第3話:仲間―Company―

俺とナインが出会ってから、二日が経った。その間、俺は学校にも行かずに家の中で過ごしていた。ナインと五分以上離れたら死ぬと言うのだから、硝子さんが通学を許可してくれなかったのだ。ナインによると傍に居るという判定は半径30メートル内に居る事を指すらしい。結構有効範囲は広いとは思うが、家と学校は軽く1キロは離れているから、通学するとその途中で絶命する計算になる。そう考えると、当然といえば当然の処置だとは思う。だが、俺はもう二度と学校に行くなんて出来なくなったのか…そう考えると、結構辛い。そんなことを考えながら自室のベッドに寝転がっていた俺の耳に、ドアが開く音が聞こえた。
「どうした京司。まだ夕方なのにもう寝ているのか?」
ナインの声だ。部屋が足りないから俺と同室という事になったから、ここは彼女の部屋でも在るわけだが、ノックもせずに入って来たくせに一言多い。俺は文句の一つでも言ってやろうとして起き上がり、そして…絶句した。
ナインが、今朝まで着ていた硝子さんの服ではなく、俺の通う朝比奈西高校の女子用制服を着ていたからだ。小柄なナインの体には少し丈が合わない様で、袖が少しだぶついている。
「お、おいナイン。何でそんな服持ってるんだよ」
俺はベッドからずり落ちそうになりながら、現状を整理する。ナインが着ているのは制服で、制服は普通、学生かそういうお店の人しか着ないわけで、後者の可能性は限りなくゼロに近いので、つまりこの状況が指し示す結論は…
「ああ、ナインも学校に通わせる事にしたからな。クラスもお前と同じになる様に手配してやったぞ」
硝子さんが咥え煙草で登場する。怒ってない時の硝子さんはがさつな男言葉だ。
「ちょっと待ってくれよ硝子さん!学校って、戸籍とかそういう物は?」
「ああ、私の妹という事で偽造した。私の同級生の音無(オトナシ)って奴に頼めば、戸籍の偽造なんか朝飯前だ。その気になればパスポートから小切手まで偽造してくれるぞ?」
頭が痛くなってきた。俺はため息をつくと、ベッドから立ち上がって椅子に腰掛けた。
「って事は、俺も明日から学校行けるんですよね?」
確認すると硝子さんは、察しが良いな、と笑った。
「その通りだ。さっきも言ったが、ナインは私の妹でお前の従姉妹という事になる。長いこと両親の都合で外国暮らしをしていたから、日本語がぶっきらぼうで日本の常識にも疎い。京司もナインのことは知っていたが、数年会っていなかったのでその存在を忘れていた。両親のちょっとした事情で帰国、転校する事になった」
並べられる嘘八百。よくまあこんなお話を捏造できるものだ。俺は硝子さんの頭脳に感心しながら、それらの話を脳に刻み込んだ。ぼろを出して損をするのは俺で、失う物は俺の命なのだから、そりゃ必死にもなるさ。
「わかったか?では、私は夕飯の買出しに行く。ナインと二人で留守番しておいてくれ」
硝子さんはそう言い残して、俺の部屋から出て行った。ナインはぺたん、と制服を着たまま床に座ってテレビを見始めた。画面ではニュースキャスターが国の戸籍管理のコンピューターが何者かのハッキングを受けた、という恐ろしいニュースを全国のお茶の間にお知らせしていた。

