第21話:結合―Unite―

「えっとその…祐二、とりあえず茶を出そう。詳しい話は夜に電話でもしてくれ。ここで長話して水流達にこのメイドさんが見つかったら、元も子もない」
「ああ、助かる京司」
がし、と握手。とりあえず、メイドさんはもう一度階段下の収納に押し込んでおく。
「むー!」
収納からくぐもった声が響くが、気にしない。ここには生物など入っていない、OK?

「どないしたん、えらい時間かかっとったけど…巽君、便秘?」
デリカシーの欠片も無く、真顔で尋ねる水流。俺は『メイドさんの所為です』と言いたい衝動を必死で堪え、曖昧に頷いておいた。
「はい、お茶持って来た。お茶菓子は適当に盛ってあるから、適当に摘んで」
それぞれにグラスに入った麦茶が渡る。お茶請けには煎餅やあられ、最中等が雑多に大皿に盛り付けられていた。俺は早速適当な煎餅を摘むと、袋を開けて齧りつく。
「巽さん、食欲旺盛なのは結構ですが…せめて、筆箱位は出した方が宜しいのでは?」
眉根を寄せて、困った表情を作る後楽先輩。基本的に穏やかな人なので、困った顔もつい苛めたくなってしまう様な可愛らしい物だった。
しかし、勉強をしに来たのは事実。俺は鞄を開け、数学の問題集とノートを出した。早速問題に取り掛かるが…すぐさま一つの問題が発生した。問題が解けなかったのである。
「なあ、ナイン。この問題、どうやって解くんだ?三辺の長さは分かるんだけど、角度とかが分からないから面積が出せない」
横で同じ問題集を広げるナインに尋ねる。ただし、ナインが解いている問題は俺より先のページだった事実には目を瞑る。何故こいつはこんなにも勉強が好きなのか。健全な高校生として、理解に苦しむ。
「どれ…ああ、この問題はヘロンの公式だ。2s=a+b+cとした時、三角形の面積の二乗はs(s−a)(s−b)(s−c)となるという公式だ。覚えていて損は無いぞ」
自分より後から勉強始めた奴に教えられるってどうなのよ俺、とセルフ突っ込みを入れながら俺はナインの言う通りに数字を当てはめる。
そんな俺達を見ながら、後楽先輩が言った。
「巽さんと雨宮さんは、随分仲が宜しいのですね。羨ましいです」
「いや、そりゃ従姉妹ですし」
頭を掻きながら返事をする。後楽先輩はにこやかに微笑みながら、けれどどこか冷たい瞳でナインを見ていた。俺にはその瞳に宿る感情が、憎悪のそれであったかの様に見える。彼女と出会ってから日は浅いが、いつも穏やかな笑みを浮かべている先輩にしては珍しい光景に見えた。
「…後楽先輩?」
ナインが自分を見つめる先輩に声をかける。しかし先輩は答えず、そっと視線を外す。

「ほな、お邪魔さんでした。また明日な」
「失礼しました、米口さん。今日はとても楽しかったです」
礼を言う水流と先輩。俺とナインも祐二に別れを告げると、米口家を後にした。その帰り道、ナインは正面を向いたまま疑問を口にした。
「…京司。一つ聞きたいが、祐二は一人暮らしだったな?」
「ああ。それがどうかしたか?」
本当はメイドさんが居るぞ、と教えてやりたい。けれど、俺も男だ。友人を貶める様な真似だけは、断じて出来ない。
「いや…何でも無い。それより京司、頼みがある。今日の夜中だが、少し外に出たい。お前も一緒に来てくれないか?事によると、エクリプスの力が必要になる」
「構わないけど…魔の気配でも感じたのか?」
「ああ、その様な所だ。ただし、魔よりは若干性質が悪いかも知れんが…」
その時のナインが見せた冷たい瞳を、俺は生涯忘れる事は無いだろう。

