第四章:5 『4−4=?(5)』
1999/7/1
火狩アイの視点から見えるモノ

赤マント、邪の兄の能力。それは、用途の限定された空想具現化、マーブル・ファンタズム。物語によって語られる事象を、そのまま現実に創造する能力。事象、というのはイベントだけじゃない。存在すらも事象として認識するのが、あの赤マントの強みだった。『赤か白かを選ばせ、その通りにする』という事に『赤マント』の都市伝説を圧縮し、それを自らが纏う事によってあの邪の兄は、赤マントの怪人になったと聞いた。
だから、それを邪から聞いたときに考えた。この邪を倒すためには、それ以上の存在に、赤マントの能力を使って変貌すれば良いのではないか、と。そうして得た結論が、自分の口を大きく切り裂く事だった。

「……よくやった、火狩」
赤マントがぽつりと言う。私は何も答えず、邪の方を見ていた。
「火狩、口裂け女になったお前の能力は二つだ。まず、『限定物質の投影』。何時でも何処でも、鎌とマスク、赤いコートが作り出せる。次に―――」
私は説明を最後まで聞かず、邪の方に走った。先程までの二人の会話から、邪魔夜が諸悪の根源だと判断したからだ。私はさっきの赤マントの説明から、鎌とコートを作り出す。マスクは…まあ、いらないか。

一瞬で邪との間を詰める。
一瞬で邪のガードを崩す。
一瞬で邪を深く切り裂く。

一瞬で邪を…………いつか見た幻影のように、綺麗に解体し尽くした。
悲鳴を上げる暇さえ与えず、刺し、斬り、通し、走らせ、原形を留めないまでに切断して、血飛沫を浴びた。

「それが二つ目の能力、『俊足』だ」
RPGで言うなら相手の速度と回避率の値を無視して攻撃する、と言ったところか。赤マントはそう言って、にやりと笑った。
「もう分かっただろう、ないあるらとほてっぷ。お前はもう、火狩には勝てない。大人しく、この世界から消滅しろ」
彼がそう言った瞬間、切り殺したはずの邪がくすくすと笑い始めた。忍び笑いは爆笑になり、爆笑は嘲笑に変わった。
『分かってないですね、兄さん。私の狙いは達成されたんですよ?確かに私はもう、この世界にはいられない。けれど、火狩アイは今や口裂け女。完全にこちら側の存在になった。もう、「波動関数の観測」は出来ないんです。あれはこちら側ではないものにのみ与えられた特権。そして火狩さんは、向こうには帰れません。火狩さんにもそう伝えましたしね』

「波動関数の観測」。
昼に邪が教えてくれたことだが、私には特殊な能力があったらしい。普通の人間―――つまり山田や菅原、死んだ田中とかだ―――は、人生を流されるしかないらしい。選択肢を選んだ気になっても、それは「そういう選択肢を選んだ可能性」に存在しているからそうなっただけであって、別の可能性に移動しているわけではない。ただ、ごく稀に「波動関数の観測」を行える、選択肢を選び、可能性を移動する事が出来る存在が生まれることがある。それが私、なんだそうだ。だが、私は私が口裂け女として存在する可能性に、『私が「波動関数の観測」を行えない可能性』を赤マントによって具現化させた。だから、邪の狙い、『「波動関数の観測」を行えるものを消す』は達成された。結果として両者痛みわけ、いや、むしろ向こうに軍配が上がるかもしれない。

「しくじったな…ないあるらとほてっぷ、お前の勝ちだ。俺の負けでいいから、とっとと失せろ」
『兄さんに言われなくても、消えますよ』
そうして私に殺された邪は。
嘲りに似た雑音だけを残し。
かさぶたを剥がすかの様に。
悪い夢から醒めるかの様に。
灰になり、空に舞い散った。

「さて、と」
赤マントはようやく聞こえ始めた救急車のサイレンをBGMに、私に話し掛けた。
「火狩、お前、人間に戻りたいか?」
私はしばし悩み、首肯する。どうせ戻る方法は無い、強がっても仕方が無いではないか。だから私は、弱音を吐いた。人間に戻りたい、と。口裂け女をやめたい、と。
菅原と一緒の世界で生きたい、と。
「じゃあ、ざくろ…山田ざくろに伝えてくれ。赤マントは第三の願いはまだ聞いていない、ってな」
「え…?」
呆然とする私に、赤マントは悪戯っぽい笑みを向けた。
「俺は用途を限定された願望機だ。ただし、契約を履行するためならばその枷は外れる。簡単に言うと、契約者、今回は山田だな、の願いは絶対に叶える事が出来るんだよ」
つまり、私は山田がそう願うのならば人間に戻れると言う事か。ならば、結果として邪には勝ったのではないか?そう告げると、赤マントはああ、と簡単に頷いた。
「あれでも俺の妹、厳密に言えば妹に寄生したないあるらとほてっぷなんだが―――なんでな、最後にはいい夢を見させてやるのが情ってもんだろう?」
そして彼は、私の頭を優しく撫でた。
「火狩、よくがんばった」
「子供じゃないんだから、やめてよ」
私はそう言ってその手を払い除けるが、そう悪い気分はしなかった。

そして、1999年7月の朝日が昇るまで、私は学校の屋上に佇んでいた。

続劇 >  『終章』


今回のBGM ベートーベン作曲『エリーゼのために』
→『4−4=?(4)』

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