第9話:包括―Inclusion―

「…で、巽君が死にかけた所をナインちゃんが助けた、と。そういう訳やね?」
俺は水流にナインとの出会いのあらましを語って聞かせた。俺は水流に尋ね返す。
「で、水流と太宰先生はどういう関係なんだ?太宰先生がイルサイブである以上、本当に水流と親戚って事は無いだろう?」
俺の質問に、水流は少し遠い目をしながら話し始めた。

事の発端は9年前。
水流は現在太宰先生と二人暮しだが、当時は両親、兄、妹との五人の家族だった。
そして、水流とその家族が山へキャンプに行った時の事。平凡な日常の一コマである筈の家族旅行は、その山に魔が棲んでいた事、水流家のテントがその魔の餌場に近かった事、そしてその魔が腹を空かせていた事等、雑多な偶然が重なって…惨状と化した。
父親が壊れたテントの骨組みで応戦するも、そんな物では魔相手には何の役にも立たない。母親は必死で子供達を庇おうとするが、それは結局子供たちの最期を数秒間延ばす手助けしか出来ない。父が喰われ、母が喰われ、兄が喰われ、妹が喰われ。最後に水流が喰われようとした時。
黒いコートの女性が剣を携えて、魔に立ち向かった。水流の見た感じでは20歳程度の、黒く長い髪の毛が美しい女性だったらしい。彼女は傷付きながらも魔を撃退し、水流の命を救ってくれた。満身創痍のまま、彼女は震える水流を抱き抱え、歩いて山を降りる。そして水流を病院に預けると、別れ際にこう言った。
『決して他の人にこの事を話さない様に。話せばきっと貴女は不幸になってしまう』
家族の死は事故として処理され、水流は孤児院に入る。そして4年前に中学入学と同時に遺産を相続し、親の残した家で一人暮らしを始めた。それから、更に2年が過ぎて。

水流が学校帰り、気紛れに公園を通った時の事。もとから税金の無駄遣いとしか言い様の無い寂れた公園だったが、その日は水流の他に全く人は居なかった。やけに鴉が多く、水流は無気味に思って公園を走って通り抜けようとした。けれどその時、視界の隅に何かが見えた。水流はそれに説明し様の無い興味を覚え、近寄ってみた。
それは大人の女性で、襤褸布をマントの様に羽織っていた。そして、彼女は大型の犬の様な獣と戦っていた。唯、その光景が異常だった事は。獣が周囲に電撃を発していた事。それと渡り合う女性も掌から火炎を発して戦っていた事。
水流は悟った。あの獣は魔だという事を。そして、それと対等に戦っている彼女も普通ではないという事を。その瞬間、女性は獣の突進を受けて弾き飛ばされ、水流の目の前まで転がってきた。そして起き上がった女性と水流の視線が交差する。一瞬驚いた表情を見せる女性。しかし次の瞬間には、水流を守る様に魔に立ち向かい、火炎を発してそれを消滅させていた。
彼女は自分が長らく求めて止まなかった、『魔と戦う力』を持っていた。
「…怪我は、ありませんか?」
魔の体を蝕んで燃え盛る業火を背に、女性は優しく問う。水流は首肯し、そして、その女性に頭を下げた。
「うちに…うちに、戦い方を教えて下さい!」

「…で、その女性が…」
ちらり、と太宰先生を見る。先生は無表情に、こくりと軽く頷いた。
「そうやってうちは倫に戦う力を貰う代わりに、住む所と人間の世界の事を教えたんや」
水流はそう説明を締めくくった。その笑顔の裏に、如何ともしがたい儚さが見え隠れする。
けれど、俺はそんな水流に対して何も言葉をかけられなかった。何を言ってもそれは偽善の代用にしかならず、徒に水流の傷を抉るだけだと分かっていたから。それに、俺はなし崩し的に魔と戦う事になった。けれど、目の前にいるクラスメイトはそのか細い身体で自分から魔と戦う事を決意した。その決定的な差異が、俺と水流の間に深い断絶を生み出す。
俺は何も言えなかった。けれど、ナインは不機嫌そうに問い掛けた。
「お前達の事情は分かった。聞きたい事は一つ、お前達は目に付いた魔を全て狩って、その屍骸を放置しているのか?」
その問いに、太宰先生はとんでもないと頭を振って答えた。
「シミュラクラムとして我々が倒した魔は例外無く完全に消滅させています。屍骸が見つかると言う事は有り得ません。また、我々は魔であってもそれが人間に害をなすと判断した場合以外は攻撃していません。もっとも、信じて貰う根拠など在りませんがね」
冷静に答える太宰先生の目を睨み、ナインはつまらなさそうに吐き捨てた。
「帰るぞ、京司。もう夜明けだし、今日はこれ以上の収穫は無さそうだ」
俺はナインに服の袖を引っ張られながら、水流と太宰先生に別れを告げた。

