第四章:2

「おい、冬子。そんなに慌ててどうしたんだよ」
立ち止まる。カズマサの、声が聞こえた。
「イッセー…」
「あ、昼飯か?俺もそろそろ帰らないとな」
もしかすると。本当に、もしかすると。
私が、雪歌に彼を殺させたくない理由は。
私が彼を愛しているから?彼を守りたいから?
「う、うん。お腹空いちゃって…じゃ、夕方に祝の神社でね」
私が彼を本当に守りきれるかは知らない。
ならばせめて、彼に心配だけはかけないように。和政の事は、黙っていよう。
「ん、じゃあまた夕方な」
そうして彼女は一正と別れ、風間花店へと帰っていった。もしも今日雪歌が花を買いに来たなら、しっかり話し合おうと思いながら。

その日、雪歌は花を買いに来なかった。

時だけがゆっくりと過ぎる。夕闇が迫り、全てが朱色に沈んでいく。冬の日は短く、夕方はすぐにやって来た。
山の上、嵯峨山神社に灯が灯る。
冬の最中に始まる祭りに、祝を除く五人の少年少女が一人一人と集まってゆく。
一正、清美、ありす、そして雪歌と冬子。
神社から聞こえる神楽は、何かの新たな始まりを告げているかの様だった。

本殿の中、祝が琴を弾く。祝詞とも歌とも付かない、不思議な曲を奏でていた。

時の過ぐりて雪の降れども
いずれ日の昇りて
春の来ん冬の在らんや
世の常なるは無く
時は常に流る

時の過ぐりて魂の絶えなむ
いずれ身も滅びて
朝の来ん夜の在らんや
世の常なるは無く
時は常に流る

時の過ぐりて霧の晴れれば
いずれ夢終わりて
明日の来ん今在らんや
世の常なるは無く
時は常に流る

祝の声が、琴の音に合わせて響き渡る。一同は揃ってそれに聞き惚れていた。祝の細い指が琴を爪弾き、心の琴線に触れる音色を紡ぐ。夢の様な、一時の楽しみ。
祭りの夜が、更けていく。

「祝、巧かったわね」
演奏を終えた祝に、雪歌が労いの言葉をかける。祝は照れた様に俯いたまま言った。
「そんな、大した事ではないですよ。単に小さい時からやっていただけの事ですし…」
「そんな事無いよ、大した事だよ〜」
ありすが満面の笑みを浮かべて祝の肩を抱く。英日ハーフと雖も、日本生まれの日本育ち、苦手教科は英語と言い切る彼女は、琴等の和楽器に人一倍強い興味を持っていた。愛国心とでも言うべきものが豊かである。
「…(無言)」
冬子は一人離れて一同を見ていた。当然、主に一正と雪歌を、である。
一正を守ると決めた。
それが、彼女の誓い。
一正は他の四人と話をしている。それを見つめる冬子に接近する、一つの影があった。
「…おい、風間」
「うわあぁ!?」
突然耳元、息のかかる距離で囁かれた声に驚いて跳び上がる冬子。振り向くと、黒木先生がニヤニヤしていた。
「いやあ、いい反応だぞ風間。それだけ驚いて貰えると、やった甲斐があるってもんだ」
「せ、先生、驚かさないで下さいよ!一体何の用なんですか!?」
黒木は冬子の肩に腕を回し、顔を寄せた。唇の端に咥えた煙草が、紫煙を燻らせる。
「風間、お前は少し疑心暗鬼が過ぎるぞ。話もせずに監視だけってのはいただけないな」
そりゃ私だって一正は心配だが…と、黒木は続ける。
「まあ、宮下が相手ならお前の行動も頷けなくも無いな。奴の考えは全く予想もつかん」
確かに。一正を殺すだけなら、今まで何度も機会があった。なぜ殺さないのか?
殺す、という発想が飛躍していただけならば、嬉しく思うが…
しかし、嫌な予感が拭えない。これが思い過ごしである事を、冬子は必死で祈っていた。

冬子は今一度、雪歌について考えてみた。
名前、宮下雪歌。性別、女性。高校二年生。学力、体力共に上の中と言ったところか。性格は冷静で観察力がある。同じ女として悔しいが、美しさはモデル級と言えるだろう。
双子の兄、和政がいたが、死亡。読みが正しければ、一正に恨みを抱いている。
それ以外はあまり知らない。幼馴染だと言うのに、不思議なものだ。秘密主義とでも言うのだろうか、ああいう手合は。信用されていないようで、どこか腹が立つ。
「おい、どうした風間。いきなり黙るな、失礼だぞ」
黒木は肩に回していた腕を解き、冬子に向き直る。
「まあ良いさ。考えすぎるなよ?」
棚引く紫煙を手で払い、黒木は冬子の目を見た。瞳の映す、その闇色が酷くリアル。
何も言えぬまま固まる冬子を尻目に、黒木は皆の方に歩いていった。

「おい嵯峨山。なかなか上手じゃないか、感心したぞ」
形態灰皿に吸殻を押し込みながら近寄る黒木に、祝は姿勢を正しながらもはにかんだ笑顔を見せた。
「そんなに畏まるな。ここは学校じゃない、気楽にしろ」
苦笑。良くも悪くも、教師らしからぬ教師である。
「まあ良い、嵯峨山。お前、この後も仕事は有るのか?」
「いえ、後片付けは明日の予定ですし、今日は、特に何も」
祝の答えに満足そうな笑みを浮かべる。二本目の煙草に手を伸ばしながら、黒木は言う。
「よし、なら今から一正の所の温泉に行くぞ。入浴だけも有りなんだろう?」
一正に視線を向ける。はぁ、とだけ答えた一正。黒木の真意を測りかねているのだ。
「先生、祝だけ誘ってずるいですよー」
ぶーぶー、という擬音語が似合いそうな顔でありすが抗議する。飽きさせない少女だ。黒木は微苦笑を浮かべながら生徒たちに言った。
「分かった、分かった。塩野義も宮下も風間も来い。皆まとめて奢ってやる」
やった、と無邪気に喜びを見せるありす。雪歌も乗り気である様に見え、冬子もご相伴に預かる事にした。
「ほら、そうと決まったら早速行くぞ。ぐずぐずしていたら夜中になる」
黒木はやっと二本目の煙草に火をつけた。薄暗闇の中、明滅する炎は蛍火にも似ていた。

既に日も落ち、夜が町を包み始める。冷たい風が、身も心も凍てつかせそうだ。
「ここからだと町がよく見えるな。私が高校の頃は、星空と町並みをよく眺めたものだ」
呟く黒木。
「あの辺が宮下の、あっちが風間の、その辺に塩野義の…」
一つ一つ指差し、黒木は皆の家を確認する。生徒たちは不思議そうに黒木を見つめた。
「いやはや、こうして見ると夜景なんて物のロマンも大した事じゃない」
くく、と寂しそうに笑う黒木。現実主義者全とした自分が可笑しいのだろう。
「星空みたいな夜景、か。そんな物より、本物の方がよっぽど上等なのにな…」
黒木は空を見上げる。満天の星が狂おしく煌く。
「ほら、今夜はこんなにも―――月が、綺麗だ」
事実、それは本当に綺麗な月、だった。

(第四章/続劇)

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