第32話:葛藤―Conflict―

『目標接近、目視にて確認。目標総数、3。分類、全てヒトウバン』
ヒトウバン。それは人間の頭部を模した、小型の魔。攻撃方法は噛み付きと突進のみと単純な魔だが、その牙には毒が含まれている為に注意が必要。そして魔力の爆発を利用した推進システムは、物理法則を無視した変則的な機動を可能としている。気をつけていればまず負ける事は無いが、気を抜いて戦えるほど弱くも無い。
『了解、倫。Gadget‐2,Dagger‐Unit.』
周囲のエーテルを吸収。ヴァリアント:シミュラクラムの体内を流れるエーテルと結合させ、我々は投擲用短剣を生み出した。その数、総計8。両手の指に挟み、飛来するヒトウバンに向けて投擲する。
『6本の着弾を確認。ただし、目標への損害は軽微と判断。Gadget-3,Firearms-Unitの使用を提案』
刻々と変化する戦況を、私は淡々と処理していく。柳と共に戦いに赴くこの瞬間は、彼女と私が繋がっているとダイレクトに感じられる瞬間でもある。エーテルを精製、手の中に現れる拳銃の引き鉄を引く。時刻はじきに午前一時をまわるが、この程度の暗闇ではヴァリアントの視覚を妨げる事は出来ない。エーテルの弾丸はヒトウバンを撃ち抜き、一体、また一体と葬っていった。
『目標、完全に沈黙。エーテルに分解、吸収します』
三体のヒトウバンを殺し喰らい、結合を解除したその瞬間。
心臓を押しつぶす圧迫感。軽い嘔吐感をも伴いながら、それは我々の目の前へ現れた。
季節外れな黒いコートの女性。その腰にはベルトで白銀の剣を携え、サングラスで表情を隠している。風に靡く長髪も黒く、どことなく幽鬼を髣髴とさせる。
「…まず、こちらから名乗っておきましょう。埋葬機関十二幹部第四席、『巨蟹宮』酒木砂緒です」
「…水流柳や。こっちは太宰倫」
柳は私を庇うかの様に、酒木と名乗った女性の前に立ちはだかった。だがしかし、無謀すぎる。埋葬機関の十二幹部を相手に、ヴァリアント結合もしていない人間である柳が敵おう筈が無い。だが、今更結合する事は具の骨頂、まして逃げる事など出来そうにない。そう、簡単に言えば絶望的な状況だ。
だが彼女は柳の名を聞いた瞬間、鋭く尖らせていた空気を一変して和らげた。
「水流柳さん、ですか…どこかで見た顔と思ったけれど、真逆貴女とは…お久しぶり、と言えば良いかしら?」
サングラスを外し、コートのポケットに仕舞う。その下に現れたのは、金銀妖眼。右の赤、左の金。私同様にアルビノであるのならば赤い眼も納得出来るが、闇夜でも燦然と輝く金色の眼という物は中々に印象的だった。
だが、それにしても『久しぶり』とはどういう意味だろうか?私も柳もその言葉の意味を図りかねていると、酒木と名乗った女性は申し訳無さそうに頭を下げた。
「九年前…二十神山で、貴女を…貴女だけを、助けた者です」
柳が息を呑む。私も目の前の女性が何者なのか、即座に理解した。
九年前、柳が家族を喪ったあの事件…その時、彼女を救った女性だ。柳だけを、と強調したのは恐らく、柳の家族を助ける事が出来なかった事から来る自責だろう。
「貴女とならば、落ち着いて会話が出来そうですね…どうですか、柳さん。私と一緒に、お茶でもしませんか?この時間ならば、まだファミレスなら開いているでしょう」
柳はちらと私を見る。私は小さく頷き、酒木女史の提案を受け入れる事にした。

