第18話:白霜―Rime―

白銀の装甲、鋼の体躯。サイクロプスにも似た、たった一つの視覚器官。鳩尾には、くすんだ灰色をした宝石の様な物。ヴァリアント:グラスムーン。
自分が人間ではない事を思い知らされるが故に、この姿は好きではない。だが、それでも…戦わねばならない時は、確かに存在するのだ。
『さあ始めよう…殺戮の、時間だ。Gadget2:Blade-Unit“balmung”!』
右手に召喚される、細身の長剣。形状としてはバスタードソードに似ている。片手でも両手でも扱える、便利な剣だ。白銀に輝くその両刃は、嘗て竜ファフニールを屠った剣と同じ銘を持つ。
「バルムンク、ね…なるほど、それなら私も剣で相手をするのが礼儀よね」
ホワイトさんは独り言ち、左手を真っ直ぐ、肩の高さで伸ばした。
「魔術系統選択…術式選択…術式魔剣、“Paradise-Lost”!」
ホワイトさんの手にも剣が顕れる。魔力によって紡がれた物なのだろう。実体を伴わず、光だけで構成されたかの様な…神々しくも、どこか寒気がする剣。彼女はそれを両手で構えると、一足飛びに斬りかかってきた。
―――――速い!
とっさにバルムンクで庇うが、その斬撃は悍ましい程の鋭さと重さを兼ね備えていた。衝撃を緩和しきれず、私はよろめいた。だが、私に休む時間は無い。体勢を整え、今度はこちらから刃を向けた。私は負ける訳にはいかない。京司の為にも、ナインの為にも、アルカナの為にも。私はバルムンクを右手で構えると、あえて左手に隙を作って突進した。ホワイトさんが左手に打ち込んでくる刃を見てから、私は言霊を紡ぐ。
『Gadget4:Gantlet-Unit“Nuadha”!』
銀色の光が左手に纏わり付き、そこに篭手を産む。ケルトの神、銀腕のヌアザ。その名を冠する私の篭手は、剣を受けても傷一つ付かなかった。拳を握り、腕に力を込めると…持てる限りの膂力を振るい、篭手で彼女の剣を薙ぎ払う。
剣が弾け飛んだ一瞬だけ、そう、ほんの一瞬だけ――ホワイトさんが、怯んだ。だが、その一瞬が命取りだ。私は全精力を右手に込め、ホワイトさんを刺突した。渾身の力を込めて突き出した右腕に、剣先が肉を貫く感触が伝わる。私は抉る様にそれを引き抜いた。
「―――痛ぅっ…!」
ぼたぼたと、赤い何かがくすんだアスファルトを彩る。ホワイトさんは信じられない物を見る様な目をしながら、風穴の開いた自分の腹を凝視した。
『今ここで退くならば、命まで取ろうとは思わない』
ホワイトさんの首に剣を突きつける。腕を振るうだけで、簡単に首を飛ばせる位置だ。だが、そんな極限状況に置かれ、なお…ホワイトさんは、にやりと笑った。
「雨宮さん、一つ教えてあげる。敵を殺せる時は…決して、躊躇ってはいけない」
先のホワイトさん同様、一瞬の油断が命取りになる。鋭い抜き手が胸を穿ち、鳩尾の宝石の様な物が損傷する。刹那、体中に力が入らなくなった。
『か、はっ…』
バルムンクを地面に突き刺し、体重を預ける。身体を動かすエーテルの流れが阻害され、全身の反応が鈍くなる。ホワイトさんも今の一撃で力を使い果たしたか、膝を突いた。互いに、剣戟を振るえる程の力は残っていない。私はメインガジェットに、全てを託した。
『…Refine.(精製。)』
バルムンクを放し、両掌を上に向けて左右に構える。キラキラと、ガラス片の様に微細な粒子が腕に絡み付く。見た目はダイヤモンドダストの様に綺麗だが、その一片一片は白く煌く極低温の刃。如何なる存在であれ、触れるだけで消滅は必至だ。私は彼女に、寒冷なる地獄の到来を告知した。
『Cold Gehenna!』
私のメインガジェット、コールド・ゲヘナは他ヴァリアントのそれと違ってエーテルを使用しない。魔力によって直接周囲を極低温の状態にするガジェットであり、半径20メートル以内のあらゆる存在を攻撃対象に設定出来る。私はホワイトさんに狙いを定め、両手を前に突き出した。
『灼けて…無くなれ!』
吹き荒ぶ、白銀の嵐。だが、ホワイトさんはその冷気に対し、身体の前で腕を交差しただけだった。そんな物、何の足しにもならない。仮に凍結したのが腕だけだったとして…寒冷なる地獄は、この冷気さえ前座に過ぎないのだから。
先程放った吹雪と寸分違わぬ軌跡を描き、圧倒的なまでの魔力塊が飛ぶ。グラスムーン渾身の、ヴァリアント結合を解除してまで放つ最強の攻撃。冷気と魔力の協奏曲…それが私のメインガジェット、コールド・ゲヘナの神髄だ。
だがしかし、それ故に…止めをさせなかった場合、完全に無防備になってしまう。
「“寒冷なる地獄”、ね。生憎だけど、本物の地獄に比べれば、そんな物…はっきり言って、無価値にも等しい」
彼女は交差させた腕の間から、その紅の瞳を覗かせる。コールド・ゲヘナが無効化…いや、むしろ逆に魔力を吸収された。私は剥がれ落ちる装甲の中、静かに悟った。
私と彼女は、次元が違う。今の私では、何万回戦おうが彼女には勝てない。
弾かれた剣を拾い上げ、それを杖代わりに立ち上がるホワイトさん。その赤い瞳が、冷酷な思いを孕んで私を見下ろす。
じゃり、と。砕けたアスファルトを踏む音だけが、やけに鋭くビル街に響いた。
「ただ、私は貴女を殺す訳にはいかない…私は貴女に、訊きたい事があるもの」
膝を突き、胸を押さえる私に反撃の余力など残ろう筈も無い。私は甘んじて彼女の質問に答えるという敗北を受け入れる事とした。
「貴女が『人間』を止めた、いや、止めさせられた時…貴女の目の前に居たのは、この女?」
差し出される一葉の写真。夜道で写された物らしく、画像は極めて不鮮明だ。だが、見紛う筈が無い。間違い無く、私から『人間としての存在』を奪った、あの女だった。
その黒い髪。その朱色の瞳。その長い手足。美しく、それでいて、どこか不安を掻き立てる…そんな女が、その写真には写されていた。
首肯する私を満足げに見てから、ホワイトさんはその手に握る剣を消滅させた。そのままふらふらと歩き、近くのビルの壁に背中を預け、そのままずるりと、彼女の身体が落ちた。灰色のコンクリート壁に、鮮血が一刷毛塗り付けられる。ホワイトさんは力無く腰を下ろし、ポケットから携帯電話を取り出した。
『もしもし、砂緒…?今、明石寺町の廃ビル街なんだけど…ちょっと、迎えに来てくれない?いや、仕事で忙しいのは分かるけど…うん、そう…怪我?ああ、少し…』
通話を終えると、彼女はぱちりと携帯電話を折り畳んだ。
「雨宮さん、動ける…?動けるなら、早めにここを離れた方が良い。エーテルコアは壊したけれど、ヴァリアントでない今の状態なら、行動にそれほど支障は無い筈。砂緒が来た時に貴女がいたら、少し厄介な事になるわよ?」
敗者である私に投げ掛けられたその言葉は、一見優しさの様に見える。けれど、それはまやかしだ。彼女の言葉は、憐憫を込めた侮蔑の一種に違い無いのだから。

