第一章:2

朝食も終え、一正は学校に行く準備をする。教科書などは前の学校と一緒のものだと確認済みなので、気楽なものだ。筆箱や下敷きなども、ちゃんと揃っている。
「清美、そろそろ行こう。今日は早めに出ないと、初日から遅刻するなんて羽目になりかねないし」
「うん、そうだね。通学路はまだちゃんと見てないもんね」
そして、二人が学校に向かおうとしたその時。
「あれ、イッセー?久しぶり、元気?」
少女の声。雪歌の声が透き通る青なら、彼女の声は朗らかな橙色だ。肩までのセミロングに、茶色に近い髪色。吊り目気味の眼は、親愛の情をこめて光永兄妹を見ていた。
「…フユコか?」
一正が問い掛けると、フユコは、あははと笑って彼の肩を叩いた。
「覚えててくれたんだね、イッセー。風間冬子は嬉しいぞ!」
冬子は、心の底から嬉しそうに言った。
「多分、ハフリもアリスも学校で会えるよ。あと、雪歌にもね」
そう続ける冬子に、一正は応えた。
「ああ、雪歌にはもう会った。朝、一緒に散歩したんだ」
一正の返事に、目を丸くする冬子。彼女は少し悔しそうに呟いた。
「雪歌、イッセーが帰ってくるって聞いて嬉しそうにしてたからなあ…」
それは意外。先ほどのクールな印象とは異なる情報だ。驚く一正をからかう様に、清美は彼を見て微笑した。
「良いね、お兄ちゃんモテモテで。本命は誰?雪歌さん?冬子さん?」
赤面する一正。何故か、ついでに冬子も赤面、
「バカ、何言ってんだよ清美!」
「何言ってるの、清美ちゃん!」
声が揃った二人は顔を見合わせ、結果として清美にくすくすと笑われるのであった。

常世高等学校雪歌町分校。
清美も一正も、冬子に連れられて二年生の教室に向かう。木造二階建て、ほぼ廃屋。
多分この町全ての人間に尋ねても、一人たりともここが田舎である事は否定しないな。そんな失礼な事を思う一正だったが、実は本当にそうだったりする。この学校も、生徒四人だし。今日からは六人になるが、廃校にならないのはほとんど奇跡、人知の及ばざる神の領域である。生徒より教師の方が多い学校なんて、ここ以外のどこに在るんだ。
「あ、来た来た!ハフリ、冬ちゃんとイッセー君と清美ちゃん来たよ!」
「見れば分かりますよ、アリスさん。そんなに騒いだら、また先生に叱られますよ?」
騒がしいアリスと大人しいハフリ。正反対の性格だが、彼女達は一正の記憶の中から何も変わらず、一緒につるんでいた。
「お久しぶりです、一正さん。私達の名前、まだ覚えてますか?」
「ああ。嵯峨山祝と塩野義ありす、だろ?」
即答する。英日ハーフのありすはともかく、祝なんて結構珍しい名前だろう。簡単に忘れるはずが無い。名字も変わっているが、そちらはオマケみたいなものだった。
「イッセー君、よく覚えてたね。あたしなんて、雪ちゃんに言われるまでイッセー君の事忘れてたよ」
ありすは目を細め、えへへー、とかいう効果音がぴったりの笑顔を見せる。
「ありす、自分の物覚えの悪さを時間のせいにしない。あんたが忘れたのは、ただボケただけよ」
「むー、冬ちゃん酷いー」
そんな一時の談笑の後、冬子は周囲を見て、口を開いた。
「ね、祝。雪歌はまだ来てないの?」
「本当だね。雪ちゃん、いつもこの時間には来てるのに…」
呟くありす。一正はよくわから無いが、異常な事が起こっているらしい事はわかる。
「まさか…何処かで雪崩にでも…」
祝の呟きが、周囲の空気を凍て付かせる。ここは雪国だ。それくらいの事、いつあってもおかしくない。もしかしたら、は可能性だけの話ではないのだ。
「…捜しに行くわよ!」
冬子が立ち上がり、教室のドアから飛び出そうとする。しかし、彼女はぴたりと足を止めた。
「…冬子、どうかしたの?血相変えて。何か忘れ物?」
見覚えある、白のコートとマフラー。雪歌は不思議そうに冬子を見つめていた。
…足は、あった。透けてもいない。少なくとも、幽霊ではない様だ。
「ねえ、どうしたのよ冬子。何があったの?」
再び尋ねる雪歌に、一正は先ほどの出来事を簡単に説明した。冬子は安心しきって緊張の糸が切れたらしくぐったりと席にもたれていた。雪歌は黙って話を聞くと、くすりと笑った。
「何だ、そんな事?」
「そんな事って…雪ちゃん、あたし達、本当に心配したんだよ?」
ありすが少しむくれる。腹が立つ、というほどではないが、一正も少しカチンときた。
「だって…誰でも何時かは死ぬのよ?それに、私が死んでも、誰かに迷惑がかかるわけでもないでしょう?」
一正はガタンと椅子を派手に鳴らして立ち上がると、雪歌に叫んだ。
「何言ってんだよ、雪歌!確かに俺にはこんな事言う資格は無いかも知れない、けどな!俺は、どんな奴でもそいつが死んでも迷惑じゃないから、とか割り切れる人間じゃないんだよ!特に、それが知ってる奴なら尚更だ!」
………。
沈黙。一正はつい叫んでしまってから、後悔の嵐に見舞われていた。何処の熱血だよ俺は、おい。これで俺のあだ名はイッセーから熱血に早変わりだ。青春だよ。それも青春大王だよ。頼むから誰か突っ込んでくれ。これじゃただの変な子だ。それともこれは新手の放置プレイなのか?誰か、俺を助けて…へるぷみー!
その沈黙を破ったのは、雪歌だった。
「……一正君、さっきのは冗談よ?」
「…はい?」
呆けた声で聞き返す一正。そんな彼の顔を見て、雪歌はぷっ、と吹き出した。
「だから、冗談だったの。それなのに一正くんったら、あんな物凄い剣幕で…」
腹を抱え、身体を折り、苦しむように肩を震わせる雪歌。
「一正さん。ああいうブラックジョーク、雪歌さんの十八番なんですよ」
祝がそっと教えてくれる。一正は、確かに聞いた。世界が崩壊する、甘く切ない終末の音を。失意のうちに、一正は問い掛ける。
「もしかして俺、ピエロですか?」
全員が首を縦に振った。一正は一撃でHPを0に減らされ、ふらふらと着席した。
「…一正君、心配してくれてありがとう」
ただただ、そんな雪歌の一言だけが慰めだった。

