第31話:怨讐―Grudge―

『はっ!』
土転び(ツチコロビ)の突進を回避しながら、擦れ違いざまに爪で切り裂く。ナイン曰く下の上程度の魔だそうだが、油断は禁物だ。
突進、パンチと単純な動きで襲って来る土転びを蹴り飛ばし、相手の動きが鈍った所で一気に右腕で貫いた。鉤爪が肉を裂き骨を砕き、生暖かい飛沫が身体を濡らす。俺は一瞬目を伏せ、けれど土転びをしっかりと見据えて宣告した。
『Sublimation!』
俺が傷つけ、俺が殺す。その終焉を見届ける責任が、俺にはある筈だ。殺す以外の方法で魔と人間の諍いを解決する術を持たない俺自身の無力が、この上無く重く圧し掛かる。けれど、無力がどれだけ辛くとも、俺は最期まで見届けなければならない。
右腕を黒い光が駆け抜け、断末魔の悲鳴さえも許さずに土転びの存在を昇華させ、この世界から消滅させる。だが、いくら人間を襲おうと待ち伏せしていた魔だからと言って、生物を殺すのは気分の良い物じゃない。
『にしても、ナイン。あまりにも変だと思わないか?』
『…京司も気付いていたか。ここ数日、この界隈で魔が増えすぎている。元々この土地はマナが豊富、魔が多い土地だとは言っても…多すぎる』
神妙な声で答えるナイン。水流、祐二、アルカナも今頃どこかで魔と戦っている。本当にこの数日、後楽先輩が行方不明になってから急に魔が増え始めた。先輩が魔に襲われて最悪の結果になっている可能性もゼロではない、なんて嫌な想像が脳裏を過ぎった。弱気な事は考えたくないのに、それでも迷いが生まれる。信じていたいのに、疑ってしまう。なんて、惰弱。俺は知らず、誰にとも無く呟いていた。
『畜生…』
夜明けも近い。俺はナインとの結合を解除して家へ向かい始めた。連日連夜の戦いで、肉体はもちろん精神も消耗している。その上、他の魔と違ってヴァリアントはその活動に周囲の第五架空要素、エーテルを消費する。戦えば戦うほどにエーテルは減少し、ここまで連戦が続くとエーテルの回復量が消費量に追いつかない。
「このままではジリ貧だ」
ナインの呟きに、俺は無言で答えた。俺だって、出来る事なら魔が大量発生した原因を探し出して、それを解決したい。けれど、手がかり一つ無い現状では何をすれば良いか皆目見当がつかない。
硝子さんの部屋から物音がしない事を確認してから、俺とナインは窓から自室へ侵入した。

