第13話:悪行―Malefaction―

そのヴァリアントは蒼く冷たく光る月を背に、電柱の上に立っていた。白銀に輝くその装甲は、荘厳な神像さえ髣髴とさせる。右手に強く握り締める細身の長剣は、闇を裂くかの様に鋭く研ぎ澄まされた光を放つ。その顔の中央、サイクロプスの如く唯一つ穿たれた視覚器官は、まるで蟲の単眼の様でもあった。
硝子の月を意味する名を持つヴァリアント、グラスムーンである。
『エクリプス、シミュラクラム、ジオグラマトン、ディゾルブ…ナイン、ダーザイン、ゲシュタルト、アルカナ…そろそろ開演だ、さあ始めよう…殺戮の時間だ』
自己に確認する様に呟くと、グラスムーンは電柱を蹴って虚空に身を躍らせた。

俺は水流と太宰先生、つまりヴァリアント:シミュラクラムとも協力して夜の見回りを続けていた。幸か不幸か、あの日以来蜘蛛の姿は見ていない。そしてそれと同様に、捜し求めるヴァリアントの姿も無かった。
『グラスムーン?』
水流の言った単語を、意味も分からずに復唱する。俺達は今手分けして町を探し回っているが、互いにその正体を知っているヴァリアント同士は回線を開いてテレパシーみたいに会話が出来るそうだ。空間に満ちるエーテルを媒介に対象にしか理解出来ない様に暗号化した思念情報を放ってどうたらこうたら。ナインはそんな風に解説してくれたけれど、俺にはさっぱりだった。とりあえず、水流や太宰先生とも会話が出来るという事だけは分かったから、それで良しとしよう。
『以前グラスムーン言う銀色のヴァリアントに会った事があるねんよ。言いたい事だけ言うたらさっさと消えよったさかい、正体とか目的とか、そんな事はまるっきり分からへんかってんけど…』
『少なくとも、三人目のヴァリアントが居る事は間違いない、と』
通信越しに水流が頷いている気配が伝わった。
『一つ注意しておきます、巽君、雨宮さん。グラスムーンに攻撃する際は気を付けて下さい。グラスムーンはシミュラクラムのメインガジェットを一発だけとは雖も完全に防ぎました。連発すればあの防御を突破出来るのか、それとも何か、絶対に突破出来ない仕掛けがあるのかは分かりません。エクリプスのメインガジェットやその他のガジェットが如何様な武装であるかは知りませんが、くれぐれも留意して下さい』
仲間になったのだから、互いにそのガジェットとかを教え合っても構わないと思うのだが…俺と水流のその要望は、ナイン、太宰先生両名に反対された。例え協力する間柄でも、イルサイブとして手の内を明かす事は出来ない、だそうだ。俺と水流も粘ったが、結局イルサイブ同盟を説得する事は出来なかった。
『しかし、妙だと思わないか?』
ナインが太宰先生に問い掛ける。
『イルサイブ種は互いに引き合う特性を持たない。そしてイルサイブ種の個体数は少ない。この二つから、イルサイブが顔を合わせる事すら稀だと言うのに、それが三体以上も一つの町に集合するなど…ダーザイン、何か理由を考え付くか?』
ダーザイン。太宰先生のイルサイブとしての名前らしい。ちなみに太宰先生に太宰倫と名付けたのは水流だそうだ。だーざいん。だざいりん。微妙すぎるセンスが光る、非常に良い名前であると思う。
『いえ、私には見当も付きませんね。私達を創った例のマイロードならいざ知らず』
マイロード?My Roadか、それともMy Lordだろうか。私達を創った、という表現から推測するに、答えは恐らく後者だろうが…それだとすると新しい疑問が生まれる。
イルサイブ種というのは、その…何だ、生殖によって子供を作るんじゃないのか?見た目は人間みたいだし、てっきり人間と同じ生殖方法だと思っていたのだが…やべぇ、想像したら鼻血が出そうになった。
『どうした、京司。心拍数、体温が不自然な上昇を示している』
『…そんな事まで分かるのか、ナイン…』

