第4話:試練―Discipline―
雨の降る夜の事だった。
空が泣いている様だ。そう錯覚するほどの晩に、それらは闇夜を駆け抜けて行く。それらの姿は人外の異形。一体は人狼。尖った顔と鋭い爪、そして闇夜にも拘らず輝く金の瞳がそれを雄弁に物語る。もう一体の身体は紅い鎧の様な外骨格で覆われる。コートの様に棚引く飾り布の様なパーツを腰の後ろから垂らし、その手には一挺の拳銃が握られている。移動しながら構え、それは拳銃のトリガーを引く。
『グアァッ!?』
膝を撃ち抜かれ、人狼が無様な叫び声を上げる。敵が動けなくなった事を確認すると、持っていた拳銃が霧散する。そして、それは静かに呟いた。
『Refine.(精製。)』
その両手に、僅かな煌めきと共に凝縮されていく第五架空要素エーテル。その色は鮮血に似た紅だった。その煌きが収まった時、そこには二挺のライフルが顕現する。
『Dooms Day!(ドゥームズデイ!)』
少女の声と、それより少し年嵩の女性の声が重なる。真紅の怪異は、その両手の銃から無数の弾丸を吐き出させる。二挺のライフルから来る反動は相当の物なのだろうが、舞い踊る様に反動すらも利用した連続射撃を行う。それらの弾丸は狙い違わず人狼を捕らえると、一片の残滓すら残さずにそれを消滅させた。
………
ナインの為に用意された教科書、ノート、筆箱などを鞄に詰め込む。俺と同じクラスなのだから、時間割も俺と同じだ。選択授業も同じ物を選んでくれている。気掛かりなのは体育の更衣時だが、男子が着替える教室と女子の着替える更衣室は30メートル離れていない。助かった。
「よし、ナイン。これで用意は出来たから、そろそろ学校に行こう」
「了解した、京司」
二人揃って硝子さんに行ってきます、と挨拶をし、俺たちは玄関から朝の町へと向かった。
俺の通う朝比奈西高校は、全国の高校で最も平均的なランクの学校だ。進学率もそこそこ、就職する人数もそこそこ。取り立てて特徴が無いと言えばそれまでの、平凡な高校だと言える。校風は生徒の自主性を尊重する、という名の放任主義でもあるが。
そんな事をナインに説明しながら通学路を歩いていると、横を担任の太宰(ダザイ)先生の駆るバイクが駆け抜けていった。フルフェイスのヘルメットを被っているから顔までは分からないけれど、この界隈でリッターバイクを持っている人は太宰先生くらいしか居ない。それに、後部座席には何時も通り水流が座っていた。
恐ろしいスピードで俺の視界から消えるのも何時も通り…と思っていたら、バイクが急停止した。リッターバイクがそんなに急に止まれる訳は無いのだが、そんなじゃじゃ馬も器用に乗りこなす太宰先生のテクニックがなせる業だ。
後部座席から飛び降りた水流は、被っていたヘルメットを投げ出して太宰先生に渡す。二言三言会話を交わすと、太宰先生は頷いて走り去った。どうやら水流は、俺たちに用があるらしい。その証拠に彼女は俺たちの方に走ってきた。
「巽君、お早う」
お早う、の『お』にイントネーション。関西弁で挨拶してくるこの少女は水流柳(ツル・ヤナギ)。太宰先生の親戚で、彼女と同居している俺のクラスメートだ。
「ああ、お早う、水流。何か用か?」
挨拶を返すと水流はにやりと笑い、俺の耳に唇を寄せて囁いた。
「可愛い娘連れとるやん、巽君。何、何時の間に彼女なんか作ったんよ」
…ああ、世間様はそう見てるのか。道理で周囲から視線が寄って来ると思ったよ。俺は水流にもナインが従姉妹だという嘘を教え込んだ。水流はじー、とナインを見つめ、ボソッと怖い事を呟いた。
「…ナインちゃんの眼、銀色やねんな。硝子さんは黒眼やろ?」
俺は慌ててナインから水流を引き剥がし、彼女にそっと囁いて言い繕う。
「ナインはその…硝子さんとは異母姉妹で、ハーフなんだ。デリケートな部分だから、そっとしておいてやってくれ」
これもナインの誤魔化し切れない身体的特徴を聞かれた時のために、硝子さんが用意してくれた嘘だ。ほとほと感心するほど、硝子さんは用意が良い。
