終章 『4−?=?』
1999/7/3
そして、山田ざくろの視点から見えるモノ

はじめに見えたものは天井。曇り無く真っ白な、目が痛くなりそうな程に綺麗な天井。恐らく、ここは病院なのだろう。それ特有の薬品臭さが漂っていた。

「目、醒めた?」

声が聞こえるが、誰の声なのかは判別できない。脳が完全に覚醒していないのか、発音が不明瞭に感じる。喋る口調から火狩だろうか、とは思うのだが、確信はもてない。ともすれば途切れがちになる意識を総動員し、私は声のする方を見た。
「一応聞くけど、私が誰か分かる?自分の名前と一緒に言ってごらん」
火狩が少しおどけた口調で言う。風邪でも引いたのか、大きなマスクをつけていた。道理で言葉が聞き取りにくいはずだ。私は火狩にからかわれている様な気がして、正直愉快ではなかったが、質問に答えてやった。
「私は山田ざくろ。貴方は火狩アイ。私が屋上から飛び降りた後、何があったの?」
覚えているか、良かった。などと呟いてから、火狩はその後の出来事を掻い摘んで説明してくれた。ないあるらとほてっぷ。赤マント。口裂け女。そして、邪メギドと邪魔夜。
「で、あんたは病院に運ばれたけど意識不明で、丸三日ほど昏睡状態だったわけ。お医者は脳に異常は無いって言ってたから、身体の怪我さえ治れば退院できるってさ。あ、親御さんは今お医者と話してるから、そのうち来ると思う」
その後火狩は私の怪我について手元のメモ――恐らくカルテでも盗み見たんだろう――を繰りながら、可能な限り分かりやすく、かつ詳しく教えてくれた。筋断裂や骨折が多いのは仕方ないとして、内臓系統のダメージが折れた肋骨が突き刺さって使い物にならなくなった、右肺の摘出だけで済んだのは幸運だった。
「じゃ、私は親御さん呼んでから帰る。またね、山田」
そう言い残して立ち去ろうとする火狩の背中に、私は言葉を投げかけた。
「火狩。人間に戻らなくて、良いの?」
火狩は苦笑しながら振り向くと、言った。
「私を見くびるなよ、山田。あんた自身が考えた結果、私を人間に戻したいと願うのならそうすれば良い。けど、あんたは何も責任とかを感じる必要は無いって事だけは言っておく。好きで首を突っ込んだんだし、自分の尻拭いは自分自身でする」
それにある意味、この件で私が手に入れたものもあったんだから、と火狩は少し顔を赤く染めながら言った。火狩が言う、『手に入れたもの』というのが菅原の事だ、と気づくのに、そう時間はかからなかった。
「幸せね、火狩も」
そう言うと、火狩は照れくさそうに笑ってから病室を出て行った。火狩の足音が遠ざかると、私の病室はしんと静まりかえった。音がしない、という唯それだけの事が、これほど怖いものだとは思わなかった。幼子が夜の闇を恐れるように、私は静寂を恐れていた。

「馬鹿野郎。契約を持ちかけた俺が言うのもなんだが、怖いなら怖いって言えば良かったんだ。お前に口が付いてるのは、物食う為だけじゃ無いんだぞ?」
私の心でも読めるのか、いや、彼ならそれが出来ても不思議ではないが、メギドがすぐ横に立って私を諭す。相変わらず、夏も近いというのに赤マントを着込んでいる。
「で、ざくろ。火狩はああ言ってたが、実際お前はどうするんだ?」
メギドは壁に立て掛けられていたパイプ椅子を器用に片手で展開すると、その上に腰を降ろした。深く腰掛け、腕を組んでこちらを眺める。彼は何も言わなかったが、その態度が第三の願いを要求していた。私はしばらく考えていたが、一つの答えに到達した。
「メギド、第三の願いを言うわ」
「…そうか。で、その願いは何なんだ?」
彼は退屈そうにそう言って、私に続きを促した。
私は少し躊躇しないでもなかったが、結局、第三の願いを口にした。
「…全て、無かった事にできない?」
「難しい注文だな、ざくろ。俺にだって死者の蘇生はさすがに無理があるから、田中加奈子を殺した事を無かった事には出来ない。お前が『世界を終わらせる』と願った事や、火狩の口裂け女化を無かった事に、は出来るが。まあいい、俺に出来うる限りで、全部無かった事にしてやるよ」
そう言ってメギドは立ち上がると、パイプ椅子を畳んで元の位置に戻した。壁と椅子の触れ合う冷たい音が、私とメギドの別れを告げた。
「じゃあな、山田ざくろ」
「さようなら、邪メギド」



そして、私は、眠りに落ちた。
その先に待つのは幸せな幻想ではなく、苦痛に満ちた現実である事を知りながら。

ある一つの結末
もう一つの結末


今回のBGM:パッヘルベル作曲『カノン』
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