ファミリーレストラン『ニグラス』。
酒木女史はセイロンティーとミルフィーユ、柳はアップルティーとモンブラン。私はコーヒーとガトーショコラを注文した。
「まず、現在この街が置かれている状況から話すわ」
酒木女史は言い、ティースプーンでソーサーを突付く。コツコツと、硬質な音が深夜のファミレスに木霊した。
「現在、この街には通常からは考えられない量の魔が存在している。元よりこの街はマナが豊富だから他の土地よりも魔が多く存在している、この程度の事はイルサイブである太宰さんならば既にご存知かと思うけれど」
首肯。三年前にこの土地に流れ着き、その一年後に柳と契約し、それからずっと朝比奈市で暮らしてきたのだ。
「朝比奈の魔は多いとは言っても、凶暴な魔は少なかった。けれど、約七ヶ月前より事情が変わったの。徐々に魔の数が多くなり、凶暴な物も増え始めた」
女史は紅茶を啜る。フォークで小さく切り取って口に運んだガトーショコラは、ほろ苦い味がした。
「そして決定的なのが、この数日。一連の魔の増加現象は、全て…イルサイブの言うマイロード、具体的には十九祖の第十一位、“蜘蛛”アトラク=ナクア。彼女が、その原因」
絶句した。かつて接触した“蜘蛛”と名乗る魔。あれが我々イルサイブ、その親たるマイロードであったばかりか…真逆、十九祖だったとは。
否、問題は更に別の所にある。
彼女は、我々を喰うと宣言しているのだ。並大抵の魔になら負けない自信はある。けれど十九祖を相手にするなんて、無謀にも程がある。せめて柳だけでも守りたいが、果たして十九祖相手にそんな事は可能なのか?
カチカチと、耳障りな音。音の源を見ると、それは震えた私の手がコーヒーカップに当たる音だった。震える右手を震える左手で押さえる。
「アトラク=ナクアは魔を野に放つ事でイルサイブとそれの戦闘を誘発、遠回しなやり方でイルサイブを育てようとしているの。そして、恐らくは…成長しきったイルサイブを生贄に、彼女の元いた世界へ通じる扉を開けようとしている」
柳が視線で問い掛ける。蜘蛛の元いた世界とはどういう世界なのか、と。
「柳、あれは最悪の世界です。旧支配者、大いなる古き者、邪神の眷属…我々の世界に仇成す全てが、あちらの世界には蠢いています。扉を開けたが最後、この世界は邪神に蹂躙され尽くすでしょう」
私も、噂にしか聞いた事が無い…かつてこの世界を蹂躙した邪神達。それが復活するというのか。我等がマイロードは、その様な事を企んでいたのか。その為の生贄が、我々…?
「扉が開いても、一日や二日で邪神が押し寄せる事は無いでしょう。けれど、いつかは雲霞の如く押し寄せる。扉が開かれた時点で、我々人類は…敗北するわ」
沈痛な面持ちで吐き捨てる酒木女史。しかし、彼女が蜘蛛を倒すという事は出来ないだろうか?そう質問してみるが、彼女は哀しげに首を振った。
「アトラク=ナクアは人質を取り、埋葬機関に手出しをさせない様にしているわ。よしんばその人質は無かったとしても、私ではアトラク=ナクアには勝てない」
嫌な、予感がした。
「その人質が、後楽茶名…太宰さんの教え子で、水流さんの先輩よ」

酒木女史と別れた後、深夜の街を歩きながら柳はポツリと呟いた。
「…なあ、倫。うちは、どうしたらええんやろう?」
柳の問い掛けに、私は何も返す事が出来ない。
「うちらが巽君やナインちゃんと一緒に逃げたら、少なくとも逃げとる間は蜘蛛はイルサイブを生贄に出来へん。そしたら、この世界は滅びへん訳やん?」
小さく無言で頷く。けれど、それは後楽茶名を見捨てるという事。世界を救う為、たった一人を犠牲にする…この上無く単純な計算だ。そして、それは非常に難しい計算でもある。
「酒木さんが戦っても、蜘蛛には勝たれへん。うちらじゃ、余計無理や。けど、先輩を見捨てる事なんか出来へん。うちは、どうしたらええんやろう?」
『決まっているだろう?勝てない相手に挑む事ほど愚かな事は無い』
前方、白銀の装甲を纏ったヴァリアントが現れる。以前にも遭遇した事がある…グラスムーンだ。すかさず柳を背後に庇い、腕に魔力を通わせる。
『…そう身構えてくれるな、ダーザイン。今日は、話し合いに来たんだ…そうだな、素顔を見せれば信用して貰えるかな?』
グラスムーンは結合を解く。白銀の美しい装甲が剥離し、その向こうに見える人影は一人分。モノヴァリアントなのだろう。
「…黙っていて悪かった、と言うべきかな?太宰先生、水流」
雨宮硝子女史…巽君の保護者である女性が、そこに立っていた。儚げなその微笑みは、月光の下で鮮やかに咲いた大輪の花の様だった。

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