第17話:石英―Quartz―

アルカナと一緒に外へ出る。脇腹の疼痛が、食事の支度を邪魔した為だ。有り合わせの食材を詰め込んだ弁当を食っているであろう京司とナインには悪いが、今日の昼食は豪勢に外食だ。値段の割にはそこそこ美味い、近所のファミリーレストラン。『ニグラス』へと向かう。

『ニグラス』店内に入ると、すぐに座席に案内された。入り口に程近く、店内全部を見渡せる場所だ。禁煙席である事は少し残念だが、食事時に煙草を吸わなくたって困りはしない。そも、紫煙は舌を鈍らせる。食事前の煙草は、あまり望ましい行為ではない。
入り口に背を向ける格好で、向かいにアルカナを座らせる。アルカナにメニューを渡すと、彼女は真剣な眼差しで料理の写真を吟味し始めた。私もメニューを眺め、ジンギスカンのセットを頼む事にした。
「アルカナ、注文は決まったか?」
「はい、硝子。このタンドリーチキンカレーとやらを食べてみたい」
アルカナはその淀み無い瞳をキラキラとさせながら答えた。考えてみれば、イルサイブのこいつはレストランという物に来るのも初めてなのでは無いだろうか。無論、前のマスターとやらが連れて来た事が在るならば、話は変わるが。
だが、そんな事よりも重要な事を、私はアルカナに教えねばならない。
「…辛いぞ?」
「…辛いですか」
アルカナはもう一度メニューを開き、注文をオムライスに変更する。備え付けのベルでウェイトレスを呼び、私は二人分の料理を注文した。

運ばれてきた料理を食べていると、背後から、扉が開く音がした。
レジを打つ音も、『ありがとう御座いました』の声も無い。つまり扉を開けたのは、新しい来店者だ。横の座席に座っていた会社員らしき男性二人が、息を呑む様子が見える。
「いらっしゃいませ」、と言いかけた若い女性店員が慌てて口ごもり、すぐさま
「May I help you?」
と言い直した。素晴らしい、なかなか出来る対応ではない。
だが若干可哀想な事に、その女性店員の気遣いは無駄に終わった様だ。
「ああ、大丈夫。私、日本語分かるから」
隣の男性客の反応を見るに、どうやらその異人さんは相当な美人らしい。私だって女だ、私が横に座ったときは無関心だったのに、その異人さんには感嘆の吐息を漏らす男性客達に理不尽な軽い怒りが込み上げる。どれ、異人さんの顔を拝ませて貰おう。
そう考えて椅子越しに顔を向けた私は、在り得ないモノを発見した。
「何で…彼女がここにいる?」
ナイフを持つ右手が、軽く震えた。背筋を幾千幾万もの小さな虫が這いずっている様な感覚。嫌な予感がする。自分でもそれと分かる冷や汗が、額に浮かんだ。
「どうしました、硝子。気分でも…?」
心配するアルカナを制し、私は急いでジンギスカンセットを片付け始める。一刻も早くここから離れなくてはならない。本当は食事なんてしたくない気分だけれど、アレに存在を気取られてはならない。私は必死になって冷静を装い、料理を胃袋に収めた。

「ありがとうございました」
会計を済ませた私は店員の声を背に受けながら、アルカナを伴って足早に店を出る。何故この様な悪寒が身体を蹂躙するのかは理解出来ないが、それでも私は自分の直感を信頼した。今までもこうやってきたし、これからもこうやっていく。それが、雨宮硝子の定義なのだから。

眩暈がして、真っ直ぐ立っていられない。米神を押さえて意識をはっきりさせつつ、私はふらふらと壁沿いに帰路を辿る。アルカナは心配そうな顔で、けれど黙ったままついてきた。
やっとの事で家に辿り着き、ソファに背中を預ける。数分そうやっていると、込み上げる吐き気も若干収まってきた。私は震える指を煙草に伸ばす。
「硝子、一体どうしたのですか。あの女性を見ただけであそこまで取り乱すとは、貴女らしくも無い」
アルカナは当然の問いを口にする。私は紫煙を胸の奥まで吸い込むと、アルカナに語って聞かせた…何故、私が驚愕したのかを。

