第41話:喪失―Eclipse―

『……エクリプスになれなくなる程度なら、我慢できる。自分がヒーローじゃなくなるってのは残念だけど、祐二も水流もアルカナもいるんだ。俺一人リタイアしたって、きっと誰かがこの町を守ってくれるさ』
『……そうか、そうだな。なら行くぞ、京司』
呆れたようなナインの声が頼もしい。俺とナインは最後の詠唱を口にした。その結果どうなるのかなんて、わざわざ聞く必要はない。ナインがこれでしか勝てないと判断したのなら、俺は彼女に従うだけだ。元より俺は勝つためにここに来た。この期に及んで躊躇う理由など、何も無い。 『Gadget-4、Nein-Unit!』
鳩尾のエーテルコアが軋むような音を立て、黒い光が溢れ出す。全てを焼き尽くすような熱が身体の芯から生まれ、血管に焼けた鉄を流し込むような苦痛とともに全身へ広がっていった。エクリプスの装甲が歪み、捻じれ、姿を変えていく。一回り大型化した装甲に包まれた両腕はTalon-Unitを装備した時よりも鋭い爪を備え、前腕部は大型の鉈の刃じみた武骨で暴力的な形に研ぎ澄まされた。鋭角化した装甲に包まれた両脚、その爪先からはナイフにも似た鋭い切っ先が持ち上がる。背中にはわずかな重み。直感的に、周囲のエーテルを取り込んで噴出するブースターだと理解した。そして脈動するエーテルコアを中心に、装甲が変色を始めた。黒い部分はそのままに、白かった部分が赤黒く渇いた血液にも似た色に染まっていく。両肩から噴出されたエーテルが編まれ、作り出されたのは真紅のマフラー。溢れ出る力の奔流に耐えきれず、俺は天を仰いで言葉にならない声を張り上げた。
『――――――――――――――――――――――――――ッ!』

そしてここに、第二の変身が完了する。
――ここで倒れても良いのか?
――Nein。
――果たすべき思いがあるか?
――Ja。
ただこれだけの、シンプルな決断。その決意が、ヴァリアント:エクリプスという存在を昇華させる。今までは目的もなく蠢いていたエネルギーが、一点に集中する。ただ眼前の敵を屠るという、この上なく単純な解を導くために。それは、蝋燭が燃え尽きる直前に見せる最大の煌めき。この一戦に全てを賭けるべく、エクリプスは自らの枷を破壊する。圧縮されたエーテルが逃げ場を求めて荒れ狂い、屋上のコンクリートを打ち砕くほどの暴風となってその誕生を祝福した。
Variant::Eclipse-Blaze。
それが、最後の戦いに臨む漆黒の戦士の名だった。

