第33話:騎士―Knight―

「少し、話をしないか?何、お前達がファミレスから出て来た事は知ってる、お茶をしようとは言わないさ」
硝子さんの言葉に、うちは頷いた。底の見えへん人やけど、あの巽君の保護者。少なくともいきなり襲い掛かってくるような人や無い筈。もしそうする気なら、最初からそうしていたやろうし。ヴァリアントの姿を見せたのは多分、うちらに自分がグラスムーンやと認識させる為やろう。

「私はかつて、イルサイブの言うマイロード…要するに、あの蜘蛛と名乗る魔に殺された。言葉の例えとかじゃなく本当に、文字通りの意味で、雨宮硝子は、死んだ」
かつて倫とうちが出会った、寂れた公園のベンチに座り、地面を見つめながら硝子さんは言った。
「具体的に話すと、私達は…ああ、私の他に三人一緒だったんだがな。彼女達と共に、それぞれ体の一部をあの忌々しい蜘蛛に奪われた。一人は声を、一人は眼を、一人は右腕を、そして私は、“人間としての存在”を」
小さな溜息を一つ。ポケットから煙草を取り出し、安っぽいライターで火を灯した。そんな仕草も、妙に似合って格好良かった。大人のお姉さん、言うんか。冷静な倫とはまた違った、大人らしさが垣間見えた。
「水流、太宰先生。変な質問だが、“人間としての存在”を奪われる、っていうのがどういう事だか分かるか?」
無言で首を横に振る。だろうな、と短く呟いた硝子さんは紫煙を深く肺に吸い込み、やがて大きく吐き出した。煙草の先だけが仄かに明るく、蛍みたいに綺麗やった。
「簡単に言うと、人間を止めさせられるって事だ。私は自分が何をされたのかも分からないうちに、自分が人間ではない存在にされた事…そして、その力の使い方まで脳に叩き込まれた。誰に教わらなくても手足の動かし方が分かる様に、人間を模したこの姿と…本当の姿とも言える、ヴァリアントの姿…その二つの使い方を、な」
「人間を、模した…?」
倫が呆然と呟く。硝子さんは煙草を指先で軽く叩き、灰を携帯灰皿に入れた。言葉使いや態度からきつい人やとばっかり思ってたけど、どうも間違いやったらしい。粗暴な所は否めへんけど、理論立てた考え方をする冷静な人や。
「そう。イルサイブを貶す訳じゃ無いが、純粋な人間ではない限り、どれだけ人間と同じようなこの姿も、所詮は“人間を模した”だけの事だ。ヴァリアント:グラスムーンとなる際にはエーテルを消費し、それが枯渇すればこの姿になる。イルサイブが人間を取り込んでモノヴァリアントと成ったアルカナと似た様なモノだな。原材料が人間で、それにちょっと細工を加えただけ。イルサイブを魔とする以上、私も人間じゃない。半人半魔…贔屓目に見て、そんな所か」
小さく笑う。灰だけが長く伸びた煙草は携帯灰皿に飲み込まれ、硝子さんはもう一本煙草を取り出す。けれど少し躊躇って、火を点けずにポケットに戻した。
「水流。私は、蜘蛛の狙いをある程度理解出来る。恐らく私をイルサイブに作り変えた時のバグだろう。奴の目指す目標、それが大まかにだが…私の脳にも入っている」
人差し指で米神を叩く。
「奴は今、行方不明になったお前達の先輩…後楽茶名、だったか?彼女を餌に、太宰先生…ダーザインやナインといった、イルサイブを釣ろうとしている。それで何をするか、までは分からんが。しかし何にせよ、あの蜘蛛に挑むのは無謀にも程がある。とっとと逃げろ」
そう言うた硝子さんを、うちは知らず平手で張っていた。
「勝てへんから逃げる、て。それやったら、巽君はどないするんです!巽君、先輩を見捨てるなんて事になったら一生残る傷になるやないですか!」
打たれた頬を押さえながら、硝子さんはくすりと笑った。そして、晴れ晴れとした表情で顔を上げた。
「ああ、お前が京司の友達で良かった。ナインやアルカナみたいに困ってる奴を放っておけないお人好しであるだけじゃなく、お前みたいな友達が作れたんだ。私の育て方もそんなに間違ってたわけじゃない様で、安心した」
ここまで言われて、うちは初めて自分が試されたんや、いう事に気付いた。
「試して悪かったな、水流。だがまあ、これで安心して伝言を頼める」
「伝言、ですか?」
そないな事せぇへんでも、一緒に暮らしてるんやから自分で言うたらええと思うんやけど。けどまあ、何や理由があるに違いあらへん。そうでも無いんやったら、わざわざうちを捕まえて試してまで伝言しようと思わへんやろう。
硝子さんは立ち上がり、携帯灰皿と煙草の箱をジーンズのポケットに仕舞った。
「私が自分で言っても良いんだが、気恥ずかしくてな。悪いが少し、頼まれてくれないか?」
首肯。硝子さんは穏やかに微笑むと、その笑顔のまま物騒な言葉を吐き出した。
「私独りでは、蜘蛛には勝てない。京司だけでも無理だ。だから、私が力を貸してやる、と」
硝子さんは、端から蜘蛛と戦うと決めてたんやろう。
無言で頷く。硝子さんは満足そうに微笑みながら、小さな溜息をついた。
「いやはや、京司には危ない事をさせたくなかったんだがな。あいつと遭遇しかけたイルサイブを殺そうとしてまで頑張ってみたんだが、それも無駄骨だったか。イルサイブには逃げられた上に奴の友達に寄生され、挙句の果てが『力を貸してやる』、だとは。向こう見ずもここに極まれり、といった所か」
巽君の友達に寄生した…?倫の顔を見てみると、首を横に振っていた。どうやらその友達いうのは、うちの事や無いらしい。
「あの、硝子さん。その巽君の友達いうのん、誰です?」
「何だ、知らないのか?まあいい、私が教えなくてもすぐに知る事だろうし…米口、だったか。あいつだぞ?」