ベッドに倒れ、天井を眺める。
後楽先輩の失踪。魔の大量発生。まだ見付からない、グラスムーンと名乗るヴァリアント。ゲシュタルトを襲ったヴァリアント。最近は姿を見せないが、シミュラクラムを、水流を殺すと宣言した蜘蛛と名乗る魔。考えるべき事が多すぎる。それなのに、俺の力はそれを解決するにはあまりに矮小だ。
「俺、何が出来るんだろうな」
思わず口から漏れた問い掛けに、床の布団で寝ていたナインは何も言わなかった。けれど、聞いていない訳では無い。今は何か言う時では無いと、そう思っているだけだ。一緒に暮らしていくうちに少しずつ、ナインの考えも分かる様になってきた。絆、だろうか。
「俺はあの日、死んだ。そしてお前と契約した結果、魔と戦える力を手に入れた。お前と長い間離れると死ぬってデメリットはあるけれど、それでも何かが出来るような気がしたんだ」
ナインは身体を起こし、質問する。カーテンの隙間から差し込む仄かな明かりが、彼女を青白く照らしていた。
「京司。お前の言う『何か』とは、具体的にはどういう事だ?」
「…魔を、倒せるんだ」
一拍。閉じた瞼の裏に、十年前の両親の姿が見えた。俺に笑いかける元気な姿と、俺の目の前で殺された無惨な姿の両方で。胸の深くに生まれた悼みを堪えながら、俺は思いを吐き出した。
「正直言うとさ。俺は、両親の仇が討てるかも知れないと思った。だって、変身出来るんだぜ?特撮とかのそういうヒーローって大抵無敵で、自分の信念を貫き通して、倒すべき敵をやっつけるんだ。俺の記憶を持ってるんだ、お前も知ってるだろ?」
ナインは首肯する。十年前に俺は知った。ピンチに駆けつけてくれる絶対的なヒーローなんて居ない事を。けれど同時に、悪を憎み、正義をなす人は存在する事も知った。白いドレスを真っ赤に染めながらも俺を助けてくれた、ホワイトさんの姿が浮かぶ。
「俺、小さい時から本当にヒーロー番組が大好きでさ。親にねだって変身ベルトとか変身ブレスレットとか、いっぱい買って貰ったんだ。番組が終わって新しいヒーローが登場する度、その玩具をねだった。今でもクローゼットに箱まで大事に置いてある。だから、変身して戦う力を手に入れた時は本当に嬉しかった」
紅のヴァリアント、シミュラクラムの姿が浮かぶ。俺より先に魔と戦う力を手に入れ、そして人間を守る為に魔と戦い続けた存在。愉快な同級生だと思っていた水流の、秘められた決意。それに比べ、俺がどれだけ軟弱な意志しか持っていないのか。
「だが、京司。お前は戦いを望んでいないのでは?」
ナインは俺の言う事が理解出来ない様だ。当たり前、言ってる俺だって理解出来てない。考えながら、悩みながら喋っている。
俺は何をしたいのか、俺は何が出来るのか。
「もちろん、俺は戦いが嫌いだ。きっと、俺は臆病だから。そりゃ殺虫剤は使えるし、釣った魚を三枚にだって下ろせる。でも、ある程度の知性があるモノは殺せない。喧嘩も苦手なんだから殺人なんて絶対無理だし、魔を殺すのも気が進まない」
更に一拍。ナインが何か言う前に、俺は口を開いた。休みながらでないと喋れないのに、喋るのを止めたら泣いてしまいそうだった。
「でも俺は、戦いたいんだ。誰かを護りたいんだ。いや、そんなのは詭弁だな。ヒーローに、なりたいんだ。俺がお前と出会ってこの力を手に入れた事、それに何か意味があると信じたいんだ」
そう言った俺を、ナインは冷ややかに見つめる。しばらくの無言が俺達を支配し、やがて先に口を開いたのはナインだった。
「京司。お前が力を手に入れたのは、ただの偶然だ。偶々お前が魔に襲われ、偶々私がそこでお前を助けた。ただそれだけの偶然だ。意味がある出逢いなんて、この世界には唯の一つも存在しない」
だがな、とナインは優しく続ける。俺の望みをきっぱりと否定しながら、それでも彼女は俺に、確かに手を差し伸べた。
「お前がこの力を振るう事には意味がある。始まりに意味が無くても、終わりに意味が無くても、その過程にお前が意味を作れば良い。先程、私は意味のある出逢いは存在しないと言った。だが、意味が無い過程はそれ以上に存在しないのだから」
ナインは立ち上がると、俺のベッドに横になった。いくらナインが小柄だとは言え、一人用のベッドに二人で転がれば嫌でも身体は触れ合う事になる。肌が触れ合う事が気恥ずかしくなった俺は身体を捩り、彼女が寝るに十分な空間を捻出した。ナインの息ざしさえ感じられる距離。一体、何をする気なのか。
「京司。返事をするな、肯定も否定もするな。今から言う言葉は聞いた瞬間に忘れろ」
いきなり無茶な事を言う。けれど、ナインの真剣な横顔にはそれを笑い飛ばす余地など存在しなかった。俺は無言で頷く。
「京司。お前はヒーローになりたいと言ったな?だが、私とお前、エクリプスの力は脆弱だ。世界を救う英雄になる事など、到底不可能。しかし、どんな僅かな力でも、正義の味方にはなれる。もしお前が正義の味方になりたいのなら、巽京司の正義を貫け。不屈、不変、不退転、死んでもその志だけは曲げるな。そうすればお前は英雄にはなれずとも、正義の味方になる事は出来る。そして、絶対に忘れるな。何が有ろうとも私は、雨宮ナインは、巽京司の味方だ」
そうして、ナインは俺を抱き締めた。母が子にそうする様に、柔らかく包み込む様に。シャンプーの香りだろうか。甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
感じるのは安堵。漏れる嗚咽を止める事が出来ない。
俺はナインの胸に顔を埋め、年甲斐も無く泣きじゃくった。

だから、俺はこの時決めたんだ。
巽京司は、正義の味方になろう、と。

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