「おい、お前ら。コントするのも良いけど、そろそろ授業始まるぞ。一時間目は数学だろう。朝礼が長引くと、山下の爺が後で五月蝿いからな、早目に席につけ」
何時の間に教室に入ってきたのか、担任の女教師が一正達に声をかける。
「お前らは昔馴染みだから、転校生の紹介はしないで良いな。少なくとも私は、面倒くさいから、したくない」
そう言い放った後、女教師は黒板に文字を書いた。
『黒木つぐみ』
女教師はその文字をチョークで叩きながら、生徒たちのほうを向いた。
「光永兄妹。これが私の名前だ。呼び方は何でも良い。黒木先生、がベストだが、若干フランクにつぐみさん、とかも許可する」
はぁ。一正は、そう頷く事しか出来なかった。

日本全国、何処の高校でも受けられそうな平凡な授業。一応聞いている振りをしつつ、一正はクラスを見回した。生徒が六人なので、前に三人、後ろに三人と席は横長に並べられ、一正は後ろの席の真ん中だった。
まず、右の席に雪歌。真面目に授業を受けているらしく、時折ノートに何か書いている。そして、左の席に冬子。ちらりとこちらを見ては、慌てて目をそらす。一体何がしたいのか、理解に苦しむ。
前方に目を移すと、左前には祝が座っている。微動だにしないのは、眠っているかららしい。最前列で居眠りとは、なかなか度胸のある女だ。さて、目の前にはありすの金髪。正面なので何をしているのかは見えないが、眠ってはいない様だ。意外極まりない。そして、一正から見て右前、ありすの右には清美。妹に興味はない。あいつは真面目だから、授業中見たって面白くない。テスト前には役立つが。
「じゃあ、今日はここまでだ」
切りのいい所で、黒木が授業を切り上げる。その言葉を合図に、五人が立ち上がる。一人急いで立ち上がるのは祝だ。礼、着席。
「特に何も連絡事項はない。今日は解散だ。気を付けて帰れよ」

学校の目の前に家があるありす、学校の裏山にある神社が家の祝と別れ、四人は一緒に帰り始めた。一正は覚えていなかったが、冬子の家は『十六夜』のすぐ近くにある花屋だそうだ。冬子の話によると、安くて奇麗な花と、お金では買えないけれどそれよりさらに美しい看板娘がいる店らしい。
「ねえ、冬子。その看板娘って…」
呆れ顔で問い掛ける雪歌に、冬子は胸をはって応えた。
「何言ってるのよ雪歌。この冬子ちゃんに決まってるでしょう?」
清美はくすくすとそのやり取りを眺めている。クールな雪歌、元気な冬子。正反対とも言えそうな性格だが、案外仲は良い。祝とありすの様なものだろう、と一正は勝手に結論付けた。
「なら冬子、その認識はこの場で棄てておきなさい。貴方は確かに奇麗だけれど、私には劣るから」
ふふんと鼻で笑う雪歌。冗談なのが分かっているので、冬子も本気では怒らずにじゃれ合っている。そんな二人を見ながら、一正は苦笑して肩をすくめた。
「そうだ、雪歌。どっちが美人か、第三者の意見を聞きましょう。ねえ、イッセーはどう思う?」
突然冬子に話を振られ、一正はうろたえる。どちらと言っても角が立ちそうな予感。一正はこういう状況が心底苦手だ。しかし、だからこそ、そういう時の為の秘策を持っていた。
「ど…どっちも」
………。
気まずい空白の後、雪歌と冬子は揃って吹き出した。呆然とする一正。苦笑する清美。
「イッセーらしいと言うか、何と言うか…」
「一正君、時として優しさは残酷なのよ?」
二人の女性に小言を言われ、困りながらも幸せな放課後だった。

(第一章/続劇)

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