「ただいま」
玄関を開けると、居間からアルカナが飛び出してきた。アルカナもナイン同様表情に乏しいのだが、それでもその顔に焦燥は色濃く浮かんでいた。
「硝子さんが熱を出して寝込んでいます。少し寝れば大丈夫だから、明日までゆっくり眠らせろ。夕食は京司が弁当でも買って来る様に、との事ですが…どうも、様子がおかしい」
アルカナの言に、ナインが質問する。
「アルカナ。様子がおかしい、とは?」
「魔力量著しく低下、微弱ながらエーテル流出反応。命に別状は無いと判断されます。私の計算ですが、約25200秒…7時間の休息で回復可能かと」
「7時間か。心配ではあるが、我々に手出しできる事は無いのだろう?」
眉根を顰め質問したナインに、アルカナが首肯。よく分からないが、俺らに出来る事が無いのなら大人しくするのが得策だ。冷たい様だが、俺は硝子さんの部屋には行かずに自室に向かった。ちなみに、ナインに少し一人にしてくれと伝える事も忘れない。祐二に電話をかける為である。

「…つまり、あれか。行き倒れのメイドさんを助けたら居着かれた、と」
『ああ、理解が早くて助かる。正にそうだ』
電話の向こうから、安堵の溜息が届く。
「俄かには信じがたい話だな…まあ、お前がそう言うならそれで良いんだけどさ…」
『それと、もう一つ…実は俺、
その瞬間、ナインが扉を開けて転がり込む。俺は反射的に携帯を操作、通話を終えた。電話の向こうで祐二が何か言っていた様な気がするが、明日にしよう。
「京司!魔だ、往くぞ!」
予想通りの台詞を吐いたナインに腕を掴まれ、玄関から飛び出す。俺は走りながら叫んだ。
『Conception!』
闇色をした光が集う。エーテルが硬質の装甲を編み上げ、握り締めた拳に戦う力を与えてくれる。変身が完了した瞬間、漲る力が俺の走る速度を跳ね上げた。
『出現予測地点、四尼下町付近。祐二の家が近い。簡単に感知できた事から察するに、対象の能力はそう高くは無いが、油断はするな』
ナインの声に黙って頷き、エクリプスは夜の街を疾走する。電柱を蹴り、塀の上で膝を曲げ、屋根の上を駆け抜ける。静かな月光だけが、朝比奈の町を照らしていた。
『対象捕捉。2時方向、20メートル以内』
屋根の上から地上に降りると同時に地を蹴り、速度を殺さず目的地へ向かう。踏み込みによって砕けたアスファルトが、乾いた音を立てて転がった。
『…!京司、エーテル濃度若干低下!シミュラクラムとも違う…別のヴァリアント!?』
そうナインが告げるのと、ヴァリアント結合特有の暗い煌めきが立ち上るのとは同時だった。俺はジャンプし、電柱の上に乗る。そのヴァリアントを確認するためだ。

蒼い装甲。どちらかと言えばスリムな印象のある他ヴァリアントと違い、鎧を着込んだかの様に厳ついフォルム。銀色では無いので、以前水流が言っていた『グラスムーン』とやらでは無い。その鎧はガジェットなのかも知れないが…見るからに頑丈そうなそのヴァリアントは、目の前の魔に若干押されている様だった。
『泥田坊(ドロタボウ)。動きは鈍重、保有魔力も大した事は無い魔だが…防御力と打撃力は高い。エクリプスの敵ではないが、あの重そうな身体では苦戦する相手だろうな…』
しかしナインの予想に反し、蒼いヴァリアントは目にも留まらぬ素早さで泥田坊から離脱する。そして右腕を高く突き上げ、声高に叫んだ。
『Refine!』
煌く蒼のエーテル。それが奴の右腕に集まる。それは一瞬で無骨な形状を形作った。右腕全体を包み込んだそれは、どう見ても巨大な杭打ち機にしか見えなかった。
『Mortal Sin!』
腕を振りかぶった蒼のヴァリアントは叫び、その身体自体を弾丸に変える。乱暴に叩き付けられる右腕、紫電を纏いながら射出される杭。それが泥田坊を貫いた瞬間、視界を白に染め上げる閃光が迸った。雷が落ちた時の様な轟音が、世界を劈く絶叫となる。
俺の視界に映るのは、焼け焦げた地面と煤けた蒼。泥田坊は、影も形も消え失せる。そしてゆっくりと、蒼のヴァリアントがこちらを向いた。

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