あの時私の目に飛び込んで来た異人さんは、私の高校での同窓生、その保護者にそっくりだった。ジョセフィーン=ホワイト。弓塚というその同窓生自体がかなり特異な風貌をしていたので有名だったのだが、外国人の保護者という存在が更にその異質性を高めていた。
いや、その保護者がこの街に居る事は構わない。だがしかし…あれから優に十五年近く経つと言うのに、その容姿に聊かの衰えも見えないと言うのは、どういう事なのか。
並みの生命体である以上は、あらゆる存在は老化という事象からは逃れられない運命にある。百歩譲って彼女が生命体で無くても、この世界に存在する以上は劣化する宿命に縛られる筈だ。
この世界に生れ落ちた全ては、やがて失われる。
永遠という概念はあっても、物理的には存在しない。
この解を逆転し…永遠に辿り着いた存在は、その存在自体を世界に否定される。
永遠に到達すると、最初から居なかった…こうなってしまう。
最終解(つまり)。
『永遠に辿り着く事は出来ない。出来てはならない』
それなのに…彼女は何故、私が学生だった頃と同じ姿で現れた?

私は半分麻痺した脳で思考する。アレは何者なのか。彼女はどういったモノなのか。
私は研究員という仕事柄、そして私自身の気性から、『分からない事がある』という事が大嫌いだ。『分からない』事があると、それをどうやってでも解決したくなる。それが、如何に危険な問題であろうと。その結果私は魔と遭遇し、友人共々大事な物を失ったのだが…
私は大部分が灰になった煙草を灰皿に落とし、ソファから立ち上がった。
「悪い、アルカナ。少し留守番していてくれ。少し用事が出来た」
アルカナは何か言いたそうに口を開くが、その頭をくしゃくしゃと撫でて笑いかける。
「安心しろ、危ない事をしに行く訳じゃない。すぐに…そうだな、京司たちが帰る5時頃には帰って来る」
私はそれだけ言い残し、アルカナの返事も聞かずに家を飛び出した。
すまない、アルカナ。私は保護者失格だ。私はお前に、嘘を吐いた。

私は走り、『ニグラス』へ向かう。折しもジョセフィーン=ホワイトが店内から出てきたところだった。彼女は私の姿を眼に止めると、ゆっくりとこちらに向かってきた。
さり気無く背中を見せ、街の一区画まで誘導する。ここは都市計画の都合で取り壊しが決まったビルの森。誰かが来る事は、まず考えられない。
振り返って彼女の目を見ると、ホワイトさん――この女性が、あの同級生の保護者と同一人物だった場合――は、場違いな程の優しい声で話し掛けてきた。
「お久しぶり、雨宮さん。砂緒の同級生…だったわよね?」
にっこりと笑い、握手を求める様に右手を差し出すホワイトさん。
「ええ、本当にお久しぶりです、ホワイトさん。そちらはお変わり無い様で」
彼女の手を握り、少しだけ力を込めながら挑発する。ホワイトさんは意ともしない様子で、私の挑発を受け流した。それどころか、彼女は逆に私を挑発してきた。
「雨宮さん。貴女、ちゃんと人間として生活できている?」
「――――――っ!」
握っていた手を離し、後方に跳躍する。ホワイトさんの体から発されたそれは、紛う事無き殺気だった。先程感じた悪寒とは比べ物にならない程の、凄まじい本物の殺気だ。
「ねえ、雨宮さん。私、貴女に少し訊きたい事があるの。少しお話出来ない?」
私はゆっくり頭を横に振る。御し難い殺意が、私の内に鎌首を擡げる。
「悪い、ホワイトさん。私はどうやら、貴女の敵の様だから…だから、私は貴女と戦う。―――Conception!」
脇腹の疼痛が酷くなり、白銀の光が私を包んだ。

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