第7話:悲嘆―Grief―

「最近、この辺で魔の死亡報告が頻発しているの。それも、殺された状態での報告が、ね。凶器は例外無く精製されたエーテル。そして捜してみればイルサイブが居た」
こつこつ、とスプーンでソーサーを突付きながらホワイトさんは講義を始める。それはやけに様になっていて、まるで『先生』とでも言った雰囲気だった。
「見たところ、君は京司君に寄生している。つまりヴァリアントとして結合出来る訳ね。少なくとも状況証拠としてはこれだけの物が揃っている」
ホワイトさんはそこで言葉を区切り、ナインの返答を待った。下らない、と吐き捨てる。
「私は数日前に寄生したばかりで、ヴァリアントとして倒した魔は現在2体だ。信じるか否かは貴様の自由だがな。しかし、仮に私達が魔を殺していた所で貴様には関係ないだろう。何が目的で私たちに接触した?」
ホットミルクに手も付けず、ナインはホワイトさんを睨みつける。ホワイトさんは溜息をつくと、ドレスの胸のボタンを一つ外した。その嘘みたいに綺麗な左鎖骨の上には、天秤座のマークの刺青が見える。
ナインが息を呑み、身体を強張らせた。俺には良く分からないが、これは何かの意味があるマークなのだろうか。
「これで分かるでしょう、ナインちゃん?私達としては、魔に余り身勝手な行動を取って貰いたくは無いのよ。魔の考えなんて物は人間様には到底理解できない物だし、厄介なのよね。貴女は降りかかる火の粉を払っただけの様だし、自分から魔を進んで殺して廻るタイプでも無さそうね。この件には無関係みたいだからもうここまでにしておくけれど…一応、貴方達の存在も『機関』に知られていると言う事だけは、気をつけておいてね」
そう言い残し、ホワイトさんは席を立つ。右手の人差し指と中指の間に挟んだ伝票をひらひらさせながら、彼女はレジへと向かって、優雅に歩いて行った。
「…糞。一体何だと言うんだ…!」
ギリ、と歯噛みするナイン。俺はホワイトさんの姿が店の中から完全に消えている事を確認してからナインに話し掛けた。
「今の天秤座のマーク、何だ?それと、ホワイトさんの言っていた『機関』って…」
ナインは心底忌々しそうに解説を始めた。
「まず、『機関』から説明する」
埋葬機関。人に害を成す魔を殺すための、世界的秘密結社。表の世界では存在を隠匿されているが、ナインたち魔の生きる裏の世界では有名な組織らしい。構成するメンバーは皆例外無く特殊な能力を備えていると言う。そして、その構成員を束ねるのが十二人の幹部。
「何でも幹部連中には一人で竜種の魔とすら渡り合える強さだと聞く。一応言っておくが、竜種の魔と言うのはヴァリアント程度では千人居ようが敵わない程の強さだぞ。そして不確かな情報だが、奴らは身体に星座の印を刻んでいると聞いていた。これは先程確信に変わったがな」
「じゃあつまり、ホワイトさんは…」
「ああ、埋葬機関十二幹部の一人『天秤座』なのだろうな」
ナインの言葉を鵜呑みにすると、俺ではどうやっても彼女には敵わないという事だ。何時も気丈なナインの身体が強張るのも納得できる。ナインは眉根を寄せながら呟いた。
「だがしかし…それ以上に気になるのは奴の調べている件の犯人が何かと言う事だな…真逆、私以外のイルサイブがこの近辺に居ると言うのか…?」

