第16話:神意―Providence―

怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。
…狂気に侵された哲学者の言葉。

今日の服装はローライズのジーンズにゆったりしたTシャツ。私、ジョセフィーン=ホワイトは、砂緒とその旦那を見送りに玄関まで出た。
「帰りは夕方になるでしょ?お昼は適当に外で済ましておくわ。それと、調べたい事が有るから砂緒の部屋に入って良い?」
砂緒達は頷き、行って来ます、と告げて職場へ向かって行った。

私は砂緒の部屋に入り、乱雑に積まれたその蔵書に苦笑した。床の彼方此方から本の柱が聳え立ち、足の踏み場もほとんど無い。私は適当に本達を脇に除けたりして、座れるだけの空間を作り出した。
「にしても…砂緒は読書家ね」
日本語の本もあれば英語の本、独逸語の本、アラビア語の本さえある。読めるのならばそれらを言語別に分類する必要も無いのだが…
「まったく、これ『セラエノ断章』じゃない。こんな希覯の古書をぞんざいに扱って…こっちは『デ・ウェルミス・ミステリィズ』か…」
何時までたっても片付けが苦手な砂緒に文句を言いつつも、目的の物を見つけ出す。一冊の古ぼけたファイル、砂緒の高校時代の埋葬機関としての活動記録だ。表紙を捲り、付箋に書かれた表題を読む。
「『七不思議:3“禁書”に関する報告』…『黒騎士に関する報告』…『七不思議:6“鏡”に関する報告』…これ、か」
『七不思議:6“鏡”に関する報告』の項目を開く。そこには、14年前に起こった事件の顛末が書かれていた。例の蜘蛛が引き起こした、些細な、けれど重要な事件。私は唾を飲み込み、そして報告書に目を通し始めた…

関係者
雨宮硝子(アマミヤ・ショウコ)
音無空(オトナシ・ソラ)
死神小夜子(シシン・サヨコ)
武宮千秋(タケミヤ・チアキ)
黒檀の髪の女性(詳細不明)

事件発生年月日 西暦2114年6月26日〜30日
事件発生地点  私立高揚学園高校

事件概要

26日。晴れ。
図書室の棚の隙間から一冊の古いノートを拾った雨宮硝子。ノートの持ち主の名は書かれておらず、その文字は高校生や中学生にしては非常に乱雑。ノート自体は非常に平凡なものであり、大部分は白紙。ただし、その最初の数ページに書かれている文章は、存在するとされているのに、その内容が隠匿されている高揚学園七不思議の6番目であると記されている。
興味を持ち、硝子はそのノートを持ち帰る。硝子は友人の音無空、死神小夜子、武宮千秋を誘って、その不思議が本物であるか否かを調べる事にする。

27日。晴れ。
硝子は夢の中で手足のすらりと長い妖艶な女性に出会う。女性の顔は黒檀の様な髪に隠れて見えない。彼女は硝子の腹に接吻をすると、『ようこそ、あたし達の世界へ』という言葉を残し、笑いながら去る。その事を学校で仲間に話すと、全員が同じ夢を見ていた。ただし接吻された場所は各々異なり、硝子の場合は腹であったのに対して、空は右手の甲、小夜子は瞼、千秋は喉であった。それ以上は何事も無く一日を過ごす。

28日。曇り。
夢に昨日の女性は現れず、仲間も夢は見ていない。この日は美術の授業があり、四人で大鏡を見てみるが何もおかしな所は無い。美術教師が美術室を常々施錠していない事を知り、計画の障害が一つ減った事に喜ぶ。それ以上は何事も無く一日を過ごす。

29日。曇り、夕方より雨。
学校では何事も無く一日を過ごす。夕方より雨が降り出したので、硝子は仲間を誘って夜12時に学校に忍び込み、大鏡を見てみる事を提案。後、四人は家を抜け出して学校で集合。塀を乗り越え、錆びて締りの悪くなっている旧校舎の窓から校舎に忍び込む。
日付が変わる。

30日。雨。
美術室に辿り着き、侵入する。大鏡にかけられていたカバーを捲ると、大鏡は突如燐光を発し始める。影から網のような物が現れて足を掴み、動けなくなる四人。そこに鏡の中から夢の中の女性が現れる。女性は全員から大切な物を少しずつ奪い集めると言い、一人ずつ夢で接吻した場所を細い指先で撫でる。
まず硝子が腹を撫でられる。外的変化無し。
※推察。雨宮硝子はこの時より魔力を保有し、カテゴリを人間から半人半魔へ移行。“人間としての存在”を奪われ、身体を魔に創り変えられたと予想される。
次に空が右肘を撫でられる。右腕は肘から切れるが、出血や刺激、痛みの類は無し。
※音無空、後に筋電義手装着。
三番目に小夜子が瞼を撫でられる。視力を喪うも、刺激や痛みの類は無し。
最後に千秋が喉を撫でられる。声を喪うも、やはり刺激や痛みの類は無し。
女性は霞の様に掻き消える。それを見届けた瞬間に意識を失い、四人は倒れる。
その後、朝になって職員に発見されるまで四人の意識は回復せず。

※報告※
以上の情報は弓塚砂緒が使用した擬似精霊及び退行催眠によって収集した情報を纏めた物である為、確実な信頼性は無い。ただし、関係者各位よりそれぞれ何かが奪われた事は紛れも無い事実である。
尚、黒檀の髪の女性についての詳細は不明。

…。
私はファイルを閉じた。私の記憶している事件の顛末と、寸分違わぬ記述だった。
それでも私がファイルを見たのは、大事な事を確認しておきたかったからだ。最後の一行。やはり、砂緒はこの黒檀の髪の女性が“蜘蛛”だと知らない様だ。砂緒の律儀な性格を鑑みても、これが蜘蛛と分かった時点でこのファイルも書き換えている筈。それをしていないという事は、まだ気づいていないという事だ。
私はファイルを元の場所に仕舞うと、砂緒の部屋を後にした。そろそろ昼だ、昼食を食べに出かけたいし…それに、もう一つ。私には、やらねばならない事が有る。
砂緒もその旦那も、蜘蛛を止める事は出来ない。まして京司君やナインちゃん達、ヴァリアントなら尚更だ。蜘蛛を、彼女を止められるのは…この界隈には、私しか居ない。埋葬機関十二幹部第七席、“天秤座”のジョセフィーン=ホワイトしか。
単純な力では私は蜘蛛に負けない。だが正直な気持ちとしては、私は彼女と事を構えたくは無かった。彼女は“蜘蛛”。搦め手、罠、陥穽。彼女はどの様な外道も、どの様な卑怯な行いも、一切躊躇わない。その清々しささえ覚える残忍性故、彼女は十九祖第十一位、“蜘蛛”の称号を受けたのだから。
私は知らず、彼女の本名を呟いていた。
「アトラク=ナクア…」
それは、大いなる古き者、旧支配者の名前だった。

第十五話     第十七話

戻る