第23話:魔夜―Walpurgis―

握る拳、そこに消せない思いを込めて。俺は幾度も、蒼いヴァリアントを殴りつけた。
奴は加速装置のガジェットを持っているが、その航続時間は短い。また、乱用出来るほどエーテル消費が少ないでもないらしい。なら、力で負けたとしても速度ではエクリプスが有利だ。それなら、俺にも勝機はある。

―――ごぎん。
手首に激痛が走る。どうやら硬い装甲の殴りすぎで腕がいかれたらしいが、気に留める余裕は無い。攻撃の間隙を掻い潜り、体重を込めた拳を放つ。常に移動し、奴の視界を縦横無尽に駆け巡る。この速度こそ、俺とナインの――エクリプスの、強みだ。
『今だ、京司!』
『分かった、ナイン!これで―――止めだ!』
懐に飛び込み、上半身を限界まで捻ってから拳を振るう。
何かが砕ける音。それが俺の手首なのか、それとも奴の装甲なのかは分からなかった。
「エーテル保持量、存在結合保持最低域を突破。結合を解除する」
ナインが事務的に告げ、俺の身体から黒い装甲が剥がれ落ちる。体中から力が抜け、俺は膝を突いた。切り裂かれた掌や砕けた手首はもとより、全身に気だるい痛みが広がる。
「―――京司?」
げほ、と咳き込む音と共に、聞こえる筈が無い友人の声が聞こえる。俺はのろのろと首を擡げ、目の前で膝を付く蒼いヴァリアント――その寄生主の姿を、視界に納めた。
「祐、二…?」
その横には、メイド服の女性が昏倒している。昼間に祐二の家で見た、メイド服の女性だ。ペパーミントと言うとんでもない髪色は、忘れようとしても忘れられるものでは無い。
「祐二…そこのメイドが、お前のイルサイブか」
ナインが塀に寄りかかって身体を支えながら、祐二に問い掛ける。祐二はしばし沈黙を保っていたが、やがて首肯した。そして、傍らのメイドさんを起こす。
「おい、ゲシュタルト!」
「う…くあ…御主人、様…」
メイドさん――もとい、ゲシュタルトが目を覚ます。ゲシュタルトは起き上がるや否や、自分の両手と身体を見た。
「結合が解けてる…御主人様、ボク達、負けたんですね…」
がっくり肩を落とし、うなだれるゲシュタルト。その肩を、祐二が支えていた。
「…祐二、それでなければゲシュタルトでも良い。何故、私たちに襲い掛かった?」
ナインは壁に寄りかかって腕組みし、苦しい息の下から祐二達に問い掛ける。
「それは…」
ゲシュタルトは言いよどみ、俺とナインをちらと窺う。
「言っても、怒らない?」
メイドさんが上目遣いで瞳にうっすらと涙を浮かべて哀願。俺は全人類の半数を占める単細胞生物、要は男性の一員だ。メイドさんにこの様にお願いされて、理性が揺らがないだろうか。いや、揺らぐ。と、反語表現まで用いながら思わず肯定してしまいそうになる。だがしかし、ナインは女性だった。
「いいや、確約は出来んな。事と次第によっては怒る」
冷たく吐き捨てるナイン、怯えるゲシュタルト。祐二は一つ溜息をつくと、説明を始めた。
「俺がゲシュタルト拾ったのもその時なんだけど、こいつ、以前にヴァリアントに倒された事があってさ…その時に魔力を奪われたとかで、ヴァリアント恐怖症なんだそうだ」
俺はそんな事してないし、ディゾルブを見てもこいつらは無反応。水流か、それで無ければグラスムーンとか言う奴だろう。もしくは、まったく別の奴か。
「敵意を確認もせずに襲い掛かった事は謝ります…ごめんなさい…」
しゅん、と小さくなるゲシュタルト。ナインは呆れた様に息を漏らした。
「どうする、京司」
「どうもこうも無いさ。祐二は俺の友達だし、ゲシュタルトももうしないって言ってる」
ナインは小さく頷くと、ゲシュタルトの頭にポン、と軽く手を置く。
「仕方が無い。今回に限り赦そう、ゲシュタルト。ただし、今度は無いぞ」
「あ、ありがとうございます!」
叫び、ナインに取り縋るゲシュタルト。ナインは慌て、彼女を剥がしにかかる。若干爽やかかつどこか歪な、イルサイブ達の風景。
朝焼けが迫って明るさが差し込み始めたこの街に、澄んだ水色の髪を持つ女性の姿が現れた。その女性は俺達の姿を認めると、小走りで向かって来る。
「あれ、京司君じゃないっすか。何してるんすか、こんな時間にこんな所で…」
「音無さん!?」
現れたのは硝子さんの友達、音無空さんだった。音無さんは俺達を一瞥すると、若干顔を赤くして頬を掻きながら、言った。
「京司君、それに君はナインちゃん…君達…」
周りには、俺と祐二が戦った痕跡が散らばっている。焦げた地面、砕けたアスファルト。付近住民の皆様が起きてこなかった事は、正に僥倖と言えるだろう。
やばい。音無さんに、俺達が常人ではないとばれたかも知れない。
「い、いや違うんだ音無さん!」
「隠さなくても良いっすよ、京司君。私はそういうのには理解がある方っす。しかし、路上でメイド服、しかも複数人とはなかなかアブノーマルなプレイっすね…あ、安心するっすよ、京司君。硝子さんには秘密にしておいてあげるっす」
きゃー、と両手で顔を隠して嬉しそうな悲鳴をあげる音無さん。この人、本当に三十路か?
「ああ、感謝する、空。私としても硝子に我々の異常な行為を知られるのは得策とは言えない。黙っていて貰えると、非常に助かる」
何を血迷ったか、ナインは音無さんに頭を下げた。馬鹿野郎、そんな事したら俺が変態だと誤解されてしまう。健全な男子高校生として、それだけは避けたい所だ。
「何言ってるんだ、ナイン!お前、変態って思われても良いのかよ!?」
ナインを抱き寄せ、耳元に口を近づける。ナインは、小さな溜息を吐いた。
「京司。よもや、私が好き好んで変態に思われたがっているとでも思っているのか。下手に誤解を解こうとするよりは、相手の思い込みに合わせた方が良い」
だからって、いくら何でも野外でメイドさんと言うのは変態が過ぎるぞ。
だが、俺には残念ながらナイン以上の機転はきかなかった。
「あ、ああ。実はそうなんだよ音無さん。最近、メイドさんが俺の中でブームなんだ。で、こいつ俺の友達なんだけどさ、その彼女にメイド服をね!」
巽京司という存在その物の価値が、マッハで下落するのを感じる。祐二も観念したのか、口裏を合わせてくれた。俺は良い友達を持った、感謝する。
「それより空。貴女は何故こんな時間に?」
ナインが尋ね、話題の矛先を変える。音無さんは手に下げた鞄をひょい、と掲げた。
「仕事帰りっす。私、諸橋工業の事務職をやってるんすけど、書類のミスがあって…その修正で、朝までかかっちゃったんすよ」
それじゃ、と言い残し、音無さんは俺らに手を振って去っていく。俺は倒れたままのアルカナを背負い、祐二達に別れを告げた。