雨宮さんは立ち去り、その姿が見えなくなった。私は口元を手で抑え、肺の中に溜まった血液を吐く。腹部貫通裂傷、全身に若干の凍傷、魔力は枯渇しかけている。あんな量の圧縮魔力、吸収しきれる物ではない。思ったよりダメージは深刻な様だ。蜘蛛とやり合うのは二、三日先にしなければならない。
そう思った、矢先だった。
「あらぁ、随分と満身創痍なのねぇ。そんなにヴァリアントは手強いのかしらぁ?」
くす、と笑い声。目の前に、黒服の女が立っていた。
「蜘…蛛…?何をしに…痛っ…!」
構えようとしても、膝が笑って立ち上がる事すら出来ない。立ち上がらずとも魔術で攻撃は出来るが、尽きかけた魔力では蜘蛛に僅かな傷を負わす事でさえ至難の業だろう。
私と彼女は、確かに旧友だ。埋葬機関幹部の私と、十九祖第十一位の彼女は、本来ならば言葉を交わす事さえ有り得ない筈だ。だが、何故それを成し遂げ、まして旧友として話す事さえ出来るのか。それは偏に、互いが互いを殺すのは、自分以外に有り得ないと思っているからだった。
「今日はヴァリアントシステムの様子見に来ただけなんだけどぉ。ふふ、なかなか完成していた様だからぁ、もうそろそろ、実用に耐えるかも知れないわねぇ」
お大事に。そう言い残し、蜘蛛は歩み去る。そして振り返り、憐れむ様な目で旧友を見た。
「怪我、早く治した方が良いわねぇ。あたしを止めたいんでしょ?」
ジョセフィーンは、唇を噛んだ。

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