「…ってな事が昨日あってんけど、どうなん?」
朝休みの教室、巽君と米口君に尋ねる。巽君はちらっとナインちゃんを見た。
「京司、何でも私に判断を求めるな。知られて困る情報でも無し、祐二とゲシュタルトの事はもっと早く柳に伝えておけば良かったんだ」
呆れ顔で説教するナインちゃん。ナインちゃんは冗談や嘘を言う人やあらへんし、これで、米口君もイルサイブと契約している事は間違いあらへん。ついでに米口君とこにいるイルサイブの名前はゲシュタルトていう事も分かった。
「で、その…水流、硝子さんがグラスムーンとかいうヴァリアントだってのは、本当なのか?」
にわかには信じられへんのか、巽君が尋ねてきた。信じられへんのか、信じたくあれへんのか。その辺の細かい事は聞く必要あらへん。どっちにしろ、うちに出来る事はあらへんのやから。
「うん、硝子さんがグラスムーンなんは間違いあらへん。うちが、この目で確かめたさかい」
「…そう、か」
巽君は小さい声で呟く。けれど、硝子さんがグラスムーンやと知っても思ったより動揺してる様子は無い。何や、昨日見た時から一回り凛々しく成長したような。男子三日会わざれば何とやら、言うやつやろうか。
「しかし、後楽先輩が蜘蛛に捕まってたなんて…くそ!」
砕けそうな勢いで歯噛みし、巽君は壁を殴りつける。クラス中がギョッとしてこっちを見てくる。巽君もさすがにその視線に気付いて、気恥ずかしさを紛らわす為にか乱暴に椅子に腰を下ろす。
彼が今憎んでるんはきっと、先輩をさらって行った蜘蛛本人やあらへん。それを知ってなお何一つ出来へん、彼自身の無力さや。
出会った時から、彼はずっとこうやった。
自分が正しい思うたら、何が何でもその道を突き進もうとした。そしてその過程で、出来るだけ多くの人を救おうとしてた。
やからきっと巽君は、颯爽と現れてピンチを救う、ヒーロー物の特撮番組なんかに出てくる『正義の味方』に憧れたんやろう。それが巽君の、理想の自分やったから。
やからきっと、うちは、巽君と一緒にやったらあの蜘蛛にかて立ち向かえるような気がしたんや。

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