「はて、類は友を呼ぶ、ねぇ…いや、その逆かなぁ?」
廃ビルの上から蒼と黒の争乱の一部始終を眺めていた蜘蛛は、舌で唇を湿らせて微笑んだ。歪な発達を遂げた彼女の視覚は、優に数キロ先の彼らの動向を捉える事はおろか、唇の動きから会話の内容さえおぼろげに理解していた。
「けど、懐かしい顔ねぇ、あの娘…もう何年になるのかしらねぇ…イルサイブシステムには無関係だと思っていたけれどぉ、あれはあれでなかなか使えるわねぇ…」
くつくつと、肩を揺らして笑う蜘蛛。以前見捨てた筈の駒が全て揃い、尚且つそれが己の知らぬ内に己の望む結末へと完成しつつある事を理解したから。
イルサイブを創り、時にそれらを育てるべく餌となる魔を放ち…未来を演算し、誤差を修正し、己の望む結末を迎えようと無様に足掻き。
アトラク=ナクア。ツァトグアの洞窟に潜む大いなる古き者。彼女は歓喜していた。可能性としては微々たる物であるが…イルサイブシステムが、予想外の成功を齎すかも知れないという事に。確かに、見限った筈の子供達だった。けれどそれが這い上がってきたのならば、それらの親として歓喜すべきではないか。
「はてさてぇ…最後の仕上げにかかろうかしらねぇ…」

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