ぶつぶつ呟きながら考えるナインを連れて、俺は家に帰る。
『…ああ…問題無い、ありがとう…学校の…彼女もその辺は分かっている様だ…』
硝子さんが居間で誰かと話している声が漏れていた。人の話に聞き耳を立てるのはマナー違反だ、そっとしておこう。俺はナインと二人、自分の部屋に戻った。
ナインを先に部屋に入れ、着替え終わるのを待つ。ナインが着替え終わったら入れ替わり、今度は俺が着替える。私服に着替えた俺は、ナインを部屋に入れた。
「京司。あのジョセフィーンとか言う女の事は忘れろ。戦って敵う相手ではないし、正当防衛まで否定はしていない。少なくとも、こちらから魔を殺さなければ奴に私達を攻撃する口実は与えずにすむ」
「馬鹿、そんなの当たり前だ。襲ってくる奴を返り討ちにするだけでも疲れるのに、わざわざ戦いに行くなんて、こっちから願い下げだ」
俺はそう言う。けれど、もし俺の両親を殺した魔が目の前に現れたなら…それでも俺は、襲われるまで攻撃しないのだろうか。仇を討っても親が帰って来る訳で無い事くらい、理解はしているのに。少し考え込んでしまった俺に、ナインは諭す様に言う。
「…出会った夜にも言ったが、京司。私はお前に寄生したイルサイブ。お前に与えた力をどう使おうが、お前の自由だ。例えその力を敵討ちに使おうが、魔を全て殺す為に使おうが、な。ただ、生き延びたいのならこちらから攻撃はするな、と助言しただけだ」
カーゴパンツと大き目のTシャツ。ベッドの縁に腰掛けたナインが、椅子に座った俺の目を見る。その目は、意外なほどの優しさに満ちていた。
「それと、お前さえ良ければだが、今夜からでも私以外のイルサイブを探したいと思う」
そりゃまた、何で。
「私がそいつの所為で疑われたという事が腹立たしい。その上、魔を殺すという行動に何の意味も意義も無いからだ。屍骸が見つかっていると言う事は、喰っていないという事だ」
憎々しげに言うナインの顔は、義憤に燃えていた。ナインはナインで、無駄な殺生という物が嫌いな様だ。そう言えば、俺を助けてくれた時も、あの鬼が俺に見られたから俺を殺すと言う、意味があっても意義の無い殺生をしようとした時だった。
ナインのこの信念がなければ、俺の命も無かったのなら。俺の答えは、唯一つ。
「…よし、じゃあ今夜から、ナイン以外のイルサイブを探すか」
「相手と戦いになるかも知れない。それでも良いのか、京司?」
ナインがその曇り無い銀色の瞳で問い掛ける。黒い髪の間から覗くその視線は、闇夜に浮かぶ月にも似た美しさだった。
戦い。相手もイルサイブなのなら、ヴァリアントとして同じ人間同士が戦うと言う事だ。俺は唾を飲み込む。予想以上に、大きな音がした。
「…構わない。俺に意味の無い殺生を止める力が在るのなら、俺はそれを使うだけだ」
「言う様になったな、京司」
ふふん、とナインは満足そうな微笑を浮かべた。その微笑に勇気付けられる。
雨の止み始めたこの空に、青ざめた心を殺ぎ落とす。なけなしの勇気を振り絞り、俺は戦う決心を固めた。

「…で、お前。その手の具合はどうだ?」
硝子は玄関まで古い友人を送ったついでに尋ねる。肩まで伸ばした髪を水色に染めた女性、音無空(オトナシ・クウ)は軽い苦笑を漏らして答えた。
「別に、どうとも変わり無いっすよ。ただやっぱり、物を触っても感覚は無いっすし、生身のこっちに比べたら動きも不自由っちゃあ不自由っすね」
ポン、と黒い手袋をはめた右手で左腕を叩く。
「でもまあ、これでも少しは動くだけ上等だと思うっすよ?」
通常動く訳など無い義手である筈の彼女の右腕は、人差し指と中指を立ててピースサインを作って見せた。あたかも、そこに血が通っているかの様に。
「…そう、か。大変そうだな」
「そうでも無いっすよ。要は慣れっすからね。それに…硝子さんがあの日無くした物の方が、私の右手一本なんかより断然重いっすよ」
それじゃあ、と言い残し、雨宮硝子が魔と関わったあの日、その横に居たクラスメートはスカートの裾を翻して帰っていった。
「…慰めなんて言わなくて良いんだよ、音無」
そう言って硝子は目を伏せ、自分の腹を優しく撫でる。
あの日。音無空は、右腕を喪った。雨宮硝子は、その人生を失った。

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