踏み出す足が軽い。装甲が大型化した以上、全体の重量は増えている筈だ。それなのに驚くほどに身体が軽いのは、重量の増加を補って余りあるエネルギーの増加のせいだろう。屋上を蹴りつけ、足の裏の砕けたコンクリートの感触が消えないうちに蜘蛛の眼前まで移動する。顔面を殴りつけようかと思ったが、この爪では拳は作れないだろう。思い切って爪を立て、蜘蛛の両肩を掴んだ。そのまま首を後ろにそらし、額を叩きつける。肩の手を外すと同時に右膝を曲げて後ろに運び、体を反転させながら爪先を捻じ込むように蹴りを放つ。後退した俺と吹き飛んだ蜘蛛との間に生じたわずかな距離。踏み下ろした右脚を起点にさらに反転。姿勢を低く保って駆け寄り、その勢いのままに肘の棘と肩の装甲を前面に立ててぶつかった。
ナインに教わらなくても、新しい戦い方が直感的に理解できる。基本はエクリプスと同じ、純然たる速度特化型。装甲の突起を速度と組み合わせることで武器とし、鋭角化した事で敵の攻撃の直撃を避けて受け流す盾ともなる。弓をメインガジェットとしたエクリプスと異なり、背中のブースターを利用する徹底したインファイトを前提にチューニングされたヴァリアントだ。単純で分かりやすい、我儘を通すだけの俺に相応しい極端にシンプルな戦い方じゃないか。
左腕を引き、弧を描くように叩きつける。蜘蛛は剣の腹でガードするが、それは拍子抜けするほどあっさり砕けた。小さく舌打ちした蜘蛛は剣を手放し、地面を転がるように移動しながら素早く火球を放つ。牽制のための魔術だろうが、それでも十分な威力を持っている事は容易に分かる。何発かは回避、何発かは防御しながら距離を詰め、右の貫手を放つ。胸元に当たりはしたが、浅い。千切れたスーツの破片が風に舞う中、蜘蛛は大きく後ろに跳んで距離を取った。蜘蛛は魔術が使える分、距離を保たれれば圧倒的にこっちが不利だ。すぐにでも距離を詰めるべきだが、連続した攻防で無茶な体勢になっている。たった数秒でも、呼吸を整えて姿勢を戻す時間が必要だった。
「なぁんだ、やれば出来るんじゃない」
その顔に浮かんでいたのは、慈愛に満ちた表情だった。安堵と期待の入り混じる、掛け値なしの賛辞。ナインが自分の思い通りの道具に育った事を喜んでいるだけの物だったとしても、何より倒すべき相手からの物だったとしても、少しだけ嬉しかった。
蜘蛛はその優しい表情を崩さないままに乱れた髪を手櫛で整え、ボロボロになった赤いネクタイを外す。引き裂かれたスーツの間からそれなりに豊かな胸元が露わになるが、心は少しも揺れなかった。
「まったくもう、また一張羅が台無しじゃない。少しは手加減してくれって言いたい所だけど、本気で来いって言ったのはあたしだしね」
千切れたネクタイを投げ捨てた右手を、彼女はそのまま前に突き出す。黒い靄がその右手に纏わりつき、それが晴れた時には蜘蛛の右手は毒々しい黒と黄色で彩られていた。右腕だけでも人間の姿を止めたという事は、多少なりとも本気にさせる事が出来たのだろうか。そうだとすればいくらか誇らしい所ではあるが、細かい事を考えている時間は無い。ナインはあえて口にしないでいるようだが、いつまでもエクリプス・ブレイズの力が続くわけがない事くらい理解できる。せいぜい数時間、事によれば数分。どうあれゆっくり戦う気は無いし、俺にあっても向こうがそれを許さないだろう。わずかに腰を落とし、両腕から無駄な力を抜く。俺が地面を蹴ると同時に、蜘蛛もまた真っ直ぐに向かってきた。
下から掬い上げるように振るわれた蜘蛛の右腕を左腕で振り払い、空いた胸元を右腕で狙う。忽然と目の前から姿を消した蜘蛛が俺の左腕を中心に回転し背後に回ったのだと気づいた時には、既に鋭い回し蹴りが背中に届いていた。崩れそうになる体を右腕一本で支え、こちらも地を這うような低い蹴りで応じる。無茶な体勢で放った蹴りは届かず、蜘蛛は火球を放って俺の動きを制限しつつ接近。叩き付けるように振るった右腕はわずかに蜘蛛の腋を撫でるに止まり、彼女はすれ違いざま、右手一本で俺の顔を掴んだ。
「ちょっと痛いから、気を付けてね……っと!」
振りほどく間も無く足が浮く。どうにか拘束から逃れようと両腕で蜘蛛の腕をつかむが、彼女はそれを意に介さず振りかぶった右手を容赦なく地面に叩き付けた。後頭部に強い衝撃。意識が飛びそうになるが何とか堪え、ブースターも使って横に回転する。耳元を掠めて何かが高速で通過し、空を裂いた。回転の勢いで起き上がると、先ほどまで俺の頭が埋まっていた場所に、蜘蛛が左足を突き刺してこちらを眺めている。直撃していたらそこで終わっていただろう強烈な踵落としが屋上のコンクリートを穿っていた。数秒前に整えたはずの息がもう上がっている。蜘蛛が足を屋上から引き抜くまでの時間で呼吸を整えるべく、俺は慎重に距離をとった。
『現在の装甲破損率は19.8%、毎秒1.3%前後でのオートリカバリ正常動作を確認。損傷軽微、戦闘続行可能……仮に不可能だったとしても撤退しないのだろうが、な』
ナインが囁く。当たり前だ、と短く答えてから俺は一つの疑問を口にした。
『なあナイン、やっぱり背中のこれ、ブースターなんだよな』
『先ほども使ったくせに、わざわざ確認する馬鹿があるか……一応解説しておくと、ジオグラマトンとの交戦データから奴の装備を模倣して制作したブースターだ。持続力は無いが、瞬間的な加速力では圧倒的にこちらが上だ』
呆れ声ながらも律儀に答えてくれる。その優しさを頼もしく思いつつ、次の疑問を投げた。
『じゃあ聞くが……こいつ、飛べるのか?』
『ディゾルブのウイングユニットのデータもある程度参照している。自由な飛行はほぼ不可能だが、空中での方向転換、加速程度には使用可能だ』
『オーケー、分かった。具合は戦いながら確かめていく』
隙を見せないように気を張りながら、深呼吸を一つ。一撃の威力で圧倒的に劣り、速度でも拮抗している程度。ならば連続した攻防では分が悪い。一撃で、全力で、防御を無意味に変える、そんな方法に頼るしかない。
『行くぜ、ナイン……全力全開で、ケリをつける!』

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