「あ、そうなんや…うち、悪い事聞いたな。ナインちゃん、堪忍」
両手を合わせて頭を下げる水流。ナインは構わない、と一言呟き、俺の服の袖を引いた。
「京司。早く学校まで案内してくれ。そろそろ硝子の言っていた始業時刻、とやらになる」
慌てて腕時計に目をやると、針は確かに始業時刻ぎりぎりの所だった。
「やっばー!うち、今日遅刻したら一週間居残り罰当番なんや!急がなあかんわ、巽君もナインちゃんもまた後でな!」
水流は駆け出すが、俺らだって悠長に歩いてはいられない。居残り罰当番ではないが、ナインの手続きやら何やらで時間を食う恐れがあるのだから。
すんでの所で遅刻は免れ、俺とナインは職員室に向かった。俺は職員室の外で待っていても構わないし、本当はナイン一人で事は足りるのだろうけれど、彼女のフォローやらのために俺も一緒に職員室に入る。
「…お早う御座います、巽君。この娘が君の従姉妹の雨宮ナインさんですか?」
太宰先生が自席から立ち上がり、こちらに向かって歩いてくる。アルビノなのか、銀色の髪と紅の瞳が特徴的だ。俺が首肯すると、彼女はナインに向かって話し始めた。
「始めまして、雨宮さん。私が貴女の担任となります。名前は太宰倫(ダザイ・リン)、担当科目は倫理です。宜しくお願いします」
太宰先生はナインに向かって手を伸ばす。ナインはその手をとって握手した。
「必要な手続きは全て、昨日までに済んでいます。何か分からない事があれば、遠慮なく私に聞いて下さい。それと、巽君」
俺の方に向き直り、先生は話し始めた。
「巽君の選択科目は文系生物、日本史、倫理でしたね?雨宮さんもそれと同じ選択科目ですので、教室移動の際は案内してあげて下さい。お願いします」
俺は首肯し、ナインと一緒に職員室を出て行った。
「…雨宮ナイン、ですか…」
背中に、太宰先生の呟きを聞きながら。
凡庸な挨拶。凡庸な反応。好きな物や趣味、特技などを尋ねるクラスメイト。それに無表情に答える転入生。一通り質問が終わると、先生はナインを窓際最後尾の席に案内した。偶然か、それとも太宰先生の計らいか、俺の後ろで水流の隣という席になる。一時間目、並河(ナビカ)先生の英語の授業が始まったが、水流の奴は授業そっちのけでナインに色々とちょっかいを出していた。ナインがぼろを出さなければ良いが。
「わー、ナインちゃん肌すべすべやねー。羨ましいわぁ」
「ナインちゃん、今日放課後、公園のクレープ屋行かへん?一つくらいなら奢ったげるし」
「ナインちゃん可愛いなぁ、お人形さんみたいや」
そんな下らない事が大半なのだが、俺は何か水流がナインに話し掛けるたび聞き耳を立てていた。ナインが何か変な事を言ったらフォローしなくてはいけないからなのだが、ナインは元から無口な方なのか必要最小限の返答しかしていなかった。助かったと思う反面、これからの学校生活に心配が残る。
そんなこんなで、俺とナインの学校生活は始まりを告げた。
………
真紅の怪異はその場を去ろうとしたが、ふと足を止めるとその方向を見もせずにライフルを撃った。無限に広がる空間を、ただ直進するエーテル弾。しかし、それは虚空でぴたりと停止する。陽炎の様に弾丸の周囲が揺らぎ、そこからもう一体の怪異が顕現した。
『覗き見とは、良い趣味とは言えませんね。貴方もイルサイブであるのならば、名を名乗るべきでしょう』
『それは失敬、ヴァリアント:シミュラクラム(Simulacrum)及びそのイルサイブ、ダーザイン(Dasein)。グラスムーン(Glass Moon)、これが私の名だ。イルサイブ名はバルムンク(Balmung)と言う。まあ、今日の所はこちらから引こう。君もお疲れだろう?』
一瞬のうちに気配すら残さず消え失せるグラスムーン。それを見て、シミュラクラムはギリ、と歯噛みをした。
第三話 第五話
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