第20話:恐怖―Terror―

昼休みの学食で、俺は浮かない顔をしている祐二に出会った。
「どうした、祐二。お気に入りのサボテンミキサーソーダが買えなかったのか?」
「そんな事じゃない。そもそも、サボテンミキサーソーダを飲む奴なんてこの学校ではお前だけだ」
ぴし、と手の甲で繰り出される辛辣な突っ込み。それを聞かない振りをしつつ、俺は当のサボテンミキサーソーダを啜る。美味いと思うんだけど…
因みに、さっき飲ませたらナインは一瞬だけ涙目で俺を睨み、その後無言で便所に走っていった。便所まで30メートル離れていない事が救いか。
「テストだよ、テスト。期末テスト、来週からだぞ。学生なのにテストの心配をしないなんて、余裕だな京司は。もしかしてお前はテスト勉強をしなくても点数が取れる超人の一人なのか?」
「…ああ、そういう物もあったな」
出来るだけ平静を装って言う。思いっきり忘れていました。やばい、全然勉強してないぞ。冷や汗を流し始めた俺を見て、水流が小粋な提案をする。
「ほな、巽君か米口君の家で勉強会やろうや。教師の倫がおるさかい、うちの家には来て貰えへんけど、二人の家なら大丈夫やろ?それに、米口君は一人暮らしやったやん。ちょっと位騒いでも大丈夫ちゃう?」
「一体何の相談だ、京司?」
便所から帰って来ていたナインが言う。その後ろには、何故か後楽先輩の姿もあった。
「勉強会の相談だよ。テスト近いからな。ナインだって勉強はしてるだろ?」
因みに、ナインは今や俺より勉強が出来たりする。俺と記憶を同期化したのでスタートラインは一緒の筈だったが、暇があると分厚い教科書なんかを読んでいるからだ。むかつく女だ。俺は教科書の存在意義など、授業中の枕かパラパラマンガの台紙以外に見出せないのだが。
「せや、後楽先輩も一緒にどないです?先輩かて、一人で勉強するよりは皆でした方が面白い思いますよ?」
そりゃ学年違いますし、教えあったりは出来ませんけど、と水流は繋げた。
「あら、私もご一緒して宜しいんですの?でしたら、お言葉に甘えさせて頂こうかしら…」
ふふ、と笑みを漏らす先輩。ナイン含め全員乗り気な様なので、場所の相談に移行する。
「思い立ったが吉日言うし、今日から始めたいて思うんよ、うちは。まあ、場所提供するのはうちとちゃうから気楽な物言いやねんけど」
「悪いけど俺の家は無理。事前に何も言わずに人連れて行くと、硝子さんが女言葉になるんだよ。明日からなら何とかなるけど」
俺も水流も駄目だという事で、自然と視線は祐二に向かう。ちなみに、後楽先輩宅は最初から除外。言い出しっぺは俺らなんだから、まずは俺らの家に招くべきだ。
「…分かった、じゃあ俺の家で」
祐二は何故か、非常に沈痛な面持ちで答えた。

