上に学生生活で役に立って面白いばかりか、生徒手帳よりも若干安い点だ。しかも第二には、表紙には『パニくるな』とも書いてある。

さて、話がそれた。

「おい、小海。お前、動いて大丈夫なのか?そりゃこれ以上死にはしないだろうけど、どう見ても健康な顔色には見えないぞ?」
『いえ、自分は単に「歪曲作用」を使いすぎただけですので…精神、肉体共々に疲労は御座いますが、命には…と言えばよろしいのでしょうか、自分には分かりませんが…別状は御座いません。ご心配、ありがとう御座います』
やけに丁寧な言葉使い。雰囲気から察するに、死亡時の年齢もオレや史郎より一つか二つは上だっただろう。死んでから今までの時間も考えればどう考えても年下のオレに対してこうも仰々しい言葉使いで接されると、どうにも背筋がむず痒かった。年上を『小海』と名字で呼び捨てるオレもどうかとは思うが。
ともあれ、小海はオレの肩を借りながらゆっくりと窓際に移動する。ただ疲れただけとは言っていても、どうにも危なっかしい。それは病的な程に白く澄んだ、その肌の色の所為だろうか。
『窓を、開けて戴けますか?』
言われた通り、窓を開ける。夏前とは言え、夜の空気は涼しかった。
小海は窓から身体を乗り出し、眼を瞑る。夜風に当たりたいだけかと思ったが、そうではない様だ。夜の闇を鋭く見据え、何か考え込んでいる。
小海はしばらくそうした後、急に振り返った。そして、史郎達の方をちらと見遣る。史郎の治療はもう終わっているし、火田の方もそろそろ終わりそうだ。
『皆様。少し、自分の話を聞いて戴けないでしょうか』
小海の声は落ち着いていたが、鋭さをも兼ね備えている。有無を言わせぬ強制とはまた違う、聞かねばならないと思わせる話し方だ。小海本人は無意識でやっている事だろうが、これが天性のカリスマという奴だろう。

