第参章:6 『4−3=?(6)』
1999/6/30
山田ざくろの視点から見えるモノ
メギドを見送って後、私は親が起きて来るのを待って部屋を出る事にした。
いつもより早く起きて親に何か探られるよりは、寝坊とでも勘違いされて怒られるほうがマシだから。そう思いながら寝巻きを脱ぎ、制服の袖に腕を通す。ワイシャツとネクタイ、膝上までのスカート。何処にでも在りそうな、平凡な制服。私も平凡な人生が送れたなら、どんなに良かった事だろう。優しい恋人、気のいい友人。理解ある親の待つ家庭の、幸せな温もり。私にも、その様な選択肢は用意されていたのだろうか。それを、私が選べなかっただけで。
自室を出て、居間に向かう。母親が用意している珈琲のドリップ音と、独特の香りが煩わしい。私自身は紅茶派なのでそう思うのであって、珈琲派は逆に紅茶の匂いが嫌だと思うのかもしれない。食卓に着くと、目玉焼きとベーコンが置いてあった。
「ざくろ、トーストが焼けているわ。早く食べて、学校に行きなさい。父さんももう会社に行ったんだから」
珈琲をマグカップに注ぎながら、娘の顔を見ようともせずに言う母。
「……はい、母さん」
それに、無機質に答える娘。私は食卓の真中にあるトースターに手を伸ばし、中からトーストを抜き出した。
必要最低限の会話しか交わさない、冷めた親子関係。昔はそれなりに会話もあったような気もするが、なにぶん昔の記憶だ。私自身に都合良く改竄して記憶していないとも限らない。それに、どうせ世界は終わるのだから、今更親と仲良くしたって何の意味も無い。
私はいただきます、とだけ言うとトーストにかぶりつく。いつもの朝と変わらない、日常が染み込んだ味がした。
少し早めに学校に行くと、教室の電灯は灯されていなかった。しかし、彼女の机には一輪の花が飾られていた。誰がした事かは知らないけれど、『原因不明の自殺』をしたクラスメイトに供えられた花にしては、余りに地味すぎる様にも見える。その真相が、他殺だとするなら尚更だ。私は、ほんの少しだけ微笑んだ。
「へぇ、山田さんはそういう時に笑うんですね」
くす、と喉だけで笑う様な声。私は振り返りもせず、答えた。
「ええ、そうね。嫌いな人間が死んだら、大抵は喜ぶと思うけど?」
「まあ、そうかも知れませんね。もっとも、喜ぶと笑うは別の概念ですけど。まぁ、どちらにしろ私には関係無いですし、理解できない事柄なんですが」
視界の端に彼女を捕らえると、邪さんは鞄を机の上に置き、私に向かって微笑んだ。彼女の微笑みを見る度に、その人形じみた、どこか違和感のある美しさに気味が悪くなる。輝きの無い灰色の目が、私にそう思わせる原因なのだとは思うが。
そんな冷ややかな私の視線には露ほども気付かない様子で、邪さんはポン、と手を打って話し始めた。
「ああ、山田さん。うっかり言い忘れる所でしたが、忠告です。火狩さんが何か感付いたみたいですよ?恐らく、山田さんの所に辿り着くのも時間の問題かと。昨日少し話した限りでは、なかなか聡明な方のようですしね」
火狩が…?
一瞬不安がよぎるが、私はその不安を嘲笑った。今夜十二時、世界が終わる。そんな時に、何を恐れる事がある?仮に火狩が私に到達したとしても、結局、世界が終わるのと同時に火狩も終わるのだから。
だが、そこで私は思考する。
世界は、終わる。それは最早変わりようも無い、決定事項。だが、その滅びるべき世界には私も含まれるのだ。この世界と心中する?冗談ではない。私を無視し、蔑んできたこの世界に、何故私が付き合ってやらねばならないのか。世界は死ねば良い。だが、世界無くして私は生きていけない。私が出すべき答えは明白。
決めた。
世界が壊れる様を見ながら、自分の生に終止符を打とう、と。
「…山田さん?」
邪さんが心配そうな声を出す。私は、ともすれば震えそうになる声をしっかりと繋ぎとめながら、彼女を見据えた。教室にはただ二人、私と彼女しかいないことを確認してから、ゆっくりと、ただ確実に言葉を紡ぎ、宣言した。
「邪さん。私…今日、死ぬわ」
邪さんは目を伏せ、沈痛な面持ちで答える。
「……そう、ですか」
彼女はじっと床を見つめたまま、ゆっくりと微笑む。そして、しばらく躊躇う様な間をおいてから、言った。
「それが山田さんの決めた事なら、私達は契約者として、それの実現に向けて努力するだけです。それがどのような結果であれども、山田さんの願いを叶える、そう約束しましたから」
何か引っかかる物言い。しかし、気にしない。世界はどうせ終わるのに、細かい事を気にする必要なんて無い。
「でも、ですよ」
邪さんは、少しだけ強い口調になった。彼女がその様な口の利き方をするのは初めてなので、私は気になって、彼女に向き直った。
「一つ、訊きます。学校に来れば、素敵な恋人、信頼できる友達がいて、楽しく学生として生活する。家に帰れば立派なお父さんとお母さんが待っていて、今日の出来事なんて語らいながら、家族団欒。その後お風呂に入ってさっぱりしたら、暖かなベッドで眠って、また学校に行く。そんな事、実現出来ると思いますか?」
「……興味無い」
憧れてはいたけれど、決して実現しない生活。決して現実にはなりえない、哀しい夢。嫌な事を問う彼女から視線を逸らし、吐き棄てるように言い放つ。けれど、彼女は執拗に食い下がってきた。
「嘘、ですね。でも、山田さんには感謝しているんですよ?その様な願いをされては、我々はそれの実現に向けて、粉骨砕身努力しなければならないんですから」
そんな、吐き気がする。
邪さんは心の底からきっぱりと、私の憧れを否定した。私がどう足掻いても手に入れられなかった目標を、至極あっさりと、不要だと言い切った。少し腹が立ち、私は彼女を睨みつける。
「邪さん、私も訊くけれど…貴女は、そういう生活に憧れた事は無いの?」
「ええ、ありませんよ。だってそんな生活、気が狂いそうですから」
とてつもなく透明な笑みで言う邪さん。私は彼女の真意を問いただしたかったが、教室に人が入ってきたので断念せざるを得なかった。腕に巻きつけた時計を見ると、もうすぐ八時になろうかとしている所だった。
―――世界の終わりまで、約十六時間。
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今回のBGM シューベルト作曲『死と乙女』
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