第37話:殺戮―Massacre―

『この街を襲う魔を全て倒せ、ですか…京司、貴方も無茶を言ったものですね』
純白の翼に無数のシェルユニットを纏って無窮の空を舞いながら、黄金のヴァリアントは言葉を漏らした。
『無茶と無謀は承知の上だ。だが、幸いにも私とお前を除いてもシミュラクラム、ジオグラマトン、グラスムーンと三体のヴァリアント、そして埋葬機関の幹部もが掃討に当たっている。無茶な話だが、無理な話ではない』
ナインの言葉に苦笑し、しかしアルカナ…ディゾルブは確かな自信に後押しされて頷いた。私達なら、そんな無茶をも現実にする事が出来る。そう、彼女は確信しているのだ。
ディゾルブ一人だけでは無理だ、だが、そこには剣の向きを揃える仲間がいてくれる。皆がいるから、戦える。
それは彼が愛するこの街を守る為に。自分もいつか、この街を愛せるように。 だから、彼女は無数の敵を前にしても臆する事無く宣言する。
『生来不器用な性質ですので、容赦も手加減も出来ません…それで構わないのであれば、来て下さい。ヴァリアント:ディゾルブが、貴方達の相手となりましょう』
空を埋める数千の怪異。その多くは雑魚と呼んで差し支えの無いレベルではあるが、しかしそれでも数による戦力差は歴然と存在する。
だが、その戦力差を覆す為に…巨大な剣を抱いた天使は、その翼をはためかせた。

「始まったみたいやな、倫。そろそろ、うちらも準備しとこか」
縦横無尽に朝比奈の空を駆ける光を見上げながら、柳は傍らに立つ相棒に語りかけた。
「そうですね。今一度確認しておきますが、今夜我々が担当するのは流留家島と名琴町を結ぶ流留家大橋、そこを進攻する魔の撃退です」
「分かっとる。とにかく、誰も流留家島からこっちへ入れへんかったらえぇんやろ?」
倫は頷き、後ろからそっと柳を抱き寄せた。震えは無い。怯えも無い。支えだけは、ここに在る。倫は確固たる誇りを胸に、教え子を抱いた。
「―――Conception!」
柳の詠唱によって倫の身体はジグソーパズルの様に分解され、それと同時に真紅の輝きが柳を包む。輝きは燃え滾る火炎を彷彿とさせる紅に染まった外骨格となり、ヴァリアントとしての存在を形成する。その腰ではコートの裾のような布状のパーツが風になびき、一見スカートを履いているかの様に流麗な印象を与えた。
『倫、やるからには最後まで、完璧目指して頑張ろか。巽君達に、少しでも楽させたろう?』
『無論です、柳。ここは最終防衛線ではありません。ここは、最前線なのですから』
それは、歯車が噛み合う様に。完璧に息が合った二人は、大地を蹴りながら詠唱する。
『Gadget-3,Firearms-Unit.』
シミュラクラムは、その手に生み出された拳銃の銃把を握った。

『御主人様、右から来ます!』
ゲシュタルトの言葉通り、ジオグラマトンの右から精螻蛄(ショウケラ)と呼ばれる魔が鋭い爪を振るう。とっさにその場から跳び退りながら、蒼いヴァリアントは詠唱を行った。
『Gadget-4,Main gauche-Unit!』
蒼いエーテルが彼の左手に絡み付き、仄暗い輝きを放つ。それは30センチ程度の刃を備えた細身の短剣を形作り、精螻蛄の追撃を受け止めた。
マン・ゴーシュ。それはフランス語で左手を意味する語。そして、楯代わりとなり、時には敵の剣を砕く事さえも視野に入れた、特殊な短剣をも指す語でもある。それは攻撃を決して己に届かせない、左の護剣。
『Gadget-2, Halberd-Unit!』
精螻蛄と左手で鍔迫り合いをしながら、ジオグラマトンは再び詠唱する。マン・ゴーシュと同様に仄暗い輝きを伴って右手に生み出された双竜刀は、鋭く精螻蛄を貫いた。
『グガァッ!』
咽ぶ精螻蛄から両手の刃を引きながら、ジオグラマトンはその無骨な装甲で覆われた右足で前蹴りを見舞う。死神が振るう鎌にも似た軌跡を残して繰り出された爪先は見事に精螻蛄の腹をえぐり、その命を刈り取った。
『御主人様、凄い!ボク、惚れ直しちゃいましたよ!』
メイドの軽口に苦笑で応じながら、主人はマン・ゴーシュと双竜刀をエーテルへ戻した。