…こつん。…こつん。

何かが窓ガラスに当たる音。俺はテレビから目を離し、そろそろ薄紫色に染まり始めた空が広がる窓に近寄った。我が家、と言うか硝子さん宅は二階建ての一軒家。俺の部屋は二階なので、何かが窓に当たるという事も無く、しかもこういう連絡方法をする奴を俺は知っている。
窓を開け、眼下を見下ろす。そこには想像していた通りの顔があった。
「よう、久しぶり。プリントとか持って来てやったから、玄関開けてくれ」
両手で手ごろな石を抱えたその男は友人、米口祐二(ヨネグチ・ユウジ)その人だった。二日間何の連絡もなく休んだ俺を心配して、わざわざ家まで様子を見に来たらしい。こんな面倒な事をせずにインターホンを鳴らせばいいと思うのだが、それはこの際おいて置く。
「ああ、少し待ってくれ」
俺はナインを部屋に残して廊下に出ると、階段を駆け下りて玄関を開けた。この家の中に居る限り30メートルは越えないだろうから、玄関まで行くくらいは何とでもなる。
祐二はお邪魔しますとも言わずに入ってくると、俺にプリントの束を渡した。
「お前、何で学校休んでんだよ。水流(ツル)の奴も心配してたぞ」
せっかくプリントを持って来てくれたんだ。ここは友人として茶の一杯でもご馳走してやるべきだろう。休んだ理由の追及を笑顔でかわし、俺は言った。
「祐二、茶でも淹れるよ。俺の部屋に行っておいてくれ」
祐二は頷くと、階段を上り始めた。俺はそれを見届けて台所へ向かう。

『んぎゃぁぁあああああああ!!!!!』

突然の絶叫。男の悲鳴相手に使いたくは無い表現だが、絹を裂いた様な、という感じだ。俺は急いで悲鳴の発信源、俺の部屋に走った。
「どうした、祐二!」
叫び声と共に扉を開けて部屋に飛び込んだ俺の目の前には、ナインに腕を捻られて床に伏す友人の姿があった。綺麗に間接を極められているので、動こうにも動けないらしい。ナインもナインで、さすがは魔だ。小柄な体で背の高い祐二の体を効果的に極めている。
「京司、見知らぬ奴が部屋に入って来たので捕らえた。おそらくは泥棒だろう。私はこいつの目的を問い質しておくから、京司は警察とやらを呼べ」
助けてくれー、と力ない声。すまない、祐二。ナインの事忘れてたよ。
「…ナイン。とりあえず、その手を放してやってくれ」

ナインがいると話がややこしくなりそうだったので、彼女は部屋から追い出して居間にでも行かせる。俺一人で祐二に説明した方が気苦労も少なくなりそうだ。俺は茶を淹れなおすと、祐二に椅子を勧めた。
「痛かった…で、さっきの奴は誰なんだよ?」
当然の疑問をぶつける祐二。俺は悪いとは思いつつも、明日の予行演習とばかりにナインに関するでっち上げ話を祐二に語って聞かせた。心の中で両手を合わせて頭を下げる。
祐二は最後まで黙って聞いてくれたが、話し終えた瞬間に俺の肩に手を置いてにこやかな笑顔で言った。
「そうか、分かった」
ギリリ、と俺の肩を掴むその握力が増加する。冗談抜きで、痛い。
「ゆ、祐二何するんだ!痛い、痛いって!」
「お前が若い女性二人と同居するという羨ましい奴であるという事が、良く分かった」
…眼が、マジだ。祐二さん。せめて命を取るのだけは勘弁して下さると助かるのですが。
その祈りが通じたのかどうか、祐二は急にやさしい目になった。
「ま、面白いネタが増えたと思えばいいか。あの女、ナインって言ったっけ?乱暴すぎるし、お前と付き合うなんて事にはならないだろうし。水流に話したら反応が面白そうだ」
ぱ、と祐二は手を放す。握られていた場所がジンジンと痛む。青痣とかになってなければ良いけど。

俺は茶を飲み終えた祐二を玄関まで送る。帰ってきていた硝子さんやナインにも挨拶をしてから、祐二は帰っていった。祐二の姿が見えなくなった瞬間、ナインはぼそりと呟いた。
「まったく、脆弱な奴だった。あんな連中ばかりなら、学校という所も恐れるに足らんな」
とんでもない事をいう奴だ。俺はナインが学校で暴れないように、心から祈るばかりだった。

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