学校。
水流と太宰先生は何事も無かったかの様に俺達に接した。だから、俺達も何事も無かったかの様に彼女達に接する事にする。先生の言葉を信用するなら、水流が魔を殺しているヴァリアントではないと言う事だ。そして、俺は先生を信用したい。
すると、目下の心配事は二つ。俺と水流以外に存在する、魔を殺している三人目のヴァリアント。そして、水流を喰うと宣言した『蜘蛛』と名乗るあの魔。前者は昨日と同じ様に夜の見回りを続けるしかないとして、後者はどうすればいいだろうか。昨日は二人がかりだったから向こうが退いたけれど、水流一人では勝てなさそうな気がする。勿論、俺が一人でも勝てないだろうが。
「どうするかねぇ…」
昼休みの学食で漏らした呟き声と溜息に、祐二が機敏に反応した。
「どうした、京司。溜息なんてお前らしくも無い。何か悩みでもあるのか?」
祐二の心配は嬉しかったが、彼に相談できる内容ではない。俺は適当に生返事をして追求をかわす。祐二は内心面白く無さそうだったが、それでも深く突付いては来なかった。何処まで人の事情に立ち入っていいか分かる、祐二はそういう奴だった。
「ま、いいさ。それより京司、食わないのか?」
割り箸で俺の皿を指す祐二。確かに、今日の俺は色々な心配で食が進んでいなかった。
その上、俺とナインの今日のランチメニューはナインの要望を聞き入れた事もあって豪勢にB定食(450円)だ。メインのコロッケを食おうが付け合せの野菜を食おうが肉の味しかしないという、大味な味付けが人気のメニュー。肉の味を噛み締めると、否が応でも水流を喰うと言ったあの魔を思い出してしまう。ナインめ、真逆何か俺に恨みでも有るのか。
「お前、五時間目は体育だぞ。食っとかないと絶対死ぬ。今日は持久走やるらしいからな」
なんともありがたい忠告だが、それでも肉の味は勘弁願いたい。俺はもう一度溜息をついて体の力を抜き、椅子に背中を預けた。
ふにょ。
「きゃっ!?」
後頭部に、柔らかい感覚。目の前で目を丸くしつつも拳を握り、驚愕と憤怒の狭間で揺れ動く友人。何も言わずに黙々と肉の味を頬張るナイン。俺は、恐る恐る後ろを振り向いた。
「もう、身体を動かす時はもう少し注意して下さいましな」
不出来な弟を嗜めるようなお嬢様口調。俺の目の前に居たのは、艶やかな黒髪の女性とその胸部だった。彼女はくす、と軽く笑うと、俺達を通り越して学食を出て行った。
残されたのは後頭部の感触。それがどの様な経緯でこの身に刻まれたのかと考えてみると…つまり、俺は…あの女性の胸部に後頭部をぶつけたと言う事になるな、うん。そしてあからさまに不機嫌な顔で拳を固めていらっしゃる祐二君はどうやら彼女の事を知っていらっしゃるご様子だ。ついでにもう恒例になった周囲の視線は氷点下の冷たさを保っていた。
「えっと、その…祐二、あの人、誰?」
苦笑い混じりに聞いてみると、彼はまず拳で返事をくれた。綺麗に眉間にヒットしたコークスクリューが俺の頭蓋に不協和音を響かせる。
「あの人は…あの人はな…この朝比奈西高校のアイドル、三年A組の後楽茶名(コウラク・サナ)さんだ!男子からは欲望交じり、女子からは羨望交じりの眼差しで見つめられる、ミス朝西の素敵な女性なんだぞ!?それを、貴様、貴様ぁ!」
拳の轟く音を聞きながら、俺の意識は急速にフェードアウトしていった。最後に聞いたのは、ナインの発したこの言葉。
「おい京司、この定食は本当に肉の味しかしないな」
ちょっと殺意を覚えながら、俺の意識は暗転した。

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