「やっぱり、行くんすね」
玄関を出た所で、友人の声に振り返る。そこに立っていたのはやはり、音無空だった。
「ああ。京司と、約束したからな。それに、奴には十四年も貸しを作ったままだからな」
雨宮硝子は儚く笑い、シャツの胸を強く握った。そのままゆっくりと瞼を下ろし、硝子は声高らかに言霊を紡ぐ。
「―――Conception!」
白銀の光が硝子の身を包み、磨き上げられた鏡にも似た眩い輝きを放つ。唯一つ穿たれた瞳に、光が灯った。
『じゃあな、音無。行ってくる』
友に背を向け、グラスムーンは歩き出す。その右手首に、冷たさと温かさが同時に触れた。空の、筋電義手の右腕と生身の左腕が同時に硝子の腕を掴んだのだ。
「硝子さん、私は何も出来ない無力な女っすけど…信じて、待ってるっす。どうか、無事に帰ってきて欲しいっす」
硝子は無言で頷くと、空の肩を軽く叩いた。そして地を蹴り、電柱の上で月を背に陣取った。腕を組んだ彼女は、眼下の友人に応えた。
『当たり前だ、音無。私は死ぬ気なんかさらさら無い。何より、私が死んだら…誰が、京司と二人の妹の面倒をみるんだ?』
空は微笑み、硝子は夜の空へとその身を躍らせた。
夜空に浮かぶ本当の月は黙したまま、地を駆ける硝子の月を照らしている。

「…予定よりも早く寄って来たみたいね。まあ、寄って来た魔も阿呆じゃないし、日の出ている時間から人間を襲う事も無いでしょう。夜が明ければ一時休戦、といった所かしら」
ホテルの窓から朝比奈の町を眺めつつ、蜘蛛は呟いた。足下には数日前に彼女が誓約を交わした海浜公園が広がり、その先では今も彼女の娘達が、それぞれの戦いを繰り広げている。本来は巽京司、そしてナインとの会談を他のヴァリアントや埋葬機関によって邪魔をされないように、と呼び寄せた魔と。
「…巽さん達が、戦っているのでしょうか」
傍らから問いかける後楽茶名に、アトラク=ナクアは微笑みながら、歌うように告げた。
「そう。彼は。彼女は。今、この瞬間にも、誰かと戦っている。そして、来る。それは、貴女を救う為に。それは、自分を護る為に」
それは、祈りを込めた歌だった。願いを託す歌だった。恋歌にも似ていた。凱歌にも似ていた。賛歌にも似ていた。哀歌にも似ていた。弔歌にも似ていた。
あるいは――――御伽噺だった。
茶名にとってその言葉は残酷な呪詛に等しく、しかし、彼女はそれを甘んじて受け入れる。何故なら、彼女は人類を裏切った身なのだから。

「京司、覚悟は出来ているだろうな?」
今まで来た過去を振り返りながら、少女は問う。
今から往く未来を見据えながら、少年は応えた。
「ナイン、それは今更確認する事か?」
二人は揃って不敵に笑うと、手を取り合った。そして、少年と少女の声は重なり合う。
「―――Conception!」

其れは祝福。其れは呪縛。
結ばれるまま、溶け合うままに、享受と拒絶を撃ち砕く。
其れは光。染め抜き揺るがし惑わし、巡り来る正義と恐怖。
其れは闇。染まらず揺るがず迷わず、巡り往く邪悪と勇気。
世界をゆるりと蝕み、決意とともに涙は消える。
其れは、幼き日の英雄譚。
憎しみは苦く我等を苛む。愛は甘く我等を蝕む。
そして、出来損ないの正義の味方が誕生した。

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