放課後。
俺たちは校門で先輩と待ち合わせ、祐二の家へ向かう。しかし、今日の祐二はやけに無口だ。何事か悩んでいるような、諦め果てたような、左右非対称の表情を浮かべている。
「さあ着いた。ここが俺の家だ!」
叫ぶ祐二。今日は一体どうしたのだろうか。不審な行動を多発している。何か、家に来られるとまずい事でも在るのだろうか。
そう思い、友人の姿を見ると…彼は、引きつった笑顔で家の鍵を開けた。
「ただいま」
「お帰りなさい、御主人様!」
「うわああああああ!」
俺は急いで祐二の尻を蹴飛ばし、彼を家の中に入れると扉を閉めた。何か聞こえちゃいけない言葉が聞こえた気がする。
「どうしたんよ、巽君。奇声発しただけならまだしも、扉閉めて立ち塞がったら、米口君の家に入れへんやんか」
むぅ、と唇を尖らせる水流。どうやらさっきの危険ワードは聞こえていなかったらしい。命拾いしたな、祐二。俺が時間を稼ぐから、お前今のうちに何とかしろ。
「いやさ、いきなり押しかけた訳で祐二だって困るだろうし、片づける時間を!それにほら、あれだよ、あれ。祐二だって友達である俺らにだって知られたくない秘密とかあるだろうし、そういう絶対領域に土足で踏み込むのは人間としてのマナーに反している気がしないか?俺はする、だから祐二に執行猶予を与えるのさ。ほら、倫理の授業で習ったじゃないですか後楽先輩。大人になるまでの猶予期間って奴。何て言うんだっけ、喉まで出掛かってるんだけど思い出せないよ!も、も…も、もんてすきゅー?そう、そのモンテスキューって奴だよ皆!でも祐二も有事に備える義務は在る筈で何で俺がこんなに必死になって彼を弁護しているのか自分でも分からない!あ、今の『祐二の有事』ってギャグじゃないぜ?う、酸素が足りねぇ!」
持てるだけの語彙と肺活量を総動員した台詞を吐いた俺は、喋りすぎて酸欠になった。多分、俺の今までの人生における愚行でも五本の指に入るだろう。俺の体はゆっくり傾ぎ、地面に情熱的な接吻を交わした。
「…えっと、巽君。その友達にも知られたくない秘密って、ベッドの下の成年誌とかなんかな?それ位の事じゃうちは引かへんよ、そういうのに興味あるんも、健康な証やし」
妙に理解のある水流。俺だってそういう成年誌は所持していて、ナインが来たから隠し場所に困…あー、ごほごほ。ナンデモナイヨ?
「…京司、モンテスキューではない、モラトリアムだ。そも、モラトリアムはエリク・H・エリクソンの提唱した言葉であるに対し、モンテスキューは『法の精神』で三権分立を…」
こっちはこっちで授業を始めるナイン。そこはかとなく殺意が湧いてきた。ナインを殴ってやりたい衝動に駆られるが、今この扉から退いては親友が変態の烙印を押されてしまう!それだけは何とか阻止しようと、俺は急いで立ち上がると両手を広げた。
がちゃ。
「さあどうぞ…って、京司、お前何やってるんだ?」
それが、彼のために必死で戦った男に対する友人の仕打ちだった。

水流とナイン、先輩を居間に入れる。俺はトイレに行くと言って居間と廊下の戸を閉めると、茶を淹れに行った祐二の肩を引き寄せて耳元で囁いた。
「おい、祐二!お前がどういうプレイが好きでも俺は構わない、て言うかもし本物ならメイドさんとか俺も見たいから後で見せてくれよ、親友だろ?じゃ無くて!」
焦っているのか、若干変な言葉が口をつく。俺は掌に人の字を三回書いて飲み込むと、祐二に言った。
「率直に聞くが。さっき『御主人様』って言ったの、誰?」
祐二は目を逸らす。俺は彼の肩を掴むと、正面を向かせた。目と目を合わせ、有無を言わさぬ口調で話し掛ける。
「答えてくれ、祐二。俺に何か出来る事があるなら手伝う。それがどんな事でも、法に触れない限りは水流や先輩にも言わないと誓おう」
祐二は観念したかの様に頭を下げた。そして、ぽつりと驚愕の真実を口にした。
「お…押しかけメイド」
「嘘吐け」
即答した。先ほどは失言をしたが、マンガ、小説の世界や中世ヨーロッパならともかく、この平和な現代日本でメイドなど居るものか。しかも、押しかけ。彼が真面目に言っているのなら、俺は良い病院を探してやらねばならないだろう。出来るだけ窓が無い病院が良いな、もしくは窓に鉄格子が嵌っている所。黄色い救急車もあると、さらに良い。
そんな表情で祐二を見ると、彼は無言で階段下の収納を開ける。その中にみつしりと詰まっていたそれは、祐二の顔を見るなり不満げな声を漏らした。
「ねー、御主人様。何でボクが隠れなきゃいけないのさ?」
…ははははは、幻覚が見えるぜ。メイドさんが居るよ。メイド服着てるし、多分メイドさんだ。しかもそこらのデパートでパーティーグッズとして売ってる陳腐な物でも無く、妖しいお店で売ってる様な露出過多な物でもない。フェルトを使った、本物のメイド服だ。
「信じて、くれるか…?」
そんな祐二の質問に乾いた笑いを漏らしながら頷く自分を、どこか遠い場所から理性が慰めていた。

第十九話     第二十一話

戻る