『…居た』
ナインが呟く。路地裏、街灯の光も届かない暗闇の中に金髪の少女が立っていた。俺の目には普通の人間にしか見えないが、ナインにはイルサイブだと判別出来たらしい。少女は一人、寄生主が近くに居る様子も無い。つまりあのイルサイブがヴァリアントになる可能性はゼロ、という事だ。俺は電柱の区画表示を見て、水流に話し掛けた。
『水流、ナインがイルサイブを見つけた。場所は明石寺町三丁目だ』
『了解。すぐ行くさかい、見失わへん様に気ぃ付けてな。うち今、朝比奈本町のあたりやから、五分以内に行けると思うわ』
『分かった、待って―――』
俺がそう答えようとした、その瞬間。
「―――ヴァリアント、ですか」
耳元で声がする。一瞬の内に、金髪の少女は俺の背後を取っていた。振り向いてステップ、距離を離して身構える。暗闇でもよく見えるエクリプスの視覚器官が、儚げに笑う相手の顔を鮮明に映した。色を反転させたナインのような容貌。纏っている襤褸布も、最初にナインに出会った時の彼女に酷似した印象を与える。
絶句する俺を尻目に、金髪のナインは宣言した。
「ヴァリアント相手の流血沙汰は好みませんが、まあ良いでしょう。相手になってあげます―――Conception!」
少女の身体から、黄金の光が漏れる。それは少女の身体を舐める様に覆い尽くし、そこに黄金の外骨格を形成した。イルサイブ時にはナインと酷似していた少女だが、ヴァリアント時の外見はエクリプスと似ても似つかない。硬い外骨格で覆われたエクリプスに対し、相手は極力無駄を省いた形状をしている。若干華奢なイメージではあるが、それでもヴァリアントとしての雄雄しさを兼ね備えていた。けれど、そんな事より気になるのは。
『お、おいナイン!何であいつは一人で変身出来るんだよ!?』
俺の言葉を無視し、ナインは黄金のヴァリアントに話し掛けていた。
『お前、モノヴァリアントか…だが、そんな事はどうでも良い。お前、魔を殺してその屍骸を放置した事はあるか?』
モノヴァリアント?モノは一つって意味だから…一人で変身出来るヴァリアントの事だろうか?俺がこう考えている内に、ヴァリアントは首肯する。
『まず、私にはディゾルブという名があります。お前、等とは呼ばないで下さい。そして質問の件ですが、確かに私は魔を殺し、その屍骸を放置した事は何度もあります。魔力を吸収したら、その屍骸には最早価値はありませんからね』
イルサイブの強さはその魔力保有量に比例。つまり、魔を殺してその魔力を吸収していたという事は、こいつが自分を強くする為だけに魔を殺していたという事に他ならない。俺は歯噛みし、無意識に叫んでいた。
『Gadget-2、Talon-Unit!』
一気に距離を詰め、爪で斬りつける。エクリプスの特性はヴァリアント内でも群を抜くスピードとエーテル精製の早さ。つまり、ヴァリアント相手ならほぼ確実に先手を取れるという事だ。俺の爪は、確実にディゾルブを捉えていた。筈、なのに。
一辺数センチの六角形が、無数に並んで盾を成す。何時の間にかその六角形はディゾルブの周囲を旋回していた。
『…素晴らしいスピードです。さすがに反応が遅れました』
ですが、とディゾルブは声のトーンも変えず、あくまで冷静に続ける。
『私のGadget-4、Shell-Unitは自動展開型。言霊を吐く必要も無く、結合と同時に展開されるという特性を持っています。そしてこのシェルユニットは、私に対する物理的衝撃から私を防護してくれます。それも、自律的に』
本来自分の手の内を明かしたがらないイルサイブがあえて手の内を明かす。その行為は自分の能力に寄せる信頼に裏打ちされた、絶対的な勝利の確信の現れなのだろう。自己の能力を自慢するのではなく、冷静に…俺では自分に勝つことは出来ない、と、そう告げているのだ。
『いかなる秋水も、刃を当てる事が叶わねば斬る事は出来ない。子供でも分かる単純な道理です。挑んだのは貴方方ですし、手早く終わらせて差し上げますので…どうか、恨まないで下さい。Gadget-2、Wing-Unit!』
確かに今の今まで目の前に居たはずのディゾルブの姿が、一瞬の内に視界から消える。その次の瞬間、俺を襲ったのは上空からの途轍もない衝撃だった。

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