第参章:2 『4−3=?(2)』
1999/6/30
山田ざくろの視点から見えるモノ
嬉しさのあまり、一睡も出来なかった私は、真夜中から明け方までずっと、時を数えていた。そして、空が白み始め…田中加奈子の居ない、最初の夜が明けた。
私を脅かす最大の要因が消えた、少しはましに改変された世界が、やっと来た。田中が居なかろうと、それでも世界は昨日と変わらず順調に廻り、嬉しい事に、また、哀しい事に、今日も変わらぬ朝の訪れを告げ知らせた。
所詮田中も、世界から見ればほんのちっぽけな歯車の一つに過ぎなかった、という事だろう。同時に、私の最大の敵もその程度だったという事だ。嬉しさと哀しさの入り混じる、矛盾した感情の群れが私を苛む。けれど、今日からは少し違った世界が開けるはずだ…
マンションの4階、道路に面した西向きの部屋。
朝日の漏れる、カーテンを開く。ベランダには、見慣れた町の風景…と、赤マントが在った。何時からベランダに居たのかは知らないが、彼と私の関係が近所の噂になる前に、私は彼を部屋に引きずり込んだ。
「おはよう、ざくろ。どうだ、朝の気分は」
「それなりに。朝から余計な心配したから、良くは無い。…悪くも無いかな」
彼はニヤ、と口の端だけ吊り上げると、悪くないなら良い事だ、と笑った。
「にしても、飾りっけの無い部屋だな、ざくろ。お前も女だろ?」
ほとんど男女差別ぎりぎりの発言をするメギド。最近流行のセクシャル(性的)…パラサイト(寄生)?パラダイム(対応策)?いや、違った気も…ああ、ハラスメント(嫌がらせ)だったかな。とにかく、それにも近い気がする。
「なぁ、ざくろ。人の趣味にケチ付ける気は無いけどよ。女なら縫いぐるみの一つや二つ、在ってもおかしくないんじゃ無いか?」
メギドは能天気にセクハラ(確か、そういう略語があった。)を繰り返す。私は段々、彼に対してむず痒い苛立ちを覚えてきていた。憎いのではない。嫌うのでもない。それなのに、彼のつまらない挙動の一挙手一投足までもが気になるのは、何故なのだろうか。
「私、縫いぐるみとか好きじゃないから。多分、邪さん…当然、魔夜さんの事だけど…もそうでしょう?」
私の返事に、メギドは口をつぐむ。彼は難しい顔で黙りこくって、冷や汗を一筋垂らしていた。何か嫌な思い出でも在るのだろう。冷や汗が二筋、三筋と増えていく。
「…あれは…趣味が特殊でな…」
言いたくなさそうだ。私は、あえて聞かない事にした。彼は私の事を何も訊かない。私の事など全て、既に知り尽くしているからかも知れないが…彼が私の事を訊かないならば、私も彼らについては訊かないでおこう。そう、思った。
「さて、と。俺がここに来た用件は、まだ言ってなかったよな」
「…何か、あったの?」
彼の少し真面目な口ぶりに、身を正す。まだ夜は明けたばかり、学校に行くにも時間はあるし、両親もまだ起きては来ない。彼と話をするくらいの時間は、余裕を持って捻出できるだろう。
「簡単に言うぞ、ざくろ。お前が田中加奈子に脅されていた理由は、あの…つまり…そう、お前の写った写真とネガやらの所為だった訳だ。ここまでは良いよな?」
私の裸を写した写真、とでも言えば良いのに。この程度の事で照れるとは、彼らしくも無い。私はとりあえず、彼の話に相槌を打った。
「で、奴を殺った後、それらの回収もしてやろうかと思ったんだが」
何、アフターケアだ。俺の勝手でやった事だし、心配しなくて良い。
しかし、彼はそういった後、一瞬口をつぐんだ。
「写真はあったが…ネガが、無くてな」
ほれ、と封筒を投げる。私はそれを拾い、ざっと中のものに目を通した。私の写った写真が数葉入っている。しかし、そこにはネガは欠片も無かった。
「…嘘…」
「残念だが、ざくろ。これは現実だ。対応策を考えろ。答えが無い、なんて事は無いんだ。謎は存在しない。問いが立てられうるのであれば、答えもまた与えられうる」
メギドはそう言い、私の顔を正面から見据える。灰色の瞳は、何故か、深い慈愛を宿している様にも見えた。私は、震える声で、彼に問う。
「ネガを持っていそうな人の、心当たりは?」
「あるか、そんな物。あるなら心配ないだろうが」
即答された。
だが、『誰か』が、ネガを持っている事は確実。そのネガがある限り、私に安寧の日が訪れない事も。私は絶望した。田中加奈子、奴だけ死ねば全て終わると思ったのに。それなのに、死してなお奴は私を苦しめる。最低だ、こんな世界。
「………世界なんて、終わってしまえば良いのに」
「…なら、終わらせてみようか?俺としては、その方が手っ取り早い」
メギドが応える。私は、初めて自分から彼の目を見た。それは案外、澄んだ目で。私は、彼に心を奪われた。私の抱く感情は、愛情や信頼とは程遠い感情なのかもしれない。けれど、それがどんなに邪悪な感情でも、私とメギドを繋ぐ絆だというのなら……それを、失いたく無かった。きっと、恋は盲目だから。きっと、私は彼が好きだから。
だから、彼の望む様にしよう。彼は私の言葉を待っているに違いない。
そう、ただ、
「この世界を、終わらせて」
この、言葉を。
メギドは無言で頷いた。彼はやはり無言のまま立ち上がり、ベランダへと向かう。柵の上に立ち、彼は振り返って言った。
「了承した。第二の願いは、『世界の破壊』で良いんだな?」
私は頷く。彼は視線を前に戻すと、ひょい、と―――邪魔な水溜りを避けるかの様なステップで、そこから地面へ飛び降りた。
「メギド!?」
慌ててベランダに出た私に、彼は地面から右手を振った。赤いマントが風に揺れ、それはまるで、御伽噺に登場する騎士の後姿の様だとすら思えた。
彼の人間離れした運動能力にはもう驚かないが、それでも…田中が屋上から『飛び降りた』後では意味が違う。私は、彼の無事な姿にそっと胸を撫で下ろした。
「心配させたか、ざくろ。悪かったな」
メギドはそう言うと、朝日に向かって颯爽と歩き出す。
最後に、彼は一瞬だけ振り向いて言った。
「ざくろ、今夜十二時、七月になった瞬間に―――」
世界を、終わらせる。
彼はもう二度と振り向かず、朝の町へと消えていった。最後の言葉を、胸に刻む。<世界は、終わる。今夜十二時。この世界は、終わる。
逆光で見えなかった、彼の最後の表情。
私にはそれが、哀れみのそれだったかの様に思えた。
続劇 > 『4−3=?(3)』
今回のBGM ドヴォルザーグ作曲『シルエット』
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