『まず、自分の考えが思い過ごしであるという事も有り得えます。無論、それに越した事は無いのですが…』
妙に言いよどむ小海。イライラする程ではないが、話を早く進めて欲しいとは思う。肩を押さえた史郎は手振りで話の続きを促した。小さく頷き、小海は再び口を開く。
『まず、史郎様の魂狩によって自分の魂狩は破壊されました。その結果、崩壊した魂狩はこの朝比奈の街に撒き散らされた事になります』
オレはよく知らんが、小海がそう言うならそうなのだろう。史郎達も頷いて聞いているし、無駄に口を挟む事も無い。
『今までに魂狩が破壊された事例など、聞いた事がありません。故に、崩壊した魂狩の粒子…それが撒き散らされた結果、如何なる事になるかの前例は御座いません。けれど先程この街の霊力の流れを探った所、微弱ながら複数の魂狩の気配を感じました』
『けどそれ、うちらの分違うん?うちとつばめと藍、それぞれが二個ずつ持ってきた訳やんか。史郎が壊した分の一を引いて、五個がここにある。それの気配とは違うんか?』
すかさず質問した火田に、小海は目を伏せて首を振った。黒木は目を閉じる。どうやら先程の小海と同じく、この街の霊力の流れを探っていると見える。
『うっわ。冗談じゃないわね、この量…ちょっと早紀、あんたも探ってみたら?』
火田も同様に探り、そして絶句。しかしながら霊力の流れを探る術なんて便利な物をオレや史郎が持っている筈も無く、オレ達男性陣が置いてきぼりになるのは当然の結末と言えた。一緒に強く生きようぜ、史郎。
「悪いんだけど、具体的にどの程度の量なのか教えてくれないか?生憎と、俺も戒治も幽霊が見えて触れる程度にしか霊能力が無いんでな」
肩を竦めて問い掛ける史郎に、黒木は乾いた笑いを漏らしながら答えた。
『聞いて驚かないでよ?約、五千』
…。
今のは何か性質の悪い冗談か、死神流のジョークか、はたまたオレの聞き違いだろうか。五千って聞こえた気がするんだが。こないだの健康診断では、聴力に異常は無いと診断された筈だったんだがな。
「五千?五千って言うと、あれか?Five Thousand?」
小海と黒木、そして火田は頷く。
『五千の魂狩の中には、我々の持つ五個の魂狩、この街で行動している他の死神が持っている魂狩も含まれます。けれど、それでも一つの街に五千割る二、二千五百人もの死神が集まる事など到底考えられません』
するってえと、この街には正体不明の魂狩が数千個も眠っているという事か?
『想像し得る最悪のケースですが…魂狩の粒子は魂狩としての機能が死んでおらず、何らかの理由でそれが起動しているという事も考えられます』
『でも、粒子の状態で魂狩が機能するのなら、史郎君が魂狩を壊した時に藍がダメージを受けた事の説明がつかないんじゃない?』
黒木の反論。だが、小海だって答えを持っている訳じゃない。何もかもが推測と想像の上に成り立っている。
だからオレも、もしかしたら、程度の意見を言ってみる事にした。
「なあ、その砕けた魂狩が一種のウイルスになった、とは考えられないか?」
きょとんとした顔でこちらを見る死神三人。史郎はオレの言葉を受け、奴なりに考えを巡らせている様だ。
「ウイルスとはちょっと違うかも知れないけどな。要するに、街中に粉になって撒き散らされたんだろ。それを吸い込んだりした奴の体内で、粒子が何らかの原因で起動した…なんて考えは突飛すぎるか?」
「それなら戒治、もしかしたらお前もそのウイルスのキャリアって可能性もあるんじゃないのか?」
史郎の指摘。迂闊にも、オレはそう言われるまでその可能性に考えが至らなかった。
自分の手を見る。何の変哲も無い、ただの手だ。そこにオレは、魂狩が具現化するイメージを流し込んだ。目を瞑り、夕方と同じく戦う意志を固める。すると、手の中で何かが蠢く様に感じた。恐る恐る瞼を開くと、右手の中に魂狩が在った。だがその魂狩は夕方使った物に比べて、どうにも不確かな印象を受ける。壊れかけたテレビが見せるゴーストの様にぼやけている。
『う…そ…』
黒木が呆然と呟く。しかし誰より、オレが驚いた。半分以上は思いつき、悪い冗談の類だった。それが、こうして現実に…魂狩無しに魂狩を起動する、という事例を目の前にしたのだから。
そしてその魂狩のゴーストは、結晶部分に文字を表示させる。『Kikimora #』。キキーモラ…?昔やったゲームに、そんな名前のキャラクターが登場した気がする。確か、働き者を助け、怠け者に罰を与える魔だった筈だ。
魂狩は黄金の輝きを発し、そこに燦然と輝く竹箒を生み出す。夕方に見たまま、途轍もなく立派な竹箒だ。だが、実は仕込み箒で中には鋭利な刃が潜んでいる…
と、嬉しいなあ。
そう思い、調べてみる。されど、どこをどう弄っても竹箒は竹箒だった。
『…』
ちらりと火田を見ると、彼女は必死で笑いを押さえていた。まあそりゃなあ、箒だもんなあ。小海は平然とした顔をしているが、オレは小刻みに肩が震えているのを見逃さなかった。小海藍、お前もか。
「しかし、図らずとも戒治の意見が的を射ちまった訳か」
史郎が溜息をついて天井を見上げる。
「魂狩使い増殖問題、とでも呼べば良いのかね。こっちは俺達がどうこうする問題じゃないのかも知れないけど、つばめ達の蘇生云々の他に悩み事が増えちまったな。戒治、どうするよ?」
苦笑いを漏らし、オレを見る史郎。オレは竹箒を魂狩に戻し、そしてその魂狩を霧散させながら答えた。ちなみに竹箒…キキーモラ#は念じるだけで自在に呼んだり消したり出来る様だ。
「仕方ねぇだろ、史郎。今更何言ったって、決まった事は変わらない。そも、厄介事に首突っ込んだのはオレ達だぜ?手前の尻は手前で拭うしか無いだろうよ。その位、オレが言わなくたって分かるだろ、史郎?」
史郎は椅子から立ち上がると、オレ達四人を見回して宣言した。
「とりあえず、俺は学生だからな。学校には行く。でも、授業が終わったらすぐにお前達が生き返る方法を…お前達の身体が昏睡状態でどっかにあると仮定して、だが…ひとまずの目標として、それを探し出す」
つばめは小さく、けれどはっきりと答えた。
『史郎君…どうか、私達をよろしくお